「至高の運命」に導くもの
「菜根譚」(さいこんたん)
という地球の宝とも言える名著を今更ながらに読んでいる。
名著であるにも程がある…激アツの宝だ。
400年も前に中国で生まれた処世訓
どんな本なのかというと
めっちゃ平たくいうと
生きるうえで私たち人間が人生を成功させるとは一体どんなことを言うのか?を教えてくれるまさか!のルールブックみたいな本。
例えばこの世には、あの有名なボードゲームである「人生ゲーム」があるけれど
遊び方を知らないままルーレットを回しはじめたりはしないし、ピンの人間を車に刺してコマを進めてきゃーきゃー楽しんだりも出来ない。
ルールを知ってるから
遊び方が分かってるから人生ゲームは意味がより一層リアルで面白い
あれが1人の人間の一生というゲームだとしたら
同じように私たちの人生も、ある種のルールブックが存在していて、遊び方と基本ルールがある。
このゲームをより躍動感味わいながら楽しむためにはルールを知っておくと非常に人生が濃く深く、奥行きのあるものになると私は思っている。
もちろん「人間の一生というルール」を知らなくても遊べるけれど
より達成感を感じられる生涯にしたかったり
より自分を愛せたり、自分の存在そのものを大好きになれたり、自分の生き方を誇りに思うようなものにしたいと思うなら
確実にルールブックは一読しておいたほうがいい。
そんな「菜根譚」のはじめのほうには
人の人生は自分の心の在り方が決めている
ということを言っている
誰かと同じ景色を一緒に見ていても
厳密に言えば
それは同じ感想にはならないし
それは同じ感動にはならない
たとえば
名探偵コナンがいつも言っている
「真実はいつもひとつ!」という言葉
菜根譚が端的に言うならば
「真実は人それぞれ!」
であーる。
現象や事実はひとつ だけれど
その人にとっての真実しか
その人にとっては感知できないわけで
心が塞ぎ込んでいたら、
どんな景色にも物足りなさを観るし
心がざわついていれば、
どんな景色にも恐れや心配を観るし
心が寂しさを抱えていれば
自分に愛を満たす気持ちがなければ
どんな景色にももっと欲しい、
もっと私を満たして欲しいという飢えを観ることになる。
そして、それが
その人にとっての真実
となる
自分がどんな現実世界に生きていたとしても、
どんなに恵まれた環境に生きていたとしても
どんなに人から羨ましいと言われる自分であったとしても
どんなに可哀想な人だと思われていたとしても
自分が受け取りたい、信じたい考え方を
そして、それは大抵
昔からずっとワタシなんてそうだった
とか
親もそうだったし、そう言われてきたから
とか
だって、そういう人達みたいにはなりたくないから
だって、そんな風に生きたらみんなから嫌われてひとりぼっちに孤独になっちゃう
とかを信じていたりする
そして、それが
その人にとっての真実
となる
この自分自身が
いま目の前にある現実に何を見出し
何を感じて何をどう受け止めて、どう捉えるか?はその人次第であるということ。
そしてそれは絶対的に自由であり
絶対的に自分だけで決めていい権利で
本質的には誰にも制約などされていないその人にのみに描くことを許される「運命」というドラマのはずである。
これが「自分だけの運命」になっていくのだと思う
つまり、心の風向きが運命に自分を導いていき
ゲームの行く末を決めているのだと思う。
菜根譚という書は
アンタの人生、楽しくするも難しくするも
アンタ次第なのよ
と、読む人自身に
受け身でいちゃダメよ
全ては自分の責任なのだから
という鋭い命題を突きつけてくれる
あぁ、シビれるわ。。♡
先日、女友達みたいな男友達と飲んでいた時
「俺は運命的な出逢いをずっと探しているんだ、その子はきっと今もどこかにいて、その子はきっと清廉でしとやかで美しい俺の理想の人なんだ」
と言っていた。
彼はその「運命の女性に出逢う」ために
相当数の女の子とまみれては別れを繰り返している…そんな生活をもう11年している
その「運命の女性」がやって来てくれないから
まだ結婚はできないのだそうで
付き合って欲しいと真剣に寄ってきた女性がいたとしても「多分、きっと彼女ではない」と、真剣に付き合う事はない。
目の前の「真剣」から逃げて
どこかにある「運命」に逃げ込んでみる
運命というカタチに依存するのは
もしかすると美しい「逃避の正当化」なのかもしれない
彼の言葉に続いて私は
「私がこの人と愛し合いたい、恋愛したい!と思った相手は必ず堕ちる。だからいつだって人生は私の一存でガラッと変わると思ってる。ワタシ次第で。運命の相手なんていうのも沢山いると思ってるから自分のこの感覚で決めてる」
と言った。
「すげぇ…自信。」
と、彼は笑いもせず変な生き物を見るかのような眼で私を見ていた(笑)
私は運命なんて待たない
少なくとも私にとっては、そういうものである。
出逢うことを夢見て期待という言葉に似た依存はしたくないなぁと心に留めている。
だってこの人生という短い宴はワタシのものでしょう?なんでそんな「運命からの受け身」なのよ
オーダーするのはコッチやろがい
と、思ってしまうくらいがちょうどいいのではないだろうか?
謙虚さとしたたかさ
優しさと厳しさ
制約と許容
どちらも大切だ
そして、全てはバランス感なのであると思う。
だからいつ死んだとしても良い
今日までこの自分の人生は悔いなく幸せだった
と言えるような気持ちで毎晩ベッドに入ろう
私はそんな自分で決めた約束を、スローガンを大切にしていたい。
自分だけの幸せを生きようと吟味しすぎて
それは「貪欲」になっていないか?
自分らしさを大切にしようとして
それは「怠慢」になっていないか?
若いうちは学ぼう、大きく成長しよう
という慎ましさが微笑ましい
歳を重ねると経験値が増えていく私たち大人はとても簡単に省エネモードになりやすい
もっと自分とぶつかり
自分の謎に迫り
自分の生きづらさを明確にして
本当の自分とはどんな生き物なのかを追い求める微笑ましさが欲しい
若さとはもっと成長したい!もっと知りたい
もっと良く生きたい!命を使い切りたい
死んでも後悔なく、堂々と誇らしげに棺桶に入れるように。
と思える心なのだと思うから。
だいたいこんなことを語ると
アンタ、中身は一体何歳の人が入ってんの?
と突っ込まれる。
ハイ。失礼しましたー