過去は変えられないから美しい
この本に出会ったのは超受験生の高校3年生の頃だった。
文系のわたしは二次試験の対策で現代文の授業を選択していた。
その授業ではよくある形式で、問題を解いては解説を受けるタイプの授業だった。
わたしはもとより小説がすきだった。
小説がすきだったから、わたしは文学部に入って文学の研究がしたいと思っていた。
でもこの文章を読んで衝撃をうけた。
自分のもっている常識がひっくり返されたような気持だった。
この文章ではキウイに皮ごとかぶりつく描写があった。
わたしたちはキウイを食べる時、皮を剥いて食べていると思う。
普段は皮を剥いて食べているのだけど……というようなお淑やかさはどこにもなかった。
文章の中では気持ちを伝える正解がそれであるかのように当たり前に描かれていたのだ。
そしてキウイを皮ごと食べるということになんの違和感も感じなかったのだ。
不思議な気持ちだった。
わたしは大学に入学したら絶対にこの本を買おうと決めた。
書店をめぐってもなかなか見つからず、最終的にはネットで注文したような気がする。
『寡黙な死骸 みだらな弔い』
何を死骸とし、何をもってしてみだらと呼んでいるのか、きっと人によって解釈は異なるんだろう。
わたしは死骸は「過去」を意味すると思った。
過去はわたしたちに語り掛けてくることもないし、わたしたちの語り掛けに応じることは無い。
アップデートされることもないし、変化もない。
寡黙な死骸である。
過去はもう、生きていないのだから。
じゃあ過去にどうやって別れを告げるのか。
どう弔うべきなのか。
それが短編集になっている。
とても煌びやかな小説だ。
真っ白な部屋の中で凍えるようなシャンデリアを浴びているような小説だ。
ぜひ世界の真髄に触れてみてほしい。