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担任ガチャ
○○ガチャ
「親ガチャ」という言葉を目にするようになりましたね。生活環境、経済環境、親の性格や育て方など、自分自身では変えることが難しいことに対して言われるのでしょうか。
ゲームでのガチャは確率でレア度が決まります。それと同じように、親に対しても同じような意味で使われているのでしょうか。何とも複雑な気持ちです。
「親ガチャにはずれたから」自分の人生は…。のようなことを言いたいのでしょうか。
そして、Twitterで「担任ガチャはずれた」という言葉も見かけました。今回は、「○○ガチャ」という言葉について思うことを書いてみます。
あたり・はずれ・レア度
最初に書いた通り、子どもの立場では変えようのない「親」を「あたり」「はずれ」、または「レア度」で表すことを目にするようになりました。
確かに、子どもには変えることができません。経済環境でしょうか、育て方でしょうか。当たりはずれやレア度が決まるのかはその人次第なのでしょう。自分ではどうすることもできない苦しい状況で口にするのでしょう。
私の家庭が周りの人と比べるとどうかと考えたときに、私の親ガチャははずれだろうと言う人がいると思います。何か特別裕福だとか、親が社会的にすごい人だとか、別にありません。家庭でも色んなことがありました。ですが、私は幸せです。ガチャで表わすのならあたりですし、レア度も最高のものだと思います。
おそらく、同じ家庭環境でも人が変われば評価も変わると思います。また、何をもって幸せなのかも違いと思います。
そして、どのような状況であれ、評価を下すのは自分自身です。
担任ガチャ
もう一つ、最近Twitterで見かけたのが「担任ガチャ」です。私は親ガチャよりも担任ガチャの方が気になってしまいました。自分の仕事ですもんね。
内容としては、担任の先生の指導方法がおかしいことが多かったです。ただ、客観的に見たときに、「これは担任が悪いな…」「これは別に良いんじゃ…?」と、必ずしもどちらか一が悪いということはありませんでした。他にも、担任の指導の意図が伝わっていないような内容も見受けられました(私の考えになりますが)。
私は、はずれと言われたらへこむだろうなぁ…(笑)
でも、何かミスをしたときに言われるのは仕方ないなぁ…
などなど、気持ちとしては複雑ですね。
まとまらず
人生は運だけなのか、そうではないですよね。しかし、大きな要素の一つではあるのかもしれません。確かに、親については子どもの人生に大きな影響を与えることは事実だと思いますし、中には本当にひどい親もいると思います。
この辺は、私自身、親ガチャがはずれた!と思うことがなかったので、その人の状況に置かれなければ分かりませんし、いざ同じ状況になるというのかもしれません。この辺はなんか複雑で言語化しにくいですね。厳しい環境の中に育っている子どもに軽々しく言うことはできませんね。
が、はずれたら終わりなのか、と言われるとそうではないはずです。自分の人生と向き合ってもがいている人はたくさんいます。この先自分の思い通りにならないことにガチャガチャ言っていくのはもったいないので、自分にできる努力をしていきたいと思います。まとまりませんでしたし、伝わらなかったと思います。読む人を不快にさせたかもしれませんが、最近思ったことを書かせていただきました。