愛と喪失の英文学
ロス感に浸る自分がいる。
せっかく前を向いて生きようとしているのに。。。
これは過去の話をしたせいだ。
私にとって大学時代は、、、まだ消化しきれていない。
いろいろな想いが渦巻いているから、まだ今は振り返るときではない。
だが、社会はそうさせてくれない。
だから、学生時代の経験を、就職面接で話すことになる。
あまり、自分の過去を相手のために話すことなどしたくない。
仕事の文脈で「お話」にするには編集が必要だ。
この編集は自分のストーリーに手を加えて、自分では面白くなくなっているが、他の人にとって、少しでも楽しめるようにしている点で、思うところがないわけではない。
私は大学~大学院時代にカズオ・イシグロ文学の研究をしていた。
博士課程に進むことは、、、あまり考えなかった。
イシグロ文学を読み解くことが辛かった。
研究生活の最後、試問で教授から質問された。
「あなたはイシグロ(作品)が好きですか?」
私は一刻も早くイシグロから遠ざかりたかった。
もう関わりたくなかった。
だが、私はこう答えた。
「分からないですね」
私はイシグロ作品もイシグロも「好き」ではない。
でも、「嫌い」というわけでもない。
ただ、自分の経験にイシグロの思想は「在る」
好きだろうが、嫌いだろうが、そこに在る。
イシグロと共にこれからも生きることになる。
イシグロにはこれ以上近づくつもりはない。
その意味で、私はイシグロのことが決して、「好き」ではない。
好きというのは、自分の外部の対象に対して、近づいて取り込みたい、という欲求だ。
恋愛というのは、そういうものだろう。
しかし、イシグロはもう私の内部に在る。
私は既に自分の中に入ってしまったイシグロの存在を、そこにいても構わない、と「愛する」だけだ。
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