第三十三話 山水に遊ぶ その三 飴色の竹竿
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小学生の頃、真一は父親が勤める工場の郊外移転に伴って、一度転校を経験している。低学年の頃まで、わりと都会のほうに住んでいたのだが、四年生に上がる直前に引っ越した先は、都会と田舎の境目に当たる新興の団地だった。切り開かれた山の上に、当時としては先進的な街並みが広がっていた一方、山の麓には、昔ながらの素朴な田園風景が残されていた。山の森もほぼ手つかずの状態で残り、谷戸の畦道から見上げた緑の合間に、四角い住棟の上階部分が規則正しく並んでいた様子を、今でも鮮明に思い出すことができる。一部の評論家が言っていたように、それは、戦後の急速な社会発展のひずみを象徴する光景だったかもしれない。だが、子供心に難しい理屈はわからなかったし、遊んだ体験のほうがずっと重みを持っていたので、かけがえのない少年時代の原風景として、今も胸に刻まれている。
団地が造成されたのは、七十年代の半ば頃。真一の家族の入居は遅いほうだったが、住人は皆よそ者の集まりだったので、変に新参者扱いされることもなく、一家ですんなりと団地の人の輪に溶け込むことができた。子供の数も多かった。同じ棟だけで、同学年の子供が五人もいた。
遊び場として人気だったのが、街区の南西にあった公園だ。団地の外れに位置するこの公園は、中途半端に余った土地を活用して造られ、ほかの公園よりも広かった。遊具も豊富にあり、いつも元気いっぱいの子供たちの声が溢れていた。
公園の裏手に迫る森に、山の麓まで続く秘密の道の入り口がある。段違いの鉄棒の後ろに、ぽっかり口を開けたそこは、真一たちにとって、非日常世界への入り口だった。薄暗い森の斜面をうねうねと下っていく不思議な小道。誰が何のために作ったのかわからないその道を辿ると、山の麓まで五分とかからない。学校から、危ないから通るな、と言われていたが、通告を守る子供はいなかった。山の麓は、絶好の遊び場だったのだ。
夏休みには、毎日のように、麓の野川まで通った。森の坂道を抜けると、真っ白な陽射しが降り注ぐ夏野が出迎えてくれる。眩い黄緑色の草むらを目にした瞬間、たまった宿題のことや親との約束事など、日常の煩わしい事柄は頭から吹き飛んだ。
草むらの合間に、白い未舗装の道が伸びていた。むんと草いきれのするその道を、竿やバケツを手に、友達と下らない冗談を飛ばしたり、流行歌の替え歌を歌ったりしながら歩いた。川まで歩く道のりもまた楽しかった。炎天下の夏野道、友達の笑い声、安っぽいゴム草履を踏みしめる感触――これらもまた、鮮明に残る思い出のかけらだ。
やがて、道の先から、ちょろちょろと涼しげな水音が聞こえてくる。この音を聞くと、誰も彼も居ても立ってもいられなくなり、我先にと走り出した。最後はいつも駆けっこ競争。粗末な石橋にケタケタと笑い声が到着して、夏の一日が始まる。
ところで、オイカワのオスというのは、なかなか釣れない。メスを何十匹も釣って、やっと一匹釣れるかどうか。メスに対して、オスは圧倒的に数が少ないのだ。だから、婚姻色の出たオスを釣り上げたときは、棒アイスの当たりを引いたときよりも嬉しかった。友達にもうらやましがられ、その日一日、ヒーローになった気分でいられた。
「いけね、こいつの針外してやろう」
オイカワが思い出したように尾っぽを跳ね上げ、真一は回想から抜け出した。マサカズに手本を示すべく、そっと魚を握って針から外す。ぽちゃん、とバケツに放った魚は、弾丸のように水の中を行き交っていた。
この場所で魚が釣れることはわかった。ただ、二人で一つのポイントを共有するのは窮屈だ。真一はマサカズにほかの場所を探すと伝え、エサを少しだけ分けてもらった。バケツはどうしますか、と訊かれたが、釣った魚はすぐ放す、と言って砂地をあとにした。
石畳の遊歩道に戻ると、浅い新緑に染まる道を、川上へ向かって歩いた。吊り橋の袂に立っていた看板によれば、川沿いの遊歩道は、橋から四百メートルほど先の小渓が交わる所まで続いている。道の終点にある四阿からその流れを遡れば、小さな滝に行き当たるそうで、夏場はいい納涼スポットになりそうだ。
むろん、そこまで足を伸すつもりはない。マサカズにトラブルがあった場合に備えて、声が届く範囲で竿を出すつもりだ。
石畳に降り注ぐカジカ音に、歩きながら耳を澄ませる。
右手に握る竹竿は、飴色に日焼けしていい感じ。
竹竿なんて手にしたのは、何年ぶりだろう。少年時代以来、ずっとそんな機会はなかった。
小学校のそばに、雑多な商品を扱う文房具屋があった。団地造成のために、土地を手放した夫婦が営んでいた店。花火も水風船も駄菓子もメンコもガンプラもキン消しのガチャガチャも、子供のニーズに何でも応えてくれる。あの時代、どこの街にも一軒はあったはずの小学生の溜まり場だ。ちょうど、ジュニアスポーツ自転車ブームの終わり頃で、店の前にゴテゴテのリアフラッシャーやシフトレバーが付いた自転車が、ずらっと並んでいたことを覚えている。出入り口の脇にあった新幹線ゲームとルーレットゲーム――「ピカデリーサーカス」 という名前だったはず――のうち、後者が故障して使えなくなってしまったことも。
真一は、エサも釣具もこの店で調達していた。エサはサシ、ウキは玉ウキしかなかったが、野川で遊ぶには十分だった。店には一応、竿も置いてあった。虫取り網などと一緒に、長細い段ボール箱に突っ込まれていた、店主お手製の竹竿だ。釣具屋で売っているメーカー製の竿に比べたら破格の安さで、真一だけでなく、友達もみんなこれを使っていた。多少壊れたくらいなら、ただで直してもらえたので、親たちも喜んでいた。
使い込んだ竹竿には、いくつもの快哉を叫んだ瞬間が刻まれている。
悔しかったことも、釣り以外の思い出も。
いちばん釣りが上手かった友達の記録を破ったこと。それをすぐに別の友達に塗り替えられたこと。野川へ向かう道すがら、道端の桑の実を採って食べた (これは夏休み前の話)。どどめ色って桑の実の色なんだぜ、と誰かが自慢げに言っていたが、不気味な語の響きに反して、実は甘くておいしかった。釣りに飽きたら、竿を放り出して、カブトムシやクワガタ捕りに熱中した。川原にまばらに生えていた柳の木では、コクワ、スジクワ、ノコ、ヒラタ、稀にミヤマ、と何でも捕れた。
頭上を横切る虫の羽音。小道に立ち込める夏草の匂い。一つの木から別の木へ移動している最中、ハチの巣をうっかり刺激して、ハチの大群に追い回された。マムシに咬まれたと叫んだ奴がいて、よく見たらヒバカリだった。遊び場の境界線を巡って、ほかの街区や古くからの土地の子供たちと争いになったこともある。
良かったことも、そうでなかったこともたくさん……。けれども、時が経てば、みんないい思い出に変わっているから不思議なものだ。
あの飴色に日焼けした竹竿は、もう手元に残っていない。どうせ安物だから、とすいぶん前に処分してしまった。今思えば、惜しいことをした。あれは、少年時代の思い出が詰まった特別な一本だったのだ。単純に、金銭に置き換え難い価値があったと思う。
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