春田さんといっしょ 和泉幸編【おっさんずラブリターンズ】
「春田さん、残業ですか?」
チラシ配布が終わり、会社に戻ったらオフィスには誰もいなくなっていた。なぜか、春田さんだけ机に向かって独り言を言っている。
「あっ、和泉さん、お疲れ様です。あ、えっと、資料が分からなくなって探してるっていうか……」
「すいません、私の責任ですよね」
「ちっ、違いますって、俺の指示が伝わりにくかったのが悪いんで!和泉さんは悪くないです!!!」
あ、俺のせい……ですね。春田さんは、絶対に人のせいにはしない優しい人だ。人のことを悪く言ったり責めたりすることもない。もしかしたら、歩いている蟻を踏んでも謝ってしまうかも知れない。
「申し訳ない……」
「いや、いや、いや、いや、謝らなくていいですって。これは上司の俺がやらなきゃなんで。和泉さんは帰って休んでください!!!」
嫌な顔ひとつせず、何もできない俺に根気よく仕事を教えてくれる。神様のように、人類愛に満ちた素晴らしい人だ。秋斗に瓜二つの春田さんを見た時、復讐だけを考えていた気持がさらに苦しくなった。よりによって、毎日会社で顔を合わせる上司になるなんて考えてもいなかったから。そして、そんな春田さんを好きになっている自分に気づいた時、やるせなくなった。
復讐で返り討ちにあい、玄関で倒れていたのを見られただけでなく……き……すまで」してしまったなんて。まったく覚えていない……もったいないことをした……。春田さんには、牧さんという包容力があり春田さんを信頼しているパートナーがいるから。
「そうですか、ではお先に失礼します」
春田さんに挨拶をし、コートを羽織った瞬間。世界は真っ暗になった。
パソコンも消えてしまい、オフィスは窓の明かりで薄っすらと見えるだけ。窓の外を見ると、会社周辺のビルも真っ暗になっていたのが見えた。 (停電……そういえば春田さんは)
「春田さん?」
俺が暗闇に向かい声をかけると、さっきまで春田さんが座っていたはずの椅子の下から声が聞こえる。
「無理無理無理無理…怖い怖い怖い……無理無理無理無理」
「あのー春田さん?」
「ず…ずみ…さん…怖い。俺、暗いの苦手で、怖くて……ぐすっ。ぐすっ」
春田さんはどうも暗闇が怖いらしく、パソコンと一緒にフリーズしてしまったようだった。スマホのライトを頼りに、春田さんの机の下を除くと体育座りした春田さんがいた。本当に怖かったのか、膝を丸めて震えている。 「大丈夫です。私がいますから」
そう声をかけると春田さんは「和泉さ~ん」と泣きながら抱きついてきた。フリーズしそうな気持を落ち着け、泣いている春田さんの背中をトントンと叩いた。こうしていると、春田さんは子供みたいで可愛い。このまま抱きしめてもいいだろうか……と、よこしまな気持がなかったわけではないが、不安そうな春田さんに付け入るなんて許されることではない。
「とりあえず、寒いからコート着ましょう」
そう言って立ち上がると「嫌だ1人にしないでください~」としがみついてくる。神様、どうしてこんなに純粋無垢な罪人を作りだしたのですか。心拍数と血圧が同時に上がって、鼻血がでたらどうしょう。春田さんは優しいから、怖い気持ちを我慢して解放してくれるかもしれない。春田さんからは自分の表情が見えないのをいいことに、ついついあらぬ妄想をしてしまう。 ぐずる春田さんにコートを着せ、ポケットからジッポを取り出し火をつける。
「春田さん、ビル周辺の電気が供給されていないので停電だと思います。しばらくすれば、電気も戻りますから、とりあえずこれで我慢してください」
こんな暗闇で春田さんに抱きつかれ、理性を保てる自信がない。普段の笑顔も可愛いと思っていたが、泣き顔もちょっといいかも……と思った自分を制圧したい気分だった。
ジッポは、ゆらゆらとやわらかな光を放っている。春田さんは、少し落ち着いたのか鼻をぐずりながら「あぢがどうございがす&@%」と意味不明な言葉を離した。
「もう一人で座れますよね?」聞くと「和泉さ~ん、腰が抜けてたてない〜」としがみついてくる。これはなんの罰ゲームなのだろう。好きになってしまった人には、すでに決まった相手がいて、なんとか忘れなければと毎日苦しんでいるのに。
仕方がないので、春田さんを抱えてお客様用のソファに座る。目の前にはガラスのテーブルがあったので、そっとジッポを置いた。
「和泉さん、煙草吸いましたっけ?」
春田さんは少し落ち着いたのか、炎を見ながらそう聞いてきた。
「私は煙草は吸いません、これは……プレゼントにもらったんです」
「秋斗……さんですか」
ライターの炎を見つめながら「はい、そうです」と答える。
「暗がりで懐中電灯は使えませんから、ライターは便利なんです。閉じこめられた時には、こうやって火をつけて周りを確認したり……」
「すげーと思って。そっか、秋斗さんのプレゼト……。大切ですよね……。こういうの、仕事で使うんですよね。うん…そっか」
「春田さん?」
春田さんは満足そうに何度か頷いて、炎をじっと見つめている。停電とはいえ、好きな人を抱きしめ……いや、肩を抱いているのはさすがに気持が折れそうになってくる。肩に回した腕を離そうとすると、春田さんは無意識なのか俺に密着してくる。ああ、この人は俺を殺す気なのか、テロリストめ。
「あの……春田さん、あまりくっつく……」
「おおっ!イニシャルまで入ってる!!すげーっ!!秋斗センスいいって!」
春田さんの顔がすぐ近くに見えて、それも薄暗がりで「ああっ!なんで停電が直らないんだよ!!」俺は思わず立ち上がってしまった。あんな至近距離で顔を近づけられて、これ以上正気でいられるはずがない。
ところが春田さんは暗がりの恐怖と俺が体を離したことで、パニックになってしまう。
「和泉さん!えっ!どこ!俺を1人にしないでくださーいい!!」
そう言って、俺の脚にしがみつくものだから体勢を崩し、春田さんを押し倒してしまった。
「すっ、すいません」
ところが春田さんは、パニックで俺の首に腕を回して離れない。
「もうやだ、暗いのやだ」
駄々っ子のように泣く春田さんを見て、秋斗を思い出した。本部に呼ばれ、1週間だけ捜査本部に行くと告げた時「俺、嫌だから。和泉さんと1週間も離れるなんて、嫌だ!ヤバい捜査なんだろ?なんで和泉さんが行くわけ?公安のエースだから?関係ないじゃん!怪我とかしたらどーすんだって、俺がいないところで怪我とか絶対に許さない!」と暴れまくった。
「秋斗…」
「やだからな、俺は……これ以上…あんたの体に傷つけられたら、俺はどうすればいいの…」
秋斗を抱き寄せ髪を撫でると、顔をうずめて静かに泣いた。
あの顔を思い出すと、自然に気持が落ち着いて春田さん見てもドキドキしなくなった。
「大丈夫ですよ、さすがにもう電気がくるはずですから」
そう言って、子供をあやすように背中をさする。同じ顔なのに、性格はまったく違うと思っていたのに。妙な共通点を見つけてしまった。
春田さんは相変わらず、グズグズ言っていたが落ち着いてきたようだ。
「和泉さんは怖いものとないデスか?」
まだ涙声だが、パニック状態は脱したようだ。怖いもの……ヤクザもテロリストも怖いと思ったことはない。一番怖いのは愛する人を失うことだけ。それを春田さんに言えば、この前のように一緒に泣いてくれるに違いない。だから俺は何も言わなかった。
「そうですね……弓が引けなくなること……です」
「あ、弓!うんうん!好きなことできなくなるのは嫌ですよね」
春田さんは、陽だまりのような温かい笑顔で笑いかける。その笑顔に誘われたように電気がついた。春田さんの肩から手を離し、手を握って立たせる。
春田さんは「えっと、恥ずかしいとこ見せてすみません」と頭を下げた。
「気にしないでください。春田さんも、もう帰りませんか?コート着ちゃいましたし」
「あ、はい。そうします」
「電気消しますから、春田さんは先に出てください」
春田さんが「じゃ、エレベーター前で待ってます」と走り去ったあと、ジッポを手にして蓋を締める。
「あっっ!」長く火をつけていたからか、ライターがいつもより熱く感じた。もしかしたら秋斗が焼きもちを焼いてるんじゃないか……そんな気がした。
もし、そうなら俺の目の前に出てくればいい。秋斗に殺されるなら本望なのに。もっと早く、そうしてくれたら、こんなに苦しまずにすんだはず。
俺はポケットにライターを滑り込ませ、春田さんが待っているエレベーターへと急いだ。