【短編小説】 未来を摘む放物線

あらすじ
 街を見下ろす丘の上、そこに佇む廃墟の中へと探索に入った、学校をサボった男子中学生は、ある物を発見する。


 バスの停留所、その看板に据え付けられたベンチに座り、スマートフォンで時刻を確かめる。
 午前十時。デジタル表示。とっくに遅刻の大惨事。
 だけど、どうにも焦る気持ちが湧いてこなかった。
 他人事というか、興味がないというか、どうでもいい。
 たった一日学校に遅れたくらいで死にはしないし、大きく何かが変わってしまうわけでもない。
 親に怒られる? 先生に注意される? 友達から笑われる?
 それらがどうしたというのか。些末な反響、自分の外側がざわつくだけの軽微な揺らぎに過ぎない。
 つまらないな、という連想。
 くだらないな、という不満。
 どうして、という疑問。
 はたして、矯正の為か?
 共生する気があるのか?
 その為に強制している?
 従うことを強いている?
 子供は言うことを聞け?
 大人に成るまで我慢し。
 反抗や意見は封殺され。
 従属する為だけに生き。
 社会の為に働くが定め?
 その為の学生であるならば。
 その後は大人へと成るしかないのなら。
 俺達が、俺が自由を得るのは、いつだ?
 大人達の理屈が前提にあるとして。
 学生のうちだけが自由ということ?
 だとすれば、なんて勝手なのだろう。
 我慢ばかりを強いるなど、どこまで理不尽なのだろう。
 腹が立つ。憎たらしいと感じる。
 全ての大人が、社会の仕組みが、強いられるという行為が、世の中の規定枠その法則そのものが、気に入らない。
 大人達はこの事実を、反抗期だの、思春期だから、だのと屁理屈でこじつけようとする。それも気に入らない。自分達が理解できないこと、理解したくないこと、精査し、反抗し、組み立て直せないものに対して屁理屈を結び付けて、自分達が納得する為の言い訳にしている。逃げているのだ。
 真面目に取り組み、改善しようとか、手直ししようかと考えた時、その労力を計算してしまい、始める前から疲れてしまう。自分の保身の為、自分が泥を被るのが嫌だから、学生にはそれらしい理屈と道徳、そして正義感と美徳を宿せと講釈を垂れながら、自分達はその真逆を行うという矛盾。実に身勝手ではないか。実に御都合ではないか。
 これをすることが大人の証明なのか?
 これが大人のやることか?
 これでも大人か?
 これが大人か?
 愚かではないか。
 おかしいではないか。
 間違っているではないか。
 筋が通らない。そんな奴らの意見や指示には素直に従えない。
 そう思う。
 俺は、そう感じる。
 故に、憤りを覚えるのだ。
 目の前にバスが滑り込んできた。
 バスが来るまで考え込んでいたらしい。
 これに乗れば、学校へ向かうことになる。
 行くのか? 今から? 今更? 何の為に? 目的は?
 そこまで自問した俺は、バスの扉が開くと同時にベンチから立ち上がり。
 そして、回れ右をして歩き出す。
 どこへ行くかは決めていない。
 ただ、反抗しただけだ。
 周りから決められたことに対して。
 背を向けてやりたかったのだ。

 ひたすら歩いた後、スマートフォンを学生服のポケットから取り出して画面を見る。
 十時三十分。
 これだけ歩いても、たった三十分しか経っていない。
 学校が終わるくらいの時間まで、どこかで適当に時間を潰そうと考えていたけれど、案外骨が折れそうだ。
 さぼるにも、計画や手順というものが必要なのだな、と学んだ。これが分かっただけ、学校で興味のない授業を黙って受けるより有意義だろう。経験則に勝る気づきと理解の価値はあり得ない。
 画面から顔を上げ、スマートフォンを制服のポケットに収めていると。
 持ち上げていた自分の視線が、丘を捉えた。
 俺の住む町は、やや高い丘の下に展開するようにある。
 その丘が、目に入った。
 あの丘まで上がったことが、これまで一度もなかったな、と気づく。
 一方的に見下ろしてきているみたいで気に喰わない地盤配置だと感じていたので、この機に、丘の上まで登ってやろう、と決めた。
 一度でも登ってしまえば、俺の方が立場が上になる。どういう理屈なのか自分でも曖昧だが、多少強引に解釈するなら、これは、そう、感覚的に、勝ち負けの話なのだ。
 負けるのが好きな人間なんていない。
 誰だって勝ちたいと思うもの。
 つまりは、そういうことだ。
 決めたからには、すぐに行動に移す。
 幸い、丘の上までの道順はネットで検索する必要がないほどに明快で、直通の登り坂まで直線的に移動し、その後、急な斜面と称して相応しい傾斜のきつい坂を徒歩で上がった。
 いくら中学生で体力がある方とはいえ、登り切るまでそれなりの時間がかかったし、息も切れた。
 でも、登ってみて正解だった。
 自分が普段住んでいる町を高所から一望できたから。
 爽快だった。
 気分が良い。
 やはり、下よりは上がいい。
 見下ろされるよりも、見下ろせる方がいい。
 構造的にも、物理的にも、意識的にも、そう。
 丘の上、白いガードレールにもたれながら、ひとしきり景色を満喫した後、さて、この後はどうしようか、どこかで昼食用に持参している弁当を食べたいが、丁度良い場所があるだろうかと周囲を見回して。
 良さげな建物を見つけた。
 正確には、廃墟を。
 俺が立ち止まり、町を見下ろしていた場所が丘の端であることも理由だろうけれど、この廃墟以外に目立った建物がない。もっと奥の方まで移動すれば、住宅密集地と商業的な区画に出くわすだろうけれど、そちらには興味がなかったし、平日の昼間に人が多く集まる場所で、制服姿の中学生がふらふらしていると、説教したがりの大人や、警備の人や、最悪、巡回中の警察と遭遇する可能性が上がる。それは避けたい。学校や親に連絡でもされたら至極面倒である。先程の爽快な気分と達成感が台無しにされてしまう。
 そうした理由もあり、人気のない廃墟は昼食を取るにも、午後の丁度良い頃合いまで時間を潰すのにも最適だと思えた。廃墟内の荒れ具合や衛生状態にもよるが、それは確かめてみなければなんとも言えない。
 俺は早速歩き出し、廃墟内への侵入を試みる。
 といっても、侵入自体は簡単に叶った。
 一階の窓が割れており、窓枠ごと欠落していたので、そこをよじ登って中へと入るだけだった。
 外観は全体が灰色で、一見してコンクリート造だと判った。堅牢そうな構造で、そのため侵入にも苦労するかなと想像していたのだけど、良い意味で拍子抜けした。
 内部の様子は、なんとも言い難い有り様である。
 泥だらけだったり、カビが生えていたりするわけではない。不衛生という印象は受けなかった。しかし、割れた木材や、硝子が砕け散った痕跡らしき、きらきらしたものが床一面に広がっていたりで、ここで座り込んだり、あと数時間を過ごす気にはなれないような、そんな状態だった。
 一階の入れる部屋全てを確かめて、残念ながらどこも似たような有り様だったので、諦めて侵入した窓から出ようかと考え始めた時。
 二階へ上がる階段を発見した。
 そうか、建物の規模的に、二階建てか、と全体の様子を思い出す。
 慎重に階段へ足をかけて、上がり始める。
 踏み抜いたり、中途半端な高さから崩落して落下しないように気を張ったまま行動したが、いらぬ杞憂だった。
 無事二階まで上がり切り、ここも一階と同じように探索してみる。
 汚れや埃が下へと下るせいか、二階は一階よりも清潔な印象を覚えた。
 そんな中、ひと際綺麗で、独り掛けソファが置かれた部屋を発見した。
 この部屋には大きな窓があり、近寄って確かめてみると、丘の高所を最大限活かした、町を見下ろせるという素晴らしい造りだった。
 これだけでも感動ものだったが、俺の興味を強く惹いたのは、別のアイテムだった。
 独り掛けソファと並ぶように配置された茶色の木製テーブルその上に、普段の生活では決して目にすることはないと断言できるものが載っていたのだ。
 手に取り、感触を味わう。
 自分の趣味に合致しているためか、それとも、男子はこういうものが大好きだからか、とにかく、ひどく興奮している自覚があった。
 載せられていたのは、弓だった。
 それも、コンパウンドボウという、競技や狩猟に用いられる代物である。
 こんな廃墟には似つかわしくない。どう考えても、こんなところにあるはずのない武器だ。
 放置されていた理由を考えるべきだと主張する自分の一部を認めつつも、俺は見つけたばかりの玩具に夢中で、あまり冷静な精神状態ではなかった。
 弓の弦部分に指をかけて引いてみると、それなりに抵抗は感じるけれど、引けないということはない。中学生の力でも稼働させられる作りというのが、また素晴らしい。ネットで調べたところによれば、こんなにも扱いやすそうなのに、威力は木に突き刺さり、防弾ベストを貫通するほどあるのだという。飛ばす位置取りや引き絞りの割合にもよるだろうけれど、扱いやすい機構の割に威力が高い、という褒め讃えるべき性能を有している。
 俺を興奮させた理由が、さらにもう一つ。
 テーブルの上に載っていたのは、このコンパウンドボウの他にもあり、おそらく対応していると思しき複数の矢だった。
 正確に表すれば、矢が大量に収納された矢筒。
 つまり、試射が可能、ということ。
 室内でも、外へ向けてでもいい。どうせ廃墟内だ。どこを壊そうが、矢が何本刺さろうが、大した問題ではないはず。
 そして周囲は、ほぼ無人。この廃墟の周りに民家は無く、背の低い雑木林と開けた売地が並ぶばかり。試射で誰がどう困るということはない。見咎められるリスクも極端に少ない。俺にとって好条件が揃っているのだ。
 この事実に気づき、落ち着いていられるはずがなかった。少なくとも、ミリタリ系の武器やアイテムが好きで、年齢的にも中学生という外れ容赦の無い時期真っ盛りの俺には、たまらない状況だった。
 すぐに射り始めたかったけれど、さすがにお腹が空いていたので、先にスクールバッグからお弁当を取り出して、それを食べた。
 独り掛けのソファに座り、かき込むようにしてお弁当を平らげる。視線も意識も、目の前のコンパウンドボウに注がれたまま。
 食べ終えると、俺はすぐに行動を開始した。この行動の素早さが自分の特徴であり、長所だと思っている。
 制服の上を脱いでソファに掛けて、スクールバッグはテーブルの上に置いておく。
 ボウ本体を手に、矢筒を肩に掛けて、まずは一階へと降りる。一階に比較的開けた空間があることを先程の探索の際に認識していたためだった。まったく試射向きである。
 一階の目的の部屋に入り、壁側に立つ。
 目を向けるは、反対の壁。
 室内ではあるけれど、それなりに距離がある。実に好都合。
 ボウを構え、矢を筒から引き抜く。
 弦につがえ、引き絞る。
 射るために引くとなると、それなりの抵抗を感じた。
 でも、力が足りないということはない。
 目先に的が欲しかったので、壁に斜めになりつつ掛かっている朽ちた絵画を選定。
 狙いを定めて、指を離した。
 シュ、っという短い音の後。
 バツン、という大きな音が響く。
 距離が近かったこともあって、矢は狙い通り、絵画に命中した。
 その威力は凄まじく、絵画は命中と同時に跳ね上がり、支えの紐が切れて、横方向へと吹っ飛んでしまつまた。
 俺はその威力と迫力、命中した際の手応えに感動して、すぐに次を弦にかけて、次射を行った。
 しかし、これは失敗に終わった。
 射ること自体はできた。一度できたのだから、同じことをするだけだ。それは難しくなかった。
 問題だったのは、適当な的がもうなかったこと。
 次射は直接壁を狙って放ったのだが、これがいけなかった。
 この建物はコンクリート造であり、当然、壁もコンクリートでできていた。
 その壁に、高速で放たれた矢が直撃すると、勢いを殺せず、しかしさすがに刺さることもできずに、結果、跳ねたのである。
 跳弾した矢の先端と、折れて二つになった破片が、凄まじい勢いで室内に散った。
 危うく、跳ね返ってきたそれが自分の身体に刺さるところだった。刺さるのは避けられても、顔や目に当たるだけで結構な怪我となるだろう。それを感じ取れるほどの威力と勢いだったのだ。
 危険性を認知した俺はその部屋から出て、今度は一直線に長い廊下で試射をした。
 一度は成功したけれど、相変わらず壁が堅いせいで気持ち良く刺さってくれない。
 二度目は先程と同じく跳弾したため、ここも危険と判断して、二階へと上がった。
 目当ては、弁当を食べたあの部屋の大きな窓、その向こう側、つまり外である。
 二階の部屋に戻り、窓の大きさを確かめる。これなら大丈夫だ。間違っても窓枠に引っ掛けてしまうことはないサイズだし、スライド式の窓硝子を開けて、外の雑木林へ向けて射れば、室内で跳弾することを避けられる。
 窓を開け放った俺は部屋の奥まで移動して、矢を射った。
 成功だ。
 分かり易い手近な的は無く、威力を感じられる明確な的も無いけれど、跳弾のリスクがなく、放った矢が素直に狙った先へと高速で飛んでいくさまは快感だった。
 俺は何度も矢を射った。
 何度も、何度も。
 楽しくて仕方がなかった。
 結局、手元の矢が無くなるまで続けた。
 無くなった後は、一階と二階の全室内を探してみたけど、予備の矢は見つけられなかった。
 渋々諦めて二階の部屋に戻り、制服を着直してからソファに腰かけ、そこからは夕方までスマートフォンを触って時間を潰した。
 午後二時五十分まで居座った後、俺は立ち上がって伸びをして、世話になった廃墟を出ることにした。
 この時間からゆっくりと歩いて帰れば、自宅に着く頃にはそれらしい時刻となる。母も疑わないだろう。
 名残惜しいのは、このコンパウンドボウだけ。
 射ってしまった矢は簡単に諦めがつくが、ボウ本体は正直、持ち帰りたかった。
 けれど、こんなものを手にして道を歩けば、たちまち通報されるか、職質されてしまうし、ボウ本体がそれなりに大きいため、スクールバッグにも収納不可能。今日のところは、どうしたって諦めるしかない。この廃墟に隠しておいて後日回収に来る方が確実だ。
 俺は室内を見回して忘れ物がないことを確かめてから、スクールバッグとボウを手に一階へと降りる。一階の最奥の部屋の足元の隙間にボウを隠して、それから侵入したのと同じ経路で外へ出た。
 外の空気を思い切り吸ってから歩き始める。
 ガードレール沿いに、丘を下る。
 たまに下方へと目を向けながら。
 楽しかったな、と思い返しつつ。
 そこで、ふと気づく。
 丘の真下、町中でちらほらと。
 赤い光が複数見える。
 赤色灯だ、と理解して。
 パトカーと救急車の存在を目視。
 どうして、こんなにも、あちこちで、と疑問に思い。
 その理由に思い至り、思わず立ち止まる。
 丘を見上げて、丘の下を見下ろす。
 先程まで自分が居た廃墟へ目を向けて。
 それから再び、町へと目を向ける。
 心臓に氷が入り込んだような感覚、強い焦りが、俺を襲っていた。


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