第十一話 愚者 六
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「お待たせー」
そのとき、遊歩道のほうから、女の子の声が舞い込んできた。仲間たちが一斉に声のしたほうを振り返る。桜並木の合間に、膨れ上がったレジ袋を持って歩く男女の姿。買い出しに行っていた宇和島と高萩さんが戻ってきたのだ。片手が空いた高萩さんが、ブルーシートに向かって手を振っている。
わーっと明るい声が広がった。昼食からだいぶ経って、みんな小腹が空き始めた頃だったのだ。
第三広場は、一見辺鄙な場所にあるようで、実はコンビニからあまり遠くない。西の山に穿たれたトンネルを潜って坂道を下ると、大きな戸建住宅団地に抜けられる。山沿いの道路を渡れば、すぐ目の前がコンビニだ。
二人が到着すると、野田が立ち上がって、高萩さんから袋を受け取った。後ろの仲間にそれを渡し、宇和島からも袋を受け取る。
「重たかったー」
高萩さんが全身で息を吐き出した。お疲れー、大変だったね、とねぎらいの声がかかる中、シートを進んでいき、大月さんの隣に腰を下ろした。両手に大きな袋を持っていた宇和島は、歩いた距離が短くても、身に堪えたのだろう。つらそうに顔を歪めて野田と話している。
「お前はどうだ。俺がうぜぇか」
マサオは川崎のほうにも顔を向けたが、川崎の態度は一貫している。将棋盤から目を離さず、五所川原と松浦の声にしか反応しない。
五所川原と松浦も、酔っぱらいの扱いには慣れたようで、松浦はのんびりコーヒー牛乳を飲み、五所川原は飄然と顎をさすりながら、次の一手を考えている。
鉄のトライアングルは、簡単には崩れそうにない。
マサオのイライラが募っていく。
「はい、パンの人誰ぇー」
レジ袋の近くに座っていた美汐が、「あんぱん」 と書かれたビニールの小袋を掲げた。ほかに何があるの、と訊かれるとレジ袋を覗き込み、ジャムパン、クリームパン、白あんぱん、と品名を読み上げていく。が、途中でみんなに見てもらったほうがいいと気づいたらしく、円座の中心に袋を押しやって中身を空けた。
「ほんとに甘いものしかないな……」
パンの山を見下ろしながら、西脇が不満そうに言った。西脇は辛党だ。将来、雑貨屋を開くことが夢だが、経営が危うくなった場合、カレー屋との兼業でしぶとく生き延びたいと語っていた。公園下のレストランで働いているのは、飲食店の仕事を学ぶため。
そんな彼は、チョココロネを選んだ。
「それがいちばん甘いだろっ」
間髪容れず、仲間たちがツッコむ。
高萩さんによれば、コンビニの棚には、ほとんど菓子パンしか残っていなかった。おにぎりもほぼ売り切れ。花見の時期だから、弁当と一緒に、おにぎりや惣菜パンを買っていく客が多かったのでは、というのが彼女の推測だ。
「じゃあ、それにするよ」
拗ねたように唇を突き出して、うぐいすパンを指さす西脇。
「渋すぎるだろっ」
仲間たちが再びツッコんだ。
「おい、いいかげん、こっち向いたらどうだ」
マサオの声は、一段と凄味を増していた。川崎たちの態度に変化がないとわかると、カニの横歩きよろしく、しゃがんで三人の周りをうろつき始める。火の玉みたいな赤ら顔が、浮き沈みを繰り返しながら巡回していたが、やがて松浦と五所川原の間で止まった。左右に行き来する目が、どっちに取り憑いてやろうか決めかねている。
そのとき、川崎が冗談を言った。はっきり言って面白くなかった。普段なら、ブーイングが出るところだろう。
ところが、五所川原は笑った。大声でゲラゲラと。松浦もシートを叩きながら、大げさに笑う。言った当人の川崎まで笑っていた。
高々と響き渡る笑い声の前で、マサオの孤立ぶりがくっきり浮かび上がる。
もうマサオを繋ぎ止めるものは、何もなかった。
彼は、ついにブチ切れた。
「男と男が分かり合うために会話はいらねえ! 黙って酒を酌み交わすだけで十分だ!」
四つん這いになって、三人の中心目がけて突進する。
「うおおおーっ」
一瞬で場を占領すると、両手で将棋の駒をひっつかみ、わめきながら四方八方に投げつける。鬼はー外ー、福はー内ー、と五所川原にセリフをつけられるも、怒りでいっぱいの耳には届かない。脳天で将棋盤を叩き割り、蝶番が外れた板を力いっぱいシートの外に放り投げる。二枚の板がそれぞれ大きな弧を描いて飛んでいき、一枚は芝生に突き刺さった。再び四つん這いになって、プロペラのごとく両腕を振り回す。指先に当たった紙コップが中身をぶちまけながら吹っ飛び、うおっ、と松浦が間一髪、横っ飛びでかわした。立ち上がったマサオは、コーヒー牛乳の紙パックを踏んづけて爆竹みたいな音を轟かせ、それを号砲に、お茶のペットボトルを蹴り上げ、紙皿を引きちぎり、割り箸をへし折って、シートに落ちた食べ物と一緒に所構わず投げつける。やったれー、やったれー、と並んで冷やかす川崎と五所川原には目もくれず、パーティー開けした袋の上のスナック菓子にニードロップを食らわせ、交互に膝を動かして粉々に砕く。それでも飽き足らず、菓子の上に仰向けになって、駄々をこねる子供のように身悶えながら、さらに細かくすり潰す。両足もバタつかせ、当たる物があったら、何でも蹴飛ばしてやろうとしている。ハチャメチャのやりたい放題。シートの上はひっちゃかめっちゃか。興奮したイノシシが民家に突入した図のごとき、凄まじい暴れっぷりだ。これがドリフのコントなら、締めのあの曲が流れていることだろう。
「死にさらせーっ」
野獣と化したマサオは、菓子くずまみれの体で川崎に体当たりにいった。マサオが物に当たるとばかり思い込んでいた川崎は、脇腹に頭突きの直撃をもらって、激しくシートに倒れ込む。うめき声を上げて、起き上がることができない。
宿敵川崎をやっつけたマサオは、今度は松浦に突進していった。だが、同じ手は通じず、松浦はマサオの頭をがっちり受け止め、背後に回って腕を取る。
「もう一本も押さえろ」
「よっしゃ」
五所川原が、すかさずもう一本の腕も封じ込めた。
「こんちくしょう、放せ」
両脇を固められたマサオは、抵抗することができない。
二人は罪人を引っ立てるように、誰もいないシートの中央へと歩き出す。
なす術もなく引きずられていくマサオ。わめこうが、もがこうが、彼らの足は止まらない。
松浦と五所川原が、どちらからともなく目を合わせた。
二人はニヤリと笑った。