告げる侵入者

あらすじ
 幼い子が自宅に帰った。
 元気良く 「ただいま!」 でも、返事はない。
 お母さんいないみたい。お買い物かな。
 ジュースを飲んで、ゲームをして、帰りを待つ。
 全然、帰ってこない。晩御飯はいつになるのだろう?
 トイレに行って、手を洗って、ふと思いついて、お風呂場の扉を開けた。
 そこに、知らない男の人がいた。
 その人は自分の口元に人差し指を当ててから言った。
「失敗したね。あと一回だけ、やり直しのチャンスをあげよう」


勢いよく扉を開けて家に入る。
玄関には靴が一組だけ。
多分、お母さんのもの。
「ただいま!」
いつも通り、帰宅を告げる。
学校から帰ってきたら、帰ってきたことを知らせなさい、と言いつけられているから。
靴を脱いで揃え置く。
こうしないと怒られるから。
遅れて気づく。
私は、ただいま、を言ったのに返事がない。
「おかあさーん?」
大きな声で、奥へと呼びかける。
返事はない。
おかしいな。
いつもなら、すぐに応えてくれる。
おかえり、って。
靴もあったのだから居るはずだ。
廊下を歩き、リビングへ入る。
誰もいない。
ランドセルをカーペットの上に置いて、キッチンへ移動。
誰もいない。
変なの。
冷蔵庫から紙パックのオレンジジュースを取り出して、硝子のコップを棚から持ってくる。
ジュースを注いで、それを飲む。美味しい。オレンジが一番好き。
おかあさんが見ていないのをいいことに、二杯続けて飲んだ。
いつもなら、これをやると注意を受ける。飲み過ぎだって。
ジュースを冷蔵庫へ戻して、使ったコップを流しへ置く。
そこで、ふと思いついた。
ああ、買い物かな。
だから居ないのか。
私は納得して、リビングへ戻る。靴があった事実は都合良く解釈。
テレビが置かれている低い棚下にあるゲーム機を手に取り、携帯モードで起動。
そのまま、しばらくゲームをしていた。夢中になっていた。
データをセーブしたタイミングで、画面から目を上げる。
テレビ横にある、アナログ時計を見た。
帰って来てから、もう一時間経った。
時刻も夕方から夜に差しかかっている。
おかあさん、遅いなぁ。
お腹が空いてきた。
晩御飯、すぐにできるのかな。
帰って来てから作るとなると、食べられるのはいつになるだろう。
ご飯の心配をした後、今度は、おかあさんのことが心配になってきた。
単純に帰りが遅れているだけ? 外で誰かに会った?
その相手と話をしているから、帰りが遅い? 本当にそれだけ?
何もないならいい。事故とかでなければいい。怪我とかをしていなければいい。
多少、不安になったけれど、視線をゲーム画面に戻して操作しているうちに、不安だったことも、考えていた内容も、忘れてしまった。
そこからまた時間が経って、けれど今度は、わりとすぐにゲームから意識が逸れた。違う理由からだった。
きちんとデータをセーブしてから、ゲーム機をソファへ置き、立ち上がる。
リビングを出て廊下を歩く。目的地はトイレ。
個室へ入り、用を済ませて出てくる。
廊下の角、お風呂場横の脱衣所にある独立洗面台で手を洗う。
そこで、私は。
どうしてだろう。
気まぐれか。
思いつきか。
もしくは、気配を感じたのか。
無意識に探していたのかもしれない。
誰を、って?
勿論、おかあさんを。
とにかく私は。
お風呂場の扉を開けた。
折り畳み式の白い扉。
カチン、と音が鳴って。
開いた扉の隙間へと。
私は首を突っ込んで。
浴室の中を覗き込んだ。
おかあさんが、そこにいた。
浴槽の中にいた。
横になっている。
真っ赤な海の中で。
おかあさんは動かない。
浴室の隅に。
知らない男の人がいた。
隠れるように立っていた。
固まる私へ向けて。
男の人は、人差し指を立てて、自分の口元へと当てる。
「失敗したね」
男の人が言った。低い声だった。
「あと一回、チャンスをあげよう。やり直してごらん。家に入るところから」
告げられた言葉の意味が分からなくて、私は黙ったまま、男の人を見つめる。
「ほら、急がなくちゃ。あと一回だよ?」
男の人は笑いながら繰り返す。
「次に間違えたら、君のことも刺すからね」
それを聞いた私は、静かに頷き、ゆっくりと扉を閉める。
カチン、という先程も聞いた何気ない音が、この時はどうしてだか、ひどく恐かった。
廊下を歩いて玄関へ向かう。
靴を履いて、玄関扉の鍵を開ける。
扉に手をかけたまま、私は息を吸って。
「ただいま!」
帰宅を告げる挨拶を、再び。
そして、間髪を入れずに扉を開けて、外へ。
家の前の通りへ走り出て。
さっきよりも大きく息を吸い、そして。
あらん限りの力と勢いで、私は叫び声を上げた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?