第五十八話　海水浴　その四　勇者ライディーン

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　全員食べ終えたところで、少し休ませて、と言った真帆をタープに残し、再び海へ向かった。
　脛すねくらいの深さの所まで行って、さっきと同じように体に水をかけ、冷たさに慣らす。
　ざあーっ、と足元を白波が通り過ぎていく。水面に残った泡がしゅわしゅわと弾け、ひんやり潮の香りが立ち昇ってくる。それが無性に懐かしい。砂浜に上がって休んでいるうち、いつの間にか冷たい水が恋しくなっていた。
　水平線に向かって歩き出すと、真帆が言っていた通り、さっきより波のサイズが上がっていた。今日の潮回りは忘れてしまったが、上げてくる水の量が多く、波のサイズ変化が顕著だ。
　腹くらいの深さのところで、全員足を止めた。向かってきた波に身を委ねて、久しぶりの浮遊感を味わう。沖合で中型のボラが飛び跳ねている。ビッタンビッタン水面に体を打ち付ける様に、松浦が、さっきの岡崎みたいだな、と言ってみんなを笑わせる。さらに岡崎を見て、今日からお前はボラ崎だな、と言ってまた笑い。
　何度か波を乗り越えたあと、少し高度なことをしてみたくなって、「気をつけ」　の姿勢で波の前に立った。岡崎は波に体当たりして裏側に抜けたが、真一はむしろ極力動きを排して、静かに波をすり抜けようと思う。
　だが、実際にやってみると、なかなかうまくいかない。漫然と突っ立ったままだと、波の力で体が浮き上がってしまう。かといって、無理に突っ込めば、体当たりになってしまう。
「後ろ向きになったほうがいいんじゃないですか」
　西脇が助言してくれた。そのほうが踏ん張りが利くという。
　言われた通り、波に対して後ろ向きに立ってみる。すると確かに、波の力を相殺そうさいしやすかった。
　一度目は中途半端な形になってしまったが、二度目はどうか。監視塔とレスキューボードが配備された砂浜と向き合い、首だけ後ろに回す。波が真後ろに迫ったところで、両腕をハの字に広げて、静かに後方に倒れ込んだ。水の壁に体を押し込むように。波と合体するイメージで。
「フェードイン！」
　突然、西脇が叫んだ。
「な、何だって!?」
　真一は驚いてバランスを崩してしまう。
「わぷっ」
　背後から盛り上がってきた波の斜面に、顔が呑み込まれる。とっさに腰を落として、波と一緒に倒れ込むことは回避できたが、技は失敗に終わった。
「何だよ、いきなり……」
　しかめっ面で振り返ったら、逆光の中で西脇が笑っていた。
「似てるでしょ、ライディーンに」
　そう言われても、何のことかわからない。だが、子供の頃見てませんでした？、と訊かれると、昭和のロボットアニメのことだと気づいた。「勇者ライディーン」。ガンダムより古いアニメで、真一は再放送を見た記憶がある。「フェードイン」　とは、主人公のひびき洸あきらがライディーンに乗り込む動作のこと。西脇は、水の壁をすり抜けることを、ライディーンの搭乗シーンになぞらえたのだろう。
「あ、また来ましたよ」
　沖合に新たな波が見えた。波に背を向けた西脇が軽く両腕を広げ、真一も隣で同じ姿勢を取る。
「フェードイン！」
「フェードイン！」
　しかし、今度もうまくいかなかった。声が重なったことに吹き出して、体勢が崩れてしまったからだ。波をすり抜けることができても、不格好な姿勢では、成功したとは言い難い。
　二人でゲラゲラ笑っていたら、仲間たちが集まってきた。
　興味を持ったらしい仲間たちに、真一が技のやり方を説明すると、早速、益田が挑戦する。
「フェード……」
「ちょい待った」
　西脇が右手を突き出した。
「なっ」
　バランスを崩した益田は、危うく波に呑まれそうになったが、砂底を蹴って波を乗り越えた。
　西脇は新たな技を思いついたようだった。題して、「滝行」。
　「滝行」　は、波に背を向けてすり抜ける点は　「フェードイン」　と変わらない。胸の前で手を合わせる点が違う。発声の仕方も　「滝行！」。構えがある分、「フェードイン」　より見栄えがするだろうとのこと。
　見栄え云々はともかく、難しい技ではなさそうだったので、やってみたい人間がチャレンジすることになった。
　しかし、まずは技の開発者が手本を、ということで、西脇が沖へ向かう。
　沖合に、うねりが見えた。影色の一本線。遠目にわかりづらいが、かなり大きい波だ。やはり、上げ潮の影響だろうか。真一は周りと顔を見合わせて、気を引き締める。
　西脇は、ちらちらと波を振り返りながら、立ち位置を探している。
　やがて、その足が止まった。
　真一たちと向き合って、行者みたいに手を合わせる。
「滝行！」
　だが、わずかに目測を誤っていた。波は西脇のすぐ後ろで倒れ、爆発した水の塊が無防備な背中を突き飛ばした。胸の前で合わせていた手が左右に弾け飛び、うつ伏せになった体が白波の下に引きずり込まれていく。まるでスクラップ工場の巨大ローラーが、マネキンを押し潰すかのごとき無慈悲な光景。