諦めることと諦めないでよいこと
今日はオカルティックな話しです。
昨日、ポッポの師匠
もとい細美武士さんの発言
「諦めない」に関しての文章を
書き終えた後
しばらくして
フジロックで、
なぜあの時
「諦めない」という言葉に
こだわったかという
理由に気がついた。
それは、フジロックの一週間前からは、
かのイベントが
楽しみすぎて、
そわそわして、
仕事をしていても
イスからお尻が数センチ
浮いている状態だったので
忘れていたけれども。
それまでの数ヶ月間、
ずっとその「諦めること」について
考えていたからだと
思い至った。
*
数年前に
マドモアゼル・愛先生の
人は必ず欠損を持って
生まれてくるという
「月理論」を知り、
少しずつ理解を
深めつつある状態であり。
その上ここ数週間、
神経症の本を読む中で、
子供の頃に受けた
心的外傷の影響や
それがための犯罪者の心理を
過分析した研究を知り、
心が重苦しくもあった。
それらと相まって、
それまでに見聞きしてきた
理不尽な制度や
不条理な世の中、
地球の成り立ちについての
陰謀やオカルトの話しなどを
総合して考えた結果。
まとめると、
どうやらこの地球に
生まれついた人間は
誰一人残らず、
余すことなく、
罰ゲームの人生を送ることに
なっているなのではないか
という結論に、今の所至った。
*
それは、
ディープステイトの人々や
全世界で、たった4人だけの
ダイヤモンド採掘権を持つ
ユダヤ人も、
どこぞのゲイツさんでも
漏れることなく適応される。
その人が劣等感を持ち、
喉から手が出るほど欲しているものは、
一生をかけても
決っして手に入る事がないように
決まっているという事を、
どうあがいても
決して幸せになれることはない、ということを
明らかに見て、
諦めた時、
その人の人生が
初めてスタートするのではないか
という事を考えて
数ヶ月過ごしていたから、
細美さんの「諦めない」大切さに
引っかかったのだと思う。
*
「諦める」のは
ひとつで良い。
あとは諦めなくて良いのだと
希望が持てたきっかけが、
細美さんの言葉であり
Foo Fightersの
さえぎるもののないステージを
見られた事であったのだろうと思う。
*
意識とか、占星術とか
ニンゲンの成り立ちとか
隠された真実だとか
記憶装置としての
水の役割だとか。
これからまた
考えが変わってくるかも
しれないけれども、
今の時点での考察がどうか
これからも考えて
自分も含め
よく世界を観察して行きたい。