ランタン祭り 事業を成功させた先にあったのは、増えた『仲間』と増えた『敵』
【秋芳洞商店会ふるさと台湾友好ランタン祭り 本番】
点灯期間が4日間あり、そのうち1日に点灯式やステージイベントを予定した祭りを開催した。
この祭りの約半年前、美祢JCが第1回の美祢ランタンナイトフェスティバルを開催。盛大に盛り上がった。実行委員長の秋山氏より、
『次はそっちだね。持ってるか、持ってないかが試されるね』
と、素晴らしくプレッシャーをかけられたことが記憶に残っている(祭りの途中から雨が降ったこともあり、半分持ってなかったですねと返した【悔しい】)。
ふるさと交流大使 入山アキ子さんはじめ、安富屋の応援歌を作ってくれていたマウンテンマウス、湯田の路上でアコーディオン弾いて🪗おられた上田さん他、地域の方々に喜んでもらえる方々にはSNSのDMや電話などで出演を依頼し快く受けていただいた(謝礼は多く払えるほどはなく、交通費程度にもかかわらず皆様ありがとうございました)。
そして、集客に寄与してくれたジバニャン、妖怪ウォッチは未だに一回も見たことがないが・・・時期があっていたこともあり、凄い破壊力。子供達が来る来る。そしてその親も来る来る。しかしとんでもない時給取るな!ジバニャン。
秋芳洞に向かう通路に竹灯籠の設置などは商店会の会員が協力。点灯式やその他、多少の雨に降られた以外は問題なし(雨天の対策もシュミレーションしていたので、実行委員会の方達の迅速な対応もあり、大きな問題にはならなかった)。
真冬の2月に、3000人以上の来客を見込めたことは、大成功だった。
後日の市議会のテレビ放送では、市長より、名指しで労を労われたのは、かなり異例のことだったらしい。\( 'ω')/
秋芳洞商店会に対し、この祭りの功績により次年度から3年間限定で各70万円の補助金をいただけることとなった。僕がこの祭りを仕切ったわけだが、その先の補助金もずっと中心で使い続けてはひたすらやり続けなくてはならない。その上他の人たちの経験が伸びないという助言を受け、その後の補助金の使い道は活性化委員会を立てて委員長に任せ、サポートに回ることになる。
継続を希望していた祭りではあったが、次年度より国の補助金制度が無くなった。あと1〜2年、国の補助金で継続した上で自立を目指して行きたかったのだが、残念ながら一回のみの祭りとなった(力不足)。
この事業を通して得た経験は、
『新しい挑戦をし、事業を成し遂げた経験は仲間を作り、そして敵を作る。』
『イベントを主催する人の苦労を理解できるようになる』
などである。令和4年、同会場で行われる予定だった『萌えサミットin 秋芳洞』は前日の春の嵐でテントが全滅し
中止せざるを得なかったが、その時の悔しさも痛いほどわかるし、応援、協力していこうと心から思える。
いきなり降って沸いて、全力で取り組んだ1年間のミッション、ランタン祭りだったが、その後の僕の人生に大きく影響を与えている。