第十話 愚者 五
もくじ 2,928 文字
「みんなパス? じゃあ、流すよ」
岡崎が溜まったカードを脇に寄せた。すぐに上体を起こして、手札に目を落とす。
「4二枚」
捨てられたのは、スペードとクローバーの4。
「二枚で来たか……。じゃ、ほらよ」
真一は、ハートとクローバーの6を捨てる。
「じゃ、7二枚」
「10二枚」
「おっ、続くね」
マサオは、自分をのけ者にした三人を、暗い目で見つめている。一時の戸惑いが去ってみれば、またふつふつと怒りがこみ上げてきた。
いったい、こいつらは何が気に入らないのか……。
言い出しっぺの義務は果たした。怒鳴りたいところも、ぐっとこらえてきた。こんな礼儀知らずども相手にも、常に一歩引いて接してきたつもりだ。
川崎に土下座した場面が蘇る。
あそこまで謙った行いはないだろう。顔は笑っていたが、腹の中は屈辱で一杯だった。煮えたぎる思いを呑み込んで、頭を下げたというのに……。
これ以上、何をすればいいのか。まだ自分に至らぬ点があるのか。
これまでの行いを振り返ってみる。
――いや。
そんなものはない。
やるべきことはすべてやった。
俺は悪くない。
責められる理由などどこにもない。
俺が悪くないのなら、悪いのは誰だ……?
こいつらだ!
この平和ボケした畜群どもだ!
下手に出てりゃ、いい気になりやがって!
酔っぱらった脳みそが弾き出した解答によって、五所川原につかみかかろうとする。しかし、襟首までその手は伸びず、代わりに、シートの紙コップをつかんだ。ぴたりと動きを止めるマサオ。憤怒の形相で五所川原を睨みつけたが、それ以上の行為に及ぶことはなく、立ち上がって三人に背を向けた。躓きそうになりながら、自分の居場所へ戻っていく。
日本酒の紙パック、食べ散らかされたオードブルの品々、口を開けたクーラーボックス――それらの中心に主が帰り着くと、荒んだ光景が復活した。
ぽつんと酒をすするマサオ。
川崎たちの明るい声が、明るさの分だけ空虚に響く。
紙コップを握る手が小刻みに震えている。怒りのためか、酔いのためか、マサオ自身にもわからない。
歪んだ水面が、じっと見つめ返してくる。潤んだ瞳のようだ。
辛抱だぞ、マサオ――そう訴えかけているようにも見える。
酒は自分を裏切らない。一人になっても、こうして慰めてくれる。
くだらない仲間などいらない。酒だけを友とすればいい。不愉快な連中のことなど忘れてしまえ。
そう思いかけたが……。
「ふんっ」
荒っぽく日本酒のパックをつかんで、ひしゃげた紙コップに酒を注ぎ足した。それを口に運ぼうとして一旦手を止め、三人を睨みつける。
もう一度、あいつらにチャンスをやろう。こいつは賭けだ。
酒は神水――
酒には悲しみを癒やし、怒りを鎮める力がある。そいつを信じようじゃないか。この酒で爆発しそうな心を落ち着かせることができたら、今までのことは問わない。数々の非礼もきれいさっぱり洗い流して、新たな気持ちで奴らと向き合ってやるつもりだ。
だが――
覚えておけ――
もし、紙コップが空になるまでに怒りが収まらなかったら――
今度こそ、タイムリミットだ!
真一たちのところでは、だいぶゲームが進行していた。全員、カードの残りはあとわずか。何となく勝負の行方が見えて、誰もが笑いを噛み殺している。
果たして、結果が確定した。
トップは西脇。二位は益田。三位が真一で、四位は岡崎。「平民」 の真一と岡崎にペナルティーはないが、「貧民」 の美汐は、強いカード一枚を 「富豪」 に献上する義務がある一方、弱いカード一枚を受け取らなくてはならない。
残る岩見沢だが……。
あろうことか、彼は、「大貧民」 になってしまった。「大貧民」 は 「貧民」 の下。つまり、負けの下の負けである。
またしても、シートにひっくり返る岩見沢。いったい彼はどうしてしまったのか。自分で得意と言ったゲームでさえ、この有様だ。
「お前、寺でお祓いして帰ったほうがいいぞ」
益田にそんなことまで言われてしまう。確かに、ここまで負けが続くと、何か悪いものでも憑いているのではと疑いたくなる。ちなみに、寺とは、公園の親水ゾーンに隣接する寺のこと。厄除けのほか、商売繁盛、家内安全、学業成就、良縁祈願等、各種祈祷も受け付けている。
カードが配り直され、全員の手に行き渡った。
西脇から受け取ったカードに目を落とした岩見沢は、苦虫を噛み潰したような顔をして、自分の手札に加えた。美汐と益田も一枚ずつカードを交換したが、二人の表情は変わらない。
「じゃあ、弱いのをまとめて処分しとくか」
岩見沢がカードを三枚捨てる。ダイヤの3、4、5。
「うっ、シークエンスかよ。俺はパス」
益田が顔をしかめる。
「幸先いいな」
「いやいや。ここからが大変なんだよ。俺の手札見たら、お前、笑うぞ」
岡崎の言葉にも、岩見沢の渋い表情は変わらない。
「じゃ、皆さんには悪いけど」
西脇が余裕たっぷりの手つきで、カードを捨てた。ハートの12、13、1。早々に場が流れることが決まった。
「えっ、ちょっと待ってよ。せっかく連番あったのに!」
美汐が悔しがって膝を叩く。真一も舌打ちした。美汐の手札は知らないが、真一はスペードの8、9、10を持っていたのだ。自分に有利にゲームを進められるかもしれないと、淡い期待を寄せていたのだが……。
ぐしゃり、と紙コップが握り潰された。シートの真ん中で立ち上がったマサオが、全身から凶々しい気を発散させて、松浦たちのところへ向かっていく。だらんとぶら下がった両腕が振り子のように揺れ、まるでゾンビが歩いているようだ。
三人の前で足を止めた。
「どれだけ俺に恥をかかせれば気が済むんだ、おう。お前ら、今年でいくつだ? 二十二だろう。注がれた酒ぐらい飲め。世の中、そうやって回ってるんだよ」
知っとけガキども、と吐き捨てる。
酒の力をもってしても、マサオの怒りを鎮めることはできなかった。むしろ、火にアルコールを注いで逆効果だったと言える。
「それとも、アレか。酔っぱらいをからかって楽しんでるのか。俺をおちょくって物笑いの種にしようって腹か。図星だろう。お前らの考えなんて、どうせそんなところだ。知ってるぞ、さっき俺のほう見てこそこそしてたの」
吊り上がった目は血走り、固く食いしばった歯の隙間からは、熱い息が漏れ出している。沸騰したヤカンに目と鼻と口を描いたら、きっとこんな感じになるだろう。
川崎と五所川原は、いつの間にか将棋を指している。松浦も対局に口を挟んでいて、マサオが入り込む余地はない。おもむろにしゃがみ込んだマサオは、三人の結界を叩き壊すべく、五所川原の肩を突き飛ばした。あぐらをかいた五所川原の上半身が後ろに弾かれる。さすがに無視できず、シートに手をついてマサオを睨みつけた。
「何だ、その目は。俺がうぜぇか」
マサオの声が暗く沈んだ。五所川原の目つきが気に入らない。川崎は無視するだけだったが、こいつは反抗的だ。
「俺がうぜぇかって訊いてるんだよ」
青筋の浮き上がった顔で、メンチを切り返す。
五所川原の頬を、生暖かい風が舐め上げた。
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