前置きが長かった前回の記事ですが、一番何を書きたかったというと、この前に自分は通勤時に大きな挫折を味わったのです。 戦争でありながらも、暗黙の了解というルールがある以上、それを破られることはないと過信をしておりました。否、今まで破られたことはなかったのです。 ある朝、いつものように電車にのり、運良くベストポジション(座席の前)につくことができました。 あとは座席に座っている人が立ち上がれば、私の勝利でした。 ベストポジションを取ってから一駅ほど過ぎたときに、ある女性が私の
どこの地域も通勤ラッシュの時間帯はだいたいの 電車内は混んでいると思います。 だいたいの人が立って人混みに揉まれます。 あれだけでも労働の数倍は疲れるのに、賃金は発生しません。悲劇です。最低です。 たださえ立っているのだけでも疲れるのに、通勤時の電車内ではもっと疲れることがあります。それは席の取り合いです。端からみれば静かな戦い。しかし当事者にとっては大戦争です。通勤時の電車内で座れるというのは奇跡なのです。長い通勤時間を座れるということは、天国を約束されたことと同等なのです
人間、生きていると色々考えてしまいます。 かくいう、自分もいつも余計なことを考えています。考えては消えて、思い浮かべては消えて、自分の中で延々とそのサイクルを繰り返しています。 思い浮かべた物の種類は色々あります。 ポジティブなもの、ネガティブなもの、空想、妄想、思想、不満、愚痴、エトセトラ 自分はあまり言葉でそういったものを消化出来ないたちです。話す相手がいないというのは自分の友人や家族に失礼なので、いいませんが、いないと言うより、言えないの方が正しいと思います。