できないと分かっているから憧れるんじゃないのかなって
こうなりたいという理想像が誰にでもあると思う。
わたしが特にそれを感じる瞬間は「家具」についてである。
何年前か忘れたけれど、あつまれどうぶつの森がリリースされたとき、わたしも楽しくプレイしていた。
あつまれどうぶつの森は自分で島をレイアウトしていくことができる。
それゆえインスタやTwitterにはたくさんの画像があげられていた。
わたしはそれを見るたびにこんな島いいなあ、こんなレイアウトいいなあ、こんな家具いいなあと思いを馳せて島づくりをしていた。
でも問題があった。
いいなあと思う島のジャンルが多岐にわたっていたのである。
例えば白を基調とした島、これはとてもきれいだと思う。
島のどこにいても純潔さを感じるし、あこがれの結婚式場のような空気を感じることができる。
一方で茶色を基調とした島、これもとてもきれいだと思う。
シックな感じで大人っぽい。やはり木に囲まれるのはとても心地が良い。
だからわたしは白を基調とした島づくりをしても、茶色を基調とした島がいいなあと思うし、茶色を基調とした島づくりをしても、白を基調とした島がいいなあと思う。
これは同時に叶えることはできないのに。
わたしはなぜ他のものがいいと感じてしまうんだろう。
理想はすぐに変化してしまうのである。
気付いたことは、自分ができないと思っていることだから理想が膨らむのだということだ。
白を基調とした島も、茶色を基調とした島も、そもそも何か一つに拘り続けることはわたしにはできないことである。(できたほうがいいんだろうけど)
だから強くあこがれるんじゃないのか。
実際の自分の部屋もそうである。
本当に統一感がない。
家具ごと丸ごと変えてしまいたいくらいだ。
でもそれはできないし、家具を変えても変えてもきっと満足することはないんだろう。
できないことへのあこがれって止まらない。
手を伸ばして掴めそうになったらきっともっと掴めないところにあるものを求めるんだろう。
昨日父とも話したが、(これは偏見だが)日本はできないことにフォーカスする風潮があると思う。
だから常に自分に劣等を抱えて、他を下に見たりうらやんだりすることで自分自身というものを保っているのではないのか。
自分自身を受け入れることができたら、何にもなれない自分自身にもっと満足できて、うらやむことなく楽しい人生が送れるのではないか。
というのは簡単だけど実行は難しいね。
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