ソラニンに触れて
最近ASIAN KUNG-FU GENERATIONにハマり、いろいろな曲を聴いている。
ファンの方には怒られるかもしれないけど、そのなかで名曲といわれる
「ソラニン」を最初は聴く気になれなかった。あえて触れないでいた。
作詞が浅野いにお氏であり、アジカンでない人の作品というイメージを
勝手に持っていたのと、ただ男女の別れの曲だと思っていたからだ。
そしてこれまたファンの方に怒られるかもしれないが、
浅野いにお氏の漫画「ソラニン」を10代の頃に読んで、あまりピンとこなかったからというのもある思う。
でも先日、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの配信ライブを視聴して「ソラニン」を聴いた時、自分の中に入り込んでくるものがあった。
決して良いと思っていない今の生活や気持ち。
でもそれをどうすることもなく見ないようにして、なんとなく日々を消費して、嘘ついて、命を削っていく毎日。
そんな自分の中の言葉にできないものを肯定して、吐き出してくれてる気がした。
そこから漫画「ソラニン」を改めて買いなおして読んでみた。
10代の頃よりも、はるかに面白いと思った。
決して派手ではないけど、だからこその現実。なにより共感する台詞や心情がたくさんあり、昔よりも作品や登場人物がずっと近い距離にいることに気づいた。それはきっと、当時は大人に見えた芽衣子たちの年齢を自分がいつの間にか通り過ぎたからで、10代のころには想像でしかなかった未来を今現在歩いていて、やっぱりそれは望んでいた未来とは程遠い日常だからなのか。
読後感は非常に心地いいもので、晴れた日の昼下がり、やわらかい風に吹かれながら川辺でぼーっと空を見ているような心地だった。
現在、わたしは自分の選択に迷っている。
地元に戻って就職か、都心に残って演劇を続けて生きていくか…。
でも最近、演劇も好きなのか分からなくなって、辛くて逃げていた。
とてもじゃないけど、それだけで食っていけそうにないし、生きることを
維持するためにバイトをして働くことでいっぱいいっぱい。
それなら就職した方が楽だし賢い。でも、それを選択するためにいまの生活を捨てる決心もできない。
それでも歳は取るし、身体は望んでないほうに変わっていく。貯まらない お金やうまくいかない人間関係。
自分自身のことも好きになれなくて、一生ひとりなのかな、なんて夜中に
絶望的な気持ちになる。
そんなことで鬱々としているときに「ソラニン」に出会った。
わたしのなかには、ずっと前から「悪い種が芽を出していたんだ」と
気づいた。きっともう「さよなら」するべきなんだなと思った。
漫画を読了後、この本はきっと、ずっと本棚に置いておいて、こんどこそ
手放さないだろうと思った。
そして改めて、YouTubeでTHE FIRST TAKEの中にあったASIAN KUNG-FU GENERATIONの「ソラニン」を視聴した。
この曲があれば、自分はこれから先なにを選んでも大丈夫だと思えた。
「ソラニン」を聴くたび、「ソラニン」を読むたび、わたしの心はなにかを受け取る。それはきっと「わたし自身」からなにか受け取るということだ。
そのなにかを、見逃さないように生きていきたい。
いつか「それもいいさ」と、自分に言える日がくるだろうか……。