“美人薄命”と“儚い命は美しい”
美人薄命とは、美人には短命な者が多い、という意味の四字熟語だ。
そういう言葉が生まれるのだからきっとそれは真実なのだろう。
では、なぜ美人は薄命なのか?
「美しい人はとかく病弱である」
そう論じられているが、容姿が寿命に直結する要素だとは考えづらい。
むしろ私達は一般的に、外見的に健康な様子に美しさを感じるように思う。
(不健康な様が“エモい”、というのはあると思うけれど。)
そうすると、健康的な様子ゆえ外見の美しい人は、その見た目の通り健康で、長生きするのでは。
あくまで主観ですが、どうなんでしょう……誰か病弱な人々の外見的特徴をデータにまとめてたりしないかな。
「美しい人は数奇な運命にもてあそばれる」
もう一つ論じられているこちらについては、まさにそうだと思う。
美しい人は、周囲の人間を狂わせる。
美しい容姿を持っているだけで、彼ら彼女らは何もしていないのに、多くの人間に感情の矛先を向けられる。それは好意であり、敵意であり、嫉妬であり、とかく様々な感情を向けられてしまうのだ。
自分の意に介さない思惑による運命が、彼ら彼女らの周囲には渦巻いている。
それらが不幸を呼び寄せることもきっとあるのだろう。
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“美人薄命”とは“美人だから薄命である”という意味の四字熟語だ。
そして、近しい概念として“儚い命は美しい”という言葉もある。
たとえば桜の花がそうであるように。
たとえば線香花火がそうであるように。
人間もそう言えるのではないか?
美しい容姿の人が、短い命を儚く散らす。
その様子は、彼ら・彼女らの美しさをよりいっそう際立たせるのではないか。
美人薄命という言葉は、“美人だから薄命である”という説明的な言葉でありつつ、“薄命だからこそ美人たり得る”という逆説的な意味をも持つのではないか。
この言葉を目にするたびに私はそう考えるし、だからこそ私はこの言葉が好きなのだ。