81、単純なしあわせ
ぼくの家の近所に、喫茶店「スター」(仮名)というところがある。
そこのメニューが、一度、デレビで放映され、最近、一大ブームとなった。
ぼくは、兄にそそのかされ、そこのスターの「カレーオムライス」を食べに、長蛇の列にならんで、行ったことがある。
食堂は、二階にあって、まず、階段を登らなければいけない。12:00。店が開店する頃だ。11:49に行くと、もう列ができていた。
兄にLINEで、朝から、「金がないんだったら、行って来い!!」と言われたのだ。
カレーオムレツは、350円だ!確かに安い!うまいのに安い!という宣伝文句を、兄は、ぼくで試すのだ!
兄には逆らえない。光熱費から、役所の手続き、全て、兄がやってくれている。ぼくは、どこかで兄をリスペクトし、兄に頼りながら生活している。だから、兄を怒らせるのが恐いのだ。
もう、建物に入る前から、ならんでいるのに、ぼくは、そのなかに入った。一時間経った。階段、一段、登ったところまで、たどり着いた。
LINEで、「350円やったら、向かいのスキ屋で牛丼食べても350円やん」と抵抗した。
「まあ、いいから行ってみろや」と、兄は言う。
それから、二時間経ち、階段を登った、食堂へ続く、廊下まで来た。
兄に言った。
「ぼく、なんか、コロナが不安になってきたわ」
「ほな、帰れや」
なぬ!!三時間待ってるんだぜ!感染病も恐いんだぜ!
なんだ?ほな、帰れや、とは!!
ほな、帰れとは、なんだ!!
それは、人間に吐く言葉か!一瞬、兄の人格から、地位まで、何から何まで疑った!
その先は。
よっしゃ!待ったろうやんけ!あいつ(兄)のことなんか、もう関係ない!
こっちも意地や!
と、こんな風な一日があって、結局、オムレツカレーを食べたのは、六時間待ったころだった。
お昼ご飯が、晩ご飯になっていたのだ。そのオムレツカレーが、たとえ普通のオムレツカレーであっても、そりゃ、美味しく感じるだろう。
そんなことがあり、やがて、「スター」のブームは去った。
当たり前だ!客をあれだけ、待たし、オムレツカレーは、普通のオムレツカレーの味。あんな味、ぼくにだって出せる。
マスターは、もともと、趣味でやっていたのだ。お客が、どんなに来ようとマイペースでやっていた。一攫千金の夢など、これっぽっちもない。
二週間ほどだろうか。ぼくが、行かなくなっても、まだまだ、列ができていた。
しかし、やがて、列ができなくなった。
今日、ウォーキングの帰り、マスターが夜の通りの車道をにやけながら、自転車をこいでいる。相変わらずだった。なにが、おもしろいのかわからない。変人だ。うらやましいとも、なんとも思わない。もしかして、孤独の裏返しで、それが、もう、うれしくて、うれしくて、たまらないのかもしれない。
あんなにはなりたくないものだ。
ところが、ぼくは、マスターのその、にやけ顔を見たとき、マスクの下から、「いいなあ」と、ほざいてしまった。
本人自身は、しあわせなんだろう。「今」というものが、とことん、しあわせなんだろうと思う。たとえ、それが小さな、小さな、喜びの寄せ集めであり、孤独の裏返しでもあり、うらやましくともなんともなくっても、単純なしあわせそのものが、「いいなあ」と思った。
ああは、なりたくなくったって、本人のしあわせが「いい!」と思った。それが、あの、にやけ顔なのだ。
そこに不幸も、つらさも、苦しみも、なにも関係ない。ただ単に、本人は、しあわせなのである。
うらやましいかも知れない。ああ、生きれたら、しあわせなのかも知れない。
でも、ただ単に、ああはなりたくない。そう思うだけだった。
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