通勤時での戦争
どこの地域も通勤ラッシュの時間帯はだいたいの
電車内は混んでいると思います。
だいたいの人が立って人混みに揉まれます。
あれだけでも労働の数倍は疲れるのに、賃金は発生しません。悲劇です。最低です。
たださえ立っているのだけでも疲れるのに、通勤時の電車内ではもっと疲れることがあります。それは席の取り合いです。端からみれば静かな戦い。しかし当事者にとっては大戦争です。通勤時の電車内で座れるというのは奇跡なのです。長い通勤時間を座れるということは、天国を約束されたことと同等なのです。だからみんな命がけで席取り合戦をします。しかし、席取り合戦はただ闇雲に席を取り合うのではありません。とある秩序の中で戦いは行われるのです。暗黙の了解。
通勤時、ほとんどの場合、席には誰か座っています。つまり既に席は埋まってるのです。しかし、我々が狙うのは席でありながらも、席そのものを狙ってはいないのです。席の前の立つ位置を狙っているのです。理由は2つあります。まず一つ目は、席に座っている人は降りる駅になれば、当然、降りるために席を立ちます。その瞬間、最短で席に座ることのできるのは、目の前に立っているものだけです。それゆえにその立ち位置を狙うのです。
二つの目の理由は先ほど上記で書いた暗黙の了解が関係します。
それは席に座れる権利です。
社会では平等というものを強調します。
しかし、それはだいたいが建前で、ほとんどが早い者勝ちです。みんな順番をまたなきゃいけないのです。それは席も同様。席の前という立ち位置を先に取ったものは、席に座る権利を得るのです。
その権利は侵しがたく、神聖で崇高なものです。
座ろうが座らなかろうがその人の自由。生殺与奪の権利と同じです。自分の前の席が空いたら座っていいのです。誰も文句を言いません。それがルールだからです。
このルールは絶対的である。
そう思っていた時期がありましたあの日までは。
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