第六十四話 ハゼ釣り その二 夏の終わりに残るもの
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よーいドン、の号令で、全員一斉に仕掛けを落とす。オモリが底に着いてすぐ、真一の竿にアタリが来た。ブルブルッ、とはっきりした手応えを感じてリールを巻くと、釣れたのはやっぱりハゼだった。針先の魚に目を凝らす。ここのハゼは、白っぽくてきれいだ。ほかの場所で釣ったハゼは、もっと黒っぽかった。
真一以外の竿にも、続々とアタリが来た。足下に仕掛けを落とすだけの釣りに、上手いも下手もない。真帆や美汐も釣れている。
「ハゼって、チンポって意味だって知ってたか?」
やはり無邪気な少年のように久寿彦が言った。
「いきなり何言い出すのよ」
胸元までハゼを巻き上げた美汐が、リールの手を止めて隣を睨む。
「嘘じゃないぞ。高校の頃、古文の教師が言ってたからな。『ハゼ』 は男の一物を表す古語の 『ハセ』 に由来するんだってさ」
これは、わりと知られた事実だ。岡崎が、ブハハッ、と笑う。
「似てるだろ、形が」
「形って……」
道糸をつまみ上げ、美汐は釣ったハゼをまじまじと見つめる。
と、針先のハゼがぶるっと身震いした。
「うわあっ」
仰け反った拍子に、コンクリートの縁から背後に足を踏み外しそうになる。
それを見た久寿彦はカラカラと笑い、
「ひでえ話だよなあ。釣られて、包丁で真っ二つにされて、挙げ句の果てに、天ぷらにされて食われちまうんだもんな。せめて、ちゃんと成仏してほしいもんだよ」
「やめてよ、天ぷらが不味くなる」
「おっ、来た」
顔をしかめた美汐をよそに、久寿彦はリールを巻く。またハゼが釣れた。これで四匹目だという。駐車場から遠いポイントだけあって、あまり場が荒れていないようだ。葵や岡崎も順調に数を伸ばしている。真一の竿も、仕掛けが底に着いたのとほぼ同時に、穂先が反応していた。
だが、調子が良かったのは、はじめのうちだけ。しばらくすると、食いが悪くなってしまった。
釣れるペースも、誰が抜きん出ることなく、どんぐりの背比べ状態。
ここで粘っていても、周りに差をつけることはできないだろう。場所を替えることにした。
竿とバケツを持って、クリーク沿いの道を遡っていく。低湿地のクリークは縦横に入り組んでいるらしく、少し進むと、横から流れ込んできたクリークに、強制的に進路を変えられた。歩みに合わせて、道端の草むらでガサゴソと音がする。人の気配に気づいたカニが逃げる音だ。少し前に通り雨があったらしく、水気が残る道に出てくるカニも多い。赤、白、オレンジ、と鮮やかなグラデーションの爪を持つカニはアカテガニ。全体的に茶色っぽいカニは、クロベンケイガニだ。どちらも甲羅が笑っているように見えるが、人懐っこい見た目に反して、爪を振り上げて威嚇してくるものもいる。
五十メートルくらい歩いて、草むらの土手の下に、釣り座らしき空き地を見つけた。ここで竿を出すことにする。草むらの踏跡を辿ってバケツに水を汲み、仕掛けを投入する。エサはあえて付け替えない。使い古したエサのほうがよく釣れるからだ。
だが、期待と裏腹に、ここも食いは渋かった。それでも貯水池よりは釣れたので、しばらく留まることにする。
クリーク周辺には大規模な葦原が広がり、青々とした葉並みが、時折、風に一斉に波打つ。どことなく、アメリカ南部あたりの広大な湿原を彷彿とさせる風景。奥のほうに点在する家屋は別荘だろう。一風変わった造りの家が多いから、通常の人家ではないはずだ。独特の景観を持ち、釣りやボート遊びができる汽水域は、別荘地として人気が高いのかもしれない。少し視線を持ち上げれば、白と黒の雲がせめぎ合う空。さながら雲のお祭りのよう。夏の代名詞的な入道雲は、実際には夏が深まったお盆頃から、頻繁に出現する気がする。最も暑い土用の頃には、あまり見た記憶がない。夏を象徴する雲は、その実、夏の終わりが近づいていることを示しているのかもしれない。
子供の頃は、夏の終わりが嫌いだった。お盆が過ぎて、田舎の親戚の家から帰ってくれば、もう目ぼしいイベントはない。子供会の行事は、だいたい七月の下旬か、八月の上旬に集中していた。残っているものといえば、毎朝公園で行われるラジオ体操くらい。それも、ひと月過ぎれば、マンネリ化して新鮮味を失う。夏休みも終わりに近い団地には、気の抜けた日常の空気が漂い、朝夕感じる秋の気配に、また一つ無駄に年を取ってしまった気がした。
社会人になってからは、昔ほど夏の終わりを憂鬱に思うことはなくなったが、それでも一抹の寂しさは感じる。
なぜだろうか。もう子供の頃のように、長い夏休みはなくなってしまったのに。失うものがなければ、寂しさだって感じないはずだ。
しばらく考えてみても、答えは出なかった。
ただ、一つだけはっきりしていることがある。
今この瞬間、寂しさは感じていない。夏を惜しむ気持ちもない。
心地良い充実感が胸を満たしている。長い道のりを歩いて、ようやくゴールに辿り着いたような。
こんな気持ちを、夏の終わりに感じたのは初めてだ。
今年の夏は、本当にいい夏だった。