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第六十話 海水浴 その六 ボディサーフィン

もくじ 2,175 文字

「洗えー、洗えー、洗濯機だーっ」
 西脇がぐるぐる腕を回している。
 その西脇もまた、白波に吹き飛ばされた。真一も簡単に足元をさらわれ、仲間たちも周りでボウリングのピンのように弾け飛んでいた。
「後ろっ、また来てる」
 体勢を立て直したら、すぐに久寿彦の声。振り返ると、二発目の波が迫っていた。とっさに砂浜側へ逃げようとするも、引き波の力が強く、なかなか前に進まない。激流の川で、流れに逆らって歩いているかのようだ。再び振り返ったら、白い網目模様を残した大波が、間近で逆巻いていた。この上なくまずい状況。
 前を向き直ったのと同時に、背後で激しい倒壊音。炸裂さくれつしたばかりの白波に捕まり、海中に引きずり込まれる。闇の中、誰かとぶつかったが、暴れ狂う水流で体の自由が利かず、んずほぐれつの状態で砂底を転がされる。かかとや肘が相手に当たっても、自分の意志で制御できない。
 かなりの時間、波に巻かれていた。
 やっとの思いで立ち上がると、近くで益田が脇腹を押さえていた。
「シンさん、俺の腹蹴ったでしょ」
 苦悶の表情。あの水流の中では、受け身を取ることもままならなかったはず。だが、そうは言っても、こっちも不可抗力だ。
「す、すまん。わざとじゃ……ぶっ」
 気を取られていたすきに、三発目の白波を食らった。横ざまの直撃で、踏ん張りが利かず、あっという間に水中に引きずり込まれる。再度の激流にもみくちゃにされながら、抵抗しても無駄だと悟って体の力を抜いた。波に躍らされている自分は、どんな格好をしているのだろう。タコやクラゲのように、グニャグニャと手足を動かしているのだろうか。ヤケクソの意識で、これはもう 「滝行」 というより 「波行」 だな、と思った。
 結局、大きな波は四発続いた。
 最後の白波が遠ざかるのを見て、真一たちは、ようやく緊張から解放された。大きな波はそうそうやって来ないから、次の一群が接近するまで、しばらく海上は落ち着くはずだ。
 沖合で、松浦が呆けたように突っ立っている。西脇は三途の川を見てきたような顔をしていたが、焦点の定まらない松浦は、川を越えてしまった亡者のようだ。
「成仏!」
 岡崎がビシッと松浦を指さして、どっと笑いが上がる。松浦は、笑われていることにさえ気づいていない。
 と、そのとき、真帆がやって来た。
「ねえ、何してたの」
 浅瀬をじゃぶじゃぶ歩きながら、大きな声で訊いてくる。一連の行動を見ていたらしい。
「もう一回やってやる」
 西脇が険しい顔をして叫び返した。技の開発者として 「滝行」 が失敗作だと認めたくない。開発者には開発者の意地がある。真帆の到着を待たずに、思い詰めた表情で沖へ向かい出す。
 かなり深い所で足を止めた。大きな波で、技に挑戦するつもりだ。
 最初の波を、ふわりとやり過ごす。小波は眼中にない。
 真一も、遅れて波を乗り越えた。
 砂底に足を着いたとき、ふと久寿彦の背中が目に留まった。
 食い入るように、前方の西脇を見つめている。技が成功するかどうか気になるようだ。
 それにしても、何という無防備な背中……。
 イタズラ心をくすぐられた真一は、ちらっと隣を見た。
 何?、と目で尋ねた真帆に、久寿彦の背中を指さす。一旦前を向いた真帆が、また真一に顔を向けると、押せ、押せ、とジェスチャーで伝える。真帆は一瞬吹き出しそうになったが、とっさに口を押さえ、もう一方の手で 「OK」 のサインを作ってよこした。
 沖合に、夏の光を散りばめた波が現れた。
 徐々に角度をきつくして、西脇の背後に迫る。切り立った波頭が、風にざわつき始める。立ち位置を探す西脇の足が止まったとき、危険を察知した益田と岡崎が、浅いほうへ逃げ出した。
 久寿彦は、まだ前を向いている。
 ――行け。
 真帆に合図を送ると同時に、真一も海底の砂を蹴った。うっかり真帆が漏らした笑い声に、久寿彦が振り返る。その目が二つの影を捉えて見開かれた。ただ、それでもまだ、真一たちに分があった。久寿彦が状況を把握する前に、四本の腕が背中を突き飛ばす。
「どわっ」
 久寿彦がつんのめり、真一は身を翻す。ヒット・アンド・アウェイだ。久寿彦と一緒に波に巻かれたら、元も子もない。
 身を翻す直前、西脇が久寿彦を弔うように手を合わたのが見えた。
「滝行!」
 ドォーン、と重厚な波音。
 久寿彦は成仏。西脇はどうか。
 だが、他人のことなど構っていられない。水の抵抗に抗って、目一杯手足を動かす。
 ドン、と背中に衝撃を感じた。白波に追いつかれた。転びかけた拍子に、激しい水流に体が持ち上がる。このまま海中に引きずり込まれてしまうのか――そう思った矢先、真帆が声を張り上げた。
「泳げーっ」
 とっさに腕を掻き回す。すると、波の推進力を得て、ぐんぐん体が進み始めた。バタ足も付け加えると、さらに加速する。前方の海面がどんどん迫ってくる。左右の景色が流れている。ほかの仲間たちも、白波の先端を進んでいた。
 全員揃ってボディサーフィン。
 初めて味わうスピード感。泳ぎながら風を感じるなんて――
「最高ーっ」
 松浦が叫んだ。
 同感。最高に気持ちいい。サーフボードやボディボードもないのに、浮力のある乗り物に乗っているみたいだ。このままスピードに乗って、砂浜まで辿り着けそうな気がする。

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鈴木正人
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