見出し画像

第八話 愚者 三

もくじ 2,030 文字

 一方、ブルーシートの辺境地帯――
 マサオにどやしつけられても、川崎の態度に変化はない。ぴんと背筋を伸ばしてあぐらをかき、無表情のまま沈黙を貫いている。
 めつすがめつ川崎の顔を覗き込んでいたマサオだったが、不意に首に抱きついた。その状態からブランコのように、自分の体を揺らし始める。
 松浦と五所川原は、吹き出しそうになった。川崎は、子供におもちゃにされた大仏も同然だった。無反応であることを逆手に取られ、いいように遊ばれてしまっている。
 だが、二人は、一方で警戒も怠っていなかった。地下のマグマは着実にエネルギーを溜め込んでいる。このままマサオを無視し続ければ、いずれ怒りが爆発するだろう。
 ところが、マサオは意外な行動に出た。
「そうか……。俺の言い方が悪かったんだな」
 硬直した首から腕を外して、しんみりとつぶやいた。
 川崎の前に正座すると、
「すまん!」
 がばっとシートに額をこすりつける。
 然とする松浦と五所川原。この急な態度の変化はいったい何なのか……。
 戸惑っている間に、マサオが顔を上げた。川崎の仏頂面と見つめ合ったのち、松浦に顔を向け、小さくうなずく。五所川原に対しても同様の仕草をすると、ちびりと酒を舐め、何やら己の美学らしきものを開陳し始めた。
「お前らが飲めないことくらい知っている。だから、ビール一杯でいいって言ってやってるだろ。かく言う俺も、いつも楽しく飲んでるわけじゃねえ。たまには、気が乗らないときだってあるさ。でもな、そんなときにあえて飲むからこそ、仲間の絆ってモンを確かめられるんじゃないのか。バイトとか、車の運転とか、色々事情はあるだろうが、お前らにとって、いちばん大切なものは何だ? 仲間だろ。違うか? 俺は、注がれた酒を黙って飲み干す男の姿を見ると、ああ、こいつは一生俺を裏切らないなって思えるんだよ」
 警官が通りかかったら、連行されてしまいそうな美学だ。岡崎がそっと教えてくれたところによれば、今の時期、大学で配布される一気飲み防止の啓発パンフレットには、よくこの手の人物が登場するという。若者受けを狙った漫画タッチの挿絵に、悪い先輩や友人として描かれ、時代遅れの言葉遣いやファッションが、学生たちのささやかな笑いを誘っているのだとか。
 もう一度、マサオをうかがう。
 自信に満ち満ちた顔、酔うほどに滑らかに動く舌……なるほど、ここにおわすマサオ先輩こそは、要注意人物の筆頭格に違いない。
 ――本人は、自分の言動を、悪だと自覚していない場合があります。
 パンフレットには、そんな注意書きもあるかもしれない。
 だが、三人の態度に、変化は見られなかった。マサオが熱弁を振るっている間に、松浦たちは自分たちの会話を再開していた。
 蚊帳の外に放り出されたマサオ。それでも怒らない。むしろ、三人に憐れむような目を向けて立ち上がる。
「どうやら、俺の気持ちは伝わらなかったみたいだ」
 邪魔したな、と手を挙げ去っていく。憂いを帯びた背中。千鳥足が危なっかしい。
 自分の居場所に帰り着くと、シートにあぐらをかき、今やマサオ専用となった日本酒の紙パックをつかみ上げた。ひしゃげた紙コップに中身を注いでいく。
 あきらめてくれたのだろうか?
 否。
 そんなわけがない。
 マサオがおとなしく引き下がったのは、己の美学が、三人の心を捉えたと確信したからにほかならない。その証拠に、手酌でちびちびやりながら、今も三人に粘着質な視線を送っている。
 ――あんな態度を取った手前だ、あいつらも照れくさいんだろう。そのうち、おずおずと俺を迎えにくるはずだ。和解の言葉を聞くのは、それからでいい。今は奴らの気持ちを考えて、少し時間を与えてやろうじゃないか。
 ゆっくりうなずいたマサオは、紙コップを口に運んだ。

「ちくしょう、何で俺だけ」
 岩見沢がだるまのようにひっくり返った。どてっ、とシートに大の字。仲間たちの笑いが渦巻く中、自分が捨てたジョーカーも、カードの山の上でシニカルに笑っている。
「お前、弱すぎだよ」
 真一は、呆れ半分同情半分気持ちで、岩見沢を見下ろす。岩見沢はこれで三連敗。ババ抜きでこの結果はあまりない。狙ってできるもんじゃねえな、と岡崎が言うと笑いがぶり返し、岩見沢も仰向けのまま、へっ、と自虐的に笑った。
「じゃあ、ババ抜きは終わりにしてやるか」
 益田がみんなの中心に身を乗り出して、カードを集め始める。
「で、次に何をやるかだな……」
 カードをシャッフルしつつ考えていたが、一人で決めていいものではないと思ったらしい。皆の顔を見回し、右手を挙げて、何かやりたい人ー、と尋ねる。
「こいつの好きなものにしてやったら?」
 岡崎が岩見沢を顎でしゃくった。
「そうだな……。おい、何がやりたいんだよ」
 無防備な脇腹を益田がつつくと、岩見沢はがばっと跳ね起き、落武者のように髪を振り乱した。泡食った表情に、また笑いが上がる。

いいなと思ったら応援しよう!

鈴木正人
よろしければサポートお願いします! いただいたサポートは、取材費、資料購入費に使わせていただきます!