
所信表明
私の最初の方の記事を読んだ人は私の最初の20年間は散々たる思いをした事をわかってくれる人がいるだろう。
2019年1月3日に私の兄貴分になってくれた人との関係は今でも良好だが、あれからもう6年経つのか、まだ6年しか経っていないのか、どう表現していいか分からないが少なくとも6年が経つ。
私は過去を振り返るときに、私の中であの時から何がどう変わったのだろうと内観する。私も周りも6歳年をとったことになる。母方の祖父も齢80歳を超えてしまった。生きている内に早く曾孫の顔を見させてやりたいと最近は願うようになった。
私は30手前にして6歳年をとるに足る人物になりえたのだろうか?と色々考える事がある。経済的には30手前とは思えないが、精神的な安定は出来るようになったのだと思う。最近になって将来はどう生きていきたいかを冷静に見れるようになった。
あの20年があるから今の私があると考えるのか、失われた20年だと考えるのかは私の自由だが少なくとも他責思考になっても仕方が無いのだ。あの時あの瞬間に暴力暴言をした吐いた人が、あの時はすまなかったとわざわざ謝りに来てくれるわけでも、頭をバットで1発殴らせてくれる訳でもないのだ。あの時のあいつは見ていて面白かったなと武勇伝の様に語り継がれるのは目に見えて分かる。
そうこれは諦めである。
それを最近まで、特にこの6ヶ月前まではどう言語化して良いか分からず、朝から晩までずっともやもやしても、どう口に出して良いのか分からずにいたが問題を1つ1つ丁寧に解決していくことで次第に言語化でき口に出せるようになって行った。
ガンダムで有名な富野監督は「人生は諦めである。」と言っている。私はそこまでの境地に至っていないが、今私が抱いている気持ちと現実に折り合いを付けなくてはいけないのは私でも分かる。諦めたい私と諦めたくない私との板挟みである。
ではやられっぱなしなのかと聞かれたら答えはNoであろう。
錯乱していたとは言え私も迷惑をかけてきた自負がある。他人に迷惑をかけるなとは耳タコだが、それはある意味強者側の言葉であり幸運な奴の言葉だろう。あの時の事がフラッシュバックして薬がないともう怒りが抑えられない。そんな余力さえもうないのだよ。
私の過去を振り返った時に、暴力暴言をした吐いた者達に対して何故こちら側が頭を下げ謝ららなければならないのだろう?という怒りが私の芯となっている。事の大小はあれどこの世の不条理さが私の核となっているのが分かる。怒りとは動物さえ持っている原始的な感情なのだという。
話は変わるが野球の大谷選手と私との間にあるのは何なのかを考えた時に、パッと思い付いたのは運の要素もあるだろうという話だ。運とはこれ程までに人生を左右するものなのかと改めて思う。強者は弱者の気持ちが分かりにくいように、弱者もまた強者の気持ちが分からないものだと思う。
あまりにも生きてきた世界観が違うので話しても話が合わないのだと思う。人間誰しも初めて抱いた感情は忘れていき、感情もまた次第に人から離れていく。それらが大人になるという事だろうか?そんな擦れた考え方が本当に大人びているのだろうか?
私は考える。自問自答しても帰って来ない答えを求めている。それでも私は考えてゆくのだろう。私がした事は忘れないし、私がされた事も忘れない。それで良いじゃ無いか。明日こそはいい日にしようと行動し願って…。