【取材記事】①インドネシア霊山のふもとから〜あまのルーシーさん
インドネシアの山麓で、西洋占星術やヨガ、ものづくりなど様々なことに取り組んでいるあまのルーシーさん。暖かで、どこまでも懐の深い彼女のお人柄に惹かれ、インタビューさせていただきました。
ーー占星術を始めたきっかけは何だったのでしょうか。
西洋占星術をはじめた時期はもう10年以上前で、
当時は何でも思いつめる性格で、悩みは友人に相談していましたが、
重すぎる内容に、友人がかわいそうに感じました(笑)そこで、人に相談するのは迷惑かも知れないからと、一人で模索をはじめました。ヨガ瞑想に真剣に取り組む毎日だったので、自然とスピリチュアルの方面へ興味が向きました。
始まりはインターネットで検索したことがきっかけでした。
チャートが曼荼羅みたいだと感じて親近感が湧き、西洋占星術の分厚い本を一冊買って、何度も読み返すうちに基礎的なことは占えるようになりました。
ーーご自身を知るために始められたのですね。西洋占星術について教えていただけますか。
よく、生年月日から割り出される西洋占星術のホロスコープのことを人生の羅針盤だと表現されたりしますが、まさにその通りなんですね。
私たちは一般的に母体の不思議なバイオリズムの中から生み出されてきているわけです。そこには抗えない意思の力が働いているとみなすことが占星術の前提となっています。生まれた瞬間の星の配置が本人に及ぼす影響を図にしたものがチャートとなります。一つ一つの天体にシンボライズされた意思や欲求を読み解き、統合させることで記す方向性を読み解いていくのが占星術だと認識しています。
ーーインドネシアに住まれたきっかけは何だったのでしょう。
17年前にインドネシア人と結婚しまして第一子出産後、旦那の希望に乗る形でインドネシアへ移住しました。
元々、20代にインド好きバックパッカーとしてアジアを回っていました。インドネシアは結婚後初めて行った国ですが、同じアジア圏ということで、どこか既視感があり、移住当初から親しみを感じることができましたね。
ーーバックパッカーをされていた時期もあったのですね。それでも移住となると大変に感じますが、インドネシアに移住してから心境の変化はありましたか。
当初は、山と人と家畜しかない大自然の中で、世捨て人になったような気持ちになったものです。日本人も数人しかいないような環境です。
現地の人のないものは作ればいいという発想に刺激され、木を切って家を建ててみたり、植林したり、ガーデニングをしたりで楽しくなりました。山近辺に住む芸術家の方々との交流もあり飽きることがありませんでした。その頃から7年間はベジタリアンに徹したり、ヨガを毎日やったりで、心豊かにいることができました。
ついつい日本人の真面目さが出て正論をぶちまけるようなことはありましたが(笑)、南国人特有ののんきさには太刀打ちするのは良くないと学び、いつの間にか私もすっかりのんきな南国人気質になった気がします。
ーー木を切って家を建てたり、大規模なものづくりですね。打ち込むものが沢山あって聞いているだけで楽しいです。プロフィールにヨギーとありましたが、ヨガもその一つだったのですね。
はい。長年、ヨガ瞑想をしています。その中でのまっさらな静寂の境地から得るものは大きいと感じています。先入観や個人的な感情をまぜこぜにしないという意味で占いにも役立っていると感じています。
ーーインドネシアの地で占いをするということをどう感じていますか。
10年以上、ヒンドゥー教の遺跡が残る、霊山と言われる山麓でのんびり暮らしていますが、現地の人たちは、いまもご先祖の言い伝えや神話、精霊を信じて生活されています。人々に星への信仰はないのですが、見えないものへの敬意は通ずるものがあると思います。
人間の営みに国境はないものだなと思います。それはきっと占星術が長い歴史を経ても消えなかったくらいに、人間の不変的な本質に触れているからなのかもしれませんね。
ーーあまのさん、ありがとうございました。
取材ライター 恒松あずさ
私は占いや性格診断が好きで、気になったものは受けたりするんです。占いって、人生をより良くするために一つの視点として知るといいと思うんですよね。潜在的にある、価値観や才能や人生の流れを知って、自分の性質をどう扱い何を選択していくか、そのための判断材料にする。そうすると、新鮮さが加わって人生がまた流れ始めるんです。
人の意識、思考、身体、また、組織や家や地球も循環が必要で、古いものと新しいものの入れ替えがないと滞ってしまう。中でも、思考の入れ替えは、人間が世の中のためにできる一番の貢献になるのではないかと思います。