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2008年沖縄旅 4日目

最近Googleドライブで発掘した沖縄日記の2日分の残骸。
折角だからノートで公開。後悔しなきゃ良いけど

携帯のバイブレーターの音で目が覚めた朝は、雨が降っていた。

これが、僕の渡嘉敷島最終日の朝だった。
沖縄に行く前、エロ話好きな女の子に散々僕は晴れ男だって吹聴していたのに。

僕は、顔を洗う為に洗面所に入った。しかし、ここの民宿の洗面所には鏡が無い。女性用の洗面所には鏡がある。

この民宿の二階に宿泊しているのは僕と老人の男性だ。ちょっと迷ったが、女性用の洗面所で顔を洗った。

なんか、卑猥な気がした。

顔を洗い終わると同時に、民宿の男性スタッフ(中年・心優しい感じ)が2階に上がってきて、「出発を9時にしましょう」といった。
僕は、「わかりました」って言った。

荷物をまとめ、若干時間を調整して、僕は1階の食堂に降りた。

男性スタッフが新聞を読んでいた手を止めて、コーヒーを持ってきてくれた。
コーヒーはネスカフェだと思うが、朝のコーヒーは久しぶりだって思った。

テレビからは、モーニングサンデーがニュースを垂れ流していた。

僕はコーヒーを飲みながら、清算をした。
僕はインドに居た時から、ホテルの料金システムが理解できていなかった。

1夜泊まれば1泊ってのは分かる。それが複数日になるとこんがらがってくる。

朝チェックインして二夜寝て朝にチェックアウトしたら2泊?

でも、朝は3回やって来ている。時間は48時間。つまり、2泊3日ってこと。
今回は2泊分で7千円だったが、インドでは、3泊分取られていた気がした。

女性経営者(中年・いつもサングラス)がやって来て、渡嘉敷港まで送って行ってくれた。

車で山道を走っていたら、「ハブが死んでいる」って、言われた。

僕は、「ホントですか?」って聞いたら、車を止めてバックで山道を戻ってくれた。確かに引かれて死んだハブが居た。

女性経営者が言うには、雨が降った後には、ハブがよく出るって言ってた。最近は、ハブ取りが居ないから山にはハブだらけって。
そんな山道を僕は昨日散々歩き回っていた。はぶー

港に着き、女性と別れて待合所に行った。そこは、小学生に占拠されているような状況だった。

聞いたら、青森と新潟の小学生がたまたま同じ時期に来ていたって、小学生談。

時間も余っていたので、晴れ間が出てきた港を散歩した。海は、雨水で濁っていた。

フェリーに乗り込み、僕は2階の席に腰を降ろした。雨の降った後の風と波は激しかった。

僕は、それを眺めるためデッキに立って出港を待った
高速フェリーが港を出るとき波が高かったから、フェリーはスプラッシュマウンテンのそれより5倍激しく揺れた。

2階の席はあまりに揺れるので、それがまるで面白いことかの様にみんなで大声で笑った。なぜか、面白く思えた。

僕は、デッキで那覇の泊港までの時間を全て立っていた。
鯨が出ないかなって思って見ていたけど、見えたのは飛び魚だけだった。

那覇に着き、モノレールで空港まで行き、レンタカー会社に電話した。空港からピックアップしてもらうためだ。

空港から、レンタカー会社まではあっという間だった。僕が借りたのは三菱のekワゴンだった。妹が代車で借りて僕がたまに運転していたekワゴンだ。

レンタカーで、ゲストハウスを目指した。終止翻弄されることになるカーナビに住所を入力したが散々迷ってようやくチェックインしたころには、13時だった。

荷物をベッドに転がすや否や、僕は車に戻り今日のスケジュール確認をした。

まずは、沖縄の友人に聞いた北谷にある浜屋の沖縄そばを食べ、そのまま美ら海水族館に行く。
時間は13時を回っていた。くそ、時間が足りない。

脆弱なカーナビに目的地を入力しいざ出発。このカーナビのおかげで僕は危うく沖縄が嫌いになりそうになった。うんこカーナビ。

おかげで、僕は国際通りの周りを恐らく9周ほど回った。地理が詳しくなった。僕は、カーナビと相性が悪いのかもしれない。

まず浜屋。近くまでは案外順調に来た。浜屋がまったく分からない。カーナビも案内を終了する始末。

僕は、浜屋の周りも3週し到着した。

浜屋には、有名人のサインが所狭しと飾ってあった。中野美奈子・小倉裕子とかとか。どうやら、有名店らしい。

僕は、沖縄そばの大を注文した。小倉裕子のサインには「HAMAYA SOBA」って書いてあった。そうだよね、浜屋だもん。

三枚肉と軟骨ソーキが乗っていた。僕は、生まれて初めて軟骨ソーキを食べた。軟骨まで食べられるソーキ。とてもおいしかった。

麺はどんべいの麺をしっかりさせたような麺で、これまた、どんべいファンの僕としてはたまらない。麺好きにはたまらんねー

となりにある富士家のぜんざいも美味しいって聞いていたが、とてもじゃないが、そんな時間的余裕はなさそうだったので浜屋の手作りちんすこうを買い、早々に水族館を目指した。

さあ、僕を悩ますカーナビに、目的地である美ら海水族館を入力しひた走ることに。評判どおり、ルート58混雑は印度的だった。

まったく進まない為、カーナビの到着予想時間がどんどん遅くなっていく。
この時点で、到着予想時間は18時。閉館時間は20時。2時間の観覧予定。まったく持って、まったくのノープランが裏目に出た。くそ

高速に乗ったとたん、到着予想時間は17時30分に。よし、この調子でガンガン飛ばしていくっきゃないよ。よろしくメカドック。。

沖縄をレンタカーで運転していて気づいたことが数点ある。これって、どういうことなんだろうかね?

まず、基本的に法定速度をほぼ遵守している。やさしい運転な沖縄。
東京や僕の地元の岡山だって、昼は大体10キロオーバー夜は20キロオーバーが大体の流れ。

沖縄だと、僕はスピード狂のように映っているのだろうか?ただ、高級車は例外的にガンガン飛ばす。

車社会の沖縄で免停は致命的だからか、南国特有のおおらかさからきているのかは分からないがそう感じた。

高速道路だって、大体の車は80キロで走ってるし。夜の道だって大体法定速度だった。
それではいささか僕は、美ら海水族館を堪能できないのだよ。と、思いながらひた走った。約80キロの道のりを走った。
沖縄ってもっと小さいのかと思ったら、意外に大きいのね。

高速を降りると、ひたすら海岸沿いを走った。風が強くて、車体が揺れる。これが、軽の難点だ。高速だと、もっと揺れた。

海沿いが終わると、今度は山道だった。曲がりくねったなんとか道。イニシャルDを彷彿させる山道。僕は、山道が好きだった。

走る走る、約2時間弱。着いたら、17時だった。これで、3時間の鑑賞時間が確保された。この日は、あいにくの曇り。思い返せば、晴れたのは初日だけだった。

小学生の団体にまぎれての鑑賞。この子ら、渡嘉敷でみた帽子と同じ帽子じゃね。って、思いながら回った。

やはり、圧巻だったのは2匹のジンベイザメ。僕を魅了したのは、ニモだった。
一通り写真を撮りながら回ると、18時。残念ながら、時間の関係上イルカショーは見ることが出来なかった。

約一時間あまっているから、もう一回初めから見直した。すでに入場を停止している館内は、人も疎らになっていて非常に良好に写真撮影と鑑賞が出来る。
閉館時間ギリギリまで鑑賞して、帰路についた。沖縄の夜はTシャツでは寒かった。

帰り道、沖縄の友人から聞いたお勧めのファーストフードA&Wに行くことにして、カーナビに入力した。

この、ポンコツカーナビとヘッポッコ運転手のおかげで、A&Wの前を3回通りすぎる結果になった。うんこー

店員のお勧めの照焼きチキサンドと、沖縄の友人のお勧めのルートビアってドリンクを注文した。

あー、ルートビアは挑戦してみてって言ってたな。
この時点で気づくべきだったのだが、このルートビアたる飲み物、ドクターペッパーを3回煮詰めなおしたような味。

あーこれね、挑戦しろって事ね。トレイの紙にルートビアの誕生秘話が載っていた。
ルートビアは、友人の健康を願って木の根や樹液、薬草を数種類混ぜクリーミーな、のど越しを持たせました的な感じのことが書いてあった。

ルートビアはお替り自由だとも書いてあった。僕は、飲んでいるうちに好きになった。
こういう変わった味にものに惹かれる傾向にある僕は、変わり者なのだろうか?

時間は23時。そろそろ、ゲストハウスに帰ってシャワーを浴びて寝ようと思ったが、僕の友人の助兵衛さんから、沖縄にいるんだったら真栄原新町にタクシーで行ってごらんってメールが来た。

どーせ、風俗街だろって思った。
見るだけ見るだけって、インド人客引きの呪文が脳裏に浮かび、すでに僕はカーナビに入力をしていた。

カーナビに入力するも、検索出来ない。くそ。これはやっぱり助平心を神様は許してくれなかったんだなって思いあきらめよとした。
が、何かの拍子で地名がちょっと違うんだがそれに近い地名があった。これか、って思いながら車を走らせた。

ポンコツカーナビとへっぽこ運転手は、目的地を2回通りすぎた。

目的地が、違ったのか僕の勘違いだったのかは分からないが、ファミリーマートとパチンコ屋しかなった。
夜が遅すぎたのかもしれない。このとき時間は24時近かったし。

僕は、ファミリーマートでコーヒーを買いゲストハウスに帰った。

若干の、喪失感で。

ゲストハウスのベッドに潜り込むも寝られない。

今日は、車の運転をしすぎで神経が高ぶっているのか、動いていないから体力があまっているのか分からないが。

ベッドを抜けてビールを買いにいった。夜の国際通りは若者が戯れていた。深夜営業の店は殆どなかった。
コンビニで、Orion Beerを買いゲストハウスまで飲みながら帰った。

ゲストハウスの屋上が、Barになっているって聞いていたが、行ってみると6人ぐらいがカウンターで談笑していた。

とても僕には入けそうに無かった。この辺が弱いなぁ。やれやれ。
あの、日本人の固まっている感じの所に飛びこんでいける人ってのは、勇気があるってか、もはや才能か。

時間は24時。なぜか、脳が活性化か興奮状態か覚醒状態にある。おかげで寝れやしない。くそ

早く脳をリラックスさせて睡眠をとらなければ、明日の沖縄最終日を満喫することが面倒になってくるぞ。

なぜだろう、たまにあるんだよな。バッチリ朝も早よからみっちり行動してるのに、夜寝られない。くそ。面倒だ。
こんな時の対処法は、本を読む・テレビを垂れ流す・mixiを更新するぐらい。
やれやれ、mixi更新ぐらいしかすることができないじゃないか。くそ

ベッドを抜け出し、共用のリビングルームへ行くと消灯時間の終わった薄暗い20畳ほどのリビングルームには先客が2人。

一人はネットをしていた。もう一人は、共用キッチンで夜食を作りテレビを見ながらお酒を飲んでいた。

僕は、奥のテーブルにつきパソコンを開いた。みんな、黙って黙々と自分の事に集中していた。それぞれに独り言を発しながら。

独り言が多い人は、寂しがりやだって何かで読んだ。

たぶん、ゲストハウスのドミトリーに泊まっている時点で、若干の傾向にあるんじゃないかなって思った。

日記を更新し終わるころには、リビングルームには僕一人だった。
薄暗いリビングルームに一人。これで、ビールでも飲んでたら寝ちゃうなって思いながら、ベッドに戻った。

時間は26時。それでも、しばらくは寝られなかったが気づけば夢の中だった。

沖縄最終日に続く

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