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おっさんずラブリターンズ 第八話を終えて【キャベツ切ってます】

優しさとは何か、人と人とのつながりや愛情を感じた回でした。

貯金のために「馬車道サービスを解約したい」という春田と牧に「今生の別れ」と涙する黒澤武蔵。そうだよね、余命1か月?って宣告されて苦しいのだから。

「黒澤部長の元気がない」ことを心配して、ホームパーティを開く天空不動産のメンバー。間違いなくホワイト企業だ、素晴らしい。

そして胸が張り裂けそうになったのが、春田を誘って訪れた秋斗の墓参りである。恋人が死んだ事実を受け入れられ、長年苦しんできた思いも、犯人逮捕によって幕は下ろされる。

なんといっても、顔はそっくりでも陽だまりのような優しさをもった春田が、和泉を前向きな気持にさせたのは素晴らしい。

「やっと、区切りをつけられそうです」と愛おしそうに墓を抱きしめる和泉を誰が責められるであろうか。一生側にいたいと思った恋人は、自分を庇い腕の中で冷たくなっていった。自責の念や正義感のはざまで、どれだけ苦しんだかは「3年の月日」が物語っている。

死んだ人間は生き返ることも、笑いかけてもくれない。それでも、和泉は復讐のために自分の人生をかけて走ってきた。

その苦しい荷物を下ろせたことは、和泉推しとしては本当に嬉しいことでもある。

同時に、秋斗だけを愛していて欲しかった気持が強く、菊様の告白に自分と向き合い始めた彼を見るのが苦しい。

菊様は、秋斗を忘れられない・愛し続ける和泉を影日向で支えてきた糟糠の妻でもある。和泉は彼の気持にはまったく気づくことなく、家族のように頼っている。

流れとしては、秋斗が死んだあと、そっくりな春田に出会いほのかな恋心を抱くようになった。これは贖罪にもあたる行動であると考え、同じ顔の人に気持を寄せることで深い傷を修復したわけだ。

菊様にキスされ動揺し、「俺と菊はなんだろう」と考え始めた和泉。
自分は弟や親友のように思っていたのに、相手は長年自分を好きでいてくれた。文句も言わず、自分を支えてした姿を思い出し、気持が動かないわけはない。

そんなに簡単に、愛した人を忘れ恋できるのか・押しに弱く自主性がないと言う人もいるだろう。

復讐が終わり、これからどう生きていけばわからない人は人にすがるしか活路を見いだせない。一番近くにいて、自分を理解してくれる人を失えば、今度は本当に立ち直れないかもしれない。

秋斗に対する純粋で美しく強い愛と菊様に対する感謝や安らぎの気持は全く違う。

これからも家族のように、お互いを支えあい生きていってくれればいい。そう思えるまでに、数十回はドラマを見なおした。

告白されたから気持が動いたのではなく、そこにあったものに気づいたのが正しい。

そして、秋斗への和泉の愛は愛おしそうに墓を抱きしめ、手を合わせることで浄化された。

秋斗の愛は彼を苦しめるものではなく、彼に本当の愛を教えてくれたのだ。

和泉は秋斗を忘れるのではなく、彼の一部になった。あのシーンは、そういう意味があるのではないだろうか。

亡くなった人は生者の思い出の中で生き続ける。
そして強烈な光を放つ真崎秋斗は、私たちの心のなかで永遠に生き続けるのだ。


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