音ゲーマーは憧れの存在であるべきという幻想を十年間信じた人の話
十年ほど続けてきた音ゲーを引退した。音ゲーは大好きだったし一生続けるのだろうと漠然と思っていたけれど、そうではなかった。十年というのは決して短くなく、それなりの重みを持つ時間である。人を十年間真剣にさせるモチベというものはどう生まれ、どう終わったのかここに独白を残そうと思う。この記事の読者にとって、モチベというものについて考える際の参考になれば幸いである。
人のモチベが生まれる源は色々とあるけれど、自分の場合は「憧れ」だった。
昔の自分は何となく音ゲーをやっていた。弐寺、ポップン、ギタドラ、DDR等など、特にこれと絞ってやり込む訳ではなく、難しい曲は選ばずに(弐寺なら☆10がギリギリクリアー出来る位で、☆12なんて常人に出来るものではないという認識だった)好きな曲を途中でゲームオーバーにならずに最後まで演奏出来れば楽しかった。
そんな時、偶々弐寺で皆伝を取った人がその過程を綴っているブログを読んだ。目眩がするほど圧倒され、価値観を書き換えられた。同じゲームなのにこんなにも想いの強さが違うのかと。ゲームというものに人生を賭けている姿を美しいと思った。
自分もこうなりたいと憧れた。
そこからは仕事上がりにほぼ毎日終電までゲーセンに張り付いて練習した。就職して給料のために大して面白いとも思わない仕事を繰り返すだけの毎日に生きるスイッチが入った。
顔も名前も知らないあのブログの筆者と同じ景色を見てみてみたい…。その憧れに突き動かされて5年、遂に皆伝を取る事が出来た。
そこから見た景色は想像以上に素晴らしいものだった。勿論、物理的な景色ではない。例えるなら、この世界とは継続と努力で出来ないを出来るに変換出来る世界なのだという感覚を掴んだと言えばいいだろうか。
皆伝を取ってからは仕事も趣味も上手く行く様になった。年収も友人も増えた。まるで胡散臭い広告の様だが、これは間違いなく音ゲーとあのブログに憧れたお蔭と言える。満たされた毎日だった。
しかし同時に自分の才能の限界もハッキリ見えてしまった。自分はもう若くないし、皆伝までに5年もかかる様では残り寿命をすべて注いでもプロゲーマーやランカーの領域には決して辿り着けない。
丁度チュウニズムが気になっていたので、弐寺からチュウニズムに乗り換えた。この先、老後の脳トレと運動不足の解消に良さそうという理由で。
実際チュウニズムは楽しかった。何よりも作者がこんな風に音ゲーを楽しんで欲しいという気持ちで作っているのが伝わって来て、譜面からそれを感じ取るだけでもワクワクした。ランダム譜面が前提の弐寺とは全く別の面白さだった。
プレイヤーに憧れ、ゲームに憧れ、作者に憧れ、音ゲーとは何て素晴らしいものだと思っていた矢先に、それは世に現れた。
プロセカというものがリリースされた。少し触ってみたが、キャラクターにおんぶ抱っこで、ゲーム部分は雑な劣化チュウニズムのパクリゲーである(言いたい事は無数にあるが荒れるのでこれ以上は詳しくは書かない)
ま っ た く 憧 れ な い。
そんなゲームが覇権を取ってしまった。悔しかった。プロセカよりもチュウニズムの方が素晴らしいゲームなんだと自分自身に言い聞かせる様に1〜2年ほどチュウニズムを続けていたが、悪貨が良貨を駆逐する様をまざまざと見せつけられて既に心は折れていたんだと思う。タイミングを同じくしてもう一つの出来事が起き、そこが分岐点だった。
自分は片田舎のチュウニズムの金台2台と銀台2台のあるゲーセンで遊んでおり、普段は空いている穴場でお気に入りの゙店だった。
そのゲーセンにレート17台の二人組が現れる様になった。大学生位の若者と思われるが、我が物顔で金台を占拠する、コロナ禍の最中だったにも関わらず大声でベラベラしゃべる等、お世辞にもマナーは良いとは言えない。
自分の中では、あのブログの作者の様にゲームが上手い人=憧れの存在であるべきという価値観があったが、眼の前にいるのはどう見てもゲームが上手くてイキってるだけの子供にしか見えなかった。
自分が大切にして来た価値観を悪い形で上書きする人物像である。
若い頃なら「駆逐してやる…!」と某漫画の様に戦う道を選んだのかもしれない。だがそう思ったとしても、いい歳したサラリーマンが若者相手に実行するのはあまりにみっともない。それは憧れる姿ではない。
自分が憧れない道を歩む位なら価値観を上書きさせてあげよう。それでいい。
偽物の劣化ゲームでも覇権は取れるし、人格者でなくてもゲームは上手くなれるのだ。
これで憧れはすべて消えた。
その出来事以来、あれほど強かった音ゲーをやりたいという気持ちが全く湧いて来なくなってしまった。こうして憧れが終わると共にモチベも消え、自分の中で十年間苦楽を共にした音ゲーは終わりを迎えた。
けれどあのブログに出会ってから憧れを追いかける日々は最高に楽しかった。永続しなかったとは言え、若い頃に憧れた景色を確かにこの目で見る事が出来た。それだけでも十分と言えるだろう。
だから音ゲーとあのブログの作者に精一杯の感謝を込めて、ありがとう。音ゲーから与えて貰ったものを糧に、僕は次の道を生きる。
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