忘却された兄妹 1巻
ボクが彼を初めて見たのは、小学五年生のときだった。
ザリガニ釣りに同級生達が、みんな興じていた。
そんな小学生の中に彼も混ざっていた。
みんなザリガニ釣りの餌はスルメイカだった。
彼だけ、ザリガニの尻尾をもぎり取り、ザリガニを釣る餌にしていた。
彼の周りの小学生達が、『餌も買えない貧乏人。』と罵り嘲笑っていた。
ボクは彼を、『どこの子やろう?』と思い見ていた。
それから、彼を罵り嘲笑っている奴らに、だんだん腹が立ってきた。
なのに彼は目線を落とし、なにも言い返さない。
なんだか彼だけ、闇に包み込まれているようだった。
彼を罵り嘲笑っている奴らに、ボクは巻き舌で、『お前ら用水路に蹴落としたろうか!』と言い放ってしまった。
そんな奴らが、『お前に関係ないやろ!お前だれやねん!』と言い返してきた。
ボクと一緒にいた同級生達も喧嘩やる気満々だった。
このときは口喧嘩で終わった。
罵りを受け、嘲笑われていた彼はとぼとぼ歩いて用水路から去った。
同級生とボクは、『あの子、どこの子やろう?』とみんな彼のことを知らなかった。
その後、彼を見かけたのは夜の公園だった。
彼は妹と一緒にブランコに揺られていた。
そんな兄妹を、『こんな時間に、なにしてるんやろう?』と首を傾げ、ボクは公園の前を通り過ぎた。
このときも、『この兄妹、どこの小学校やろう?』と考えていた。
それから、兄妹を見かけなくなった。
だから、『あの子ら、他所の子やろう。』と思った。
歳月が流れ、中学校に入学し、さらに歳月が流れた。
この頃、ボクは彼と妹のことをすっかり忘れていた。
そんなボクは中学二年生になっていた。
ボクは中学二年生の秋、早朝から新聞配達のアルバイトを始めることになった。
アルバイトの初日、ボクは目を凝らし驚いた。
午前3時の新聞販売店で、黙々と朝刊に折込チラシをさしこむ彼がいたからだ。
彼のことを新聞販売店のおやじが『正哉くん』と名を呼んでいた。
ボクはようやく彼の名が『正哉』だと知った。
この日から毎朝、正哉の姿を見続けた。
季節は秋から冬、さらに桜舞う春を迎えボクは中学三年に進級した。
新学期から不登校の生徒が、同じクラスに5人いた。
そんな不登校の生徒3人は、時折学校に顔を出していた。
しかし、残る不登校の2人だけは、学校に顔を出すことはなかった。
夏休み直前のある日、いつも空席だった席に誰かが座っていることに目を凝らした。そして、驚き『えっ!』と声が漏れた。
空席に座っているのは正哉だった。
小学五年生から、ずっと他所の学校だと思い込んでいた正哉が、まさか同じ小学校であり、同じ中学校だったからだ。
なのに、ボクは学校で正哉を見かけたことは一度もなかった。
その正哉が同じクラスに身を置いている。
どうにもこうにもガテンがいかなかった。
しかも正哉とボクは、同じ新聞販売店でアルバイトを続け、言葉を交わすことがないまま、ずっと毎朝、顔を合わせていたのだから。
※つづく
※『ひよこ』
※ノンフィクション