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アイソレーション(第二話)

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    十一年前ーーーー

「おーい佐竹。お前もまぜてもらいやー」
「私はいいです。球技好きじゃないんで」
    グラウンド脇の木陰になっているベンチ。九月下旬のセミの鳴き声は、残り僅かな命を叫んでいるようだ。その下で小説を読んでいる弘花。話しかけてきた担任の豆山二郎。
「そうながかぁ?中学でバスケしよったろうが?」
    本から目を離さない弘花。その前に回る豆山。しおりを挟み本を閉じ、ため息をついた。
「あの先生」
「ん、なんだぁ?」
「先生は出身、神奈川ですよね?なんで高知弁なんですか?」
「そりゃ~こっちに来て十年以上経つし普通、自然にこうなるがやないかえ~。因みに、土佐弁やきにゃ」
    立ち上がった弘花はベンチから校舎に戻る。
「おい佐竹。どうかしたがかぁ?」
    立ち止まり、顔を少し豆山に向け、
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「私、土佐弁嫌いなんで」
    ぽつんと立ち尽くす豆山。その後ろでキックベースにはしゃぐ男女生徒の声が、セミの声を追い越したーーーー


    二学期から産休に入った元担任に代わり、副担人だった豆山が弘花の一年C組の担任になった。親への挨拶も兼ねて、九月から家庭訪問が行われていた。ほとんどの生徒の親は土日休みで、豆山は朝から夕方まで各家を回っていた。
    十月に入り、佐竹家の家庭訪問の日がきた。弘花の母は平日休みのため放課後訪れることになっていた。
「おーい佐竹。乗ってきいやー」
「はぁー?!先生がなに女子生徒に言ってるんですか?!」
    豆山の中古のミニクーパー。青い塗装が剥がれた箇所が幾つかある。「え、なんでぇ?」と運転席から弘花に聞き返す。その表情は三十代とは思えない、あまりにも純粋な少年のようだった。弘花は自意識過剰だと思われるのもシャクだから、
「…いえ、乗ります」

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「先生、一応言っておきますけど、女子生徒と二人っきりで車やお店に入るのは、誤解を招く行動ですから。東京じゃありえませんよ」
    後部座席で姿勢を低くしながら弘花は言った。
「誤解ってなにがや?電車で帰るより早いろうがぁ」
「いやだから…その、男女の関係とか……」 
「ははははっ!ないないない。あるわけないきねぇ。俺、奥さん大好きやき」
    恥ずかしげもなく言い切った豆山を、"こんな大人もいるんだ"と弘花は思った。そして姿勢を正した。

「先生は、なんで先生になったんですか?」
「なんや急に。佐竹~、俺の授業なんちゃー聞いちゃーせんやろぅ。話したと思うけんど…」
    突然の質問に、豆山は嬉しそうに答えた。

    子供の頃から高知県の歴史が好きだった豆山。中学ではたくさんの文献を読みあさり、オタクの域に達していた。大学からこちらに来て、そのまま日本史の教師になった。豆山の授業はいつも、隙あらば高知の歴史を語り出す。テスト範囲外だと話を聞く生徒は少なかった。弘花もその内の一人で、話半分で外の田園風景をよく眺めていた。
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    いつも「なんでこんなにも楽しくしゃべるんだろう」と不思議に思っていた。C組の担任になってからは、ここぞとばかりにホームルームでも語っていた。

「こうやって聞いてくれるがは、佐竹がはじめてで嬉しいわ。お前も高知好きやろう?」
「いや、家帰るまで暇なんで…」
「そうかあー。なあ…佐竹も東京行きたいがかぁ?」
「"も"って、他にもいるんですか?」
「ほとんど、みんなちや…」
    クラスメイトとほぼ交流のない弘花は、はじめて知り意外だと思った。もっと地元愛があるように皆を見ていたからだ。
    豆山は前担任から、C組の生徒のことはある程度聞いていたが、今回の家庭訪問で九割近くが高校卒業後は、東京や大阪の大都市に行きたがってると改めて知り、ショックをうけていた。
「みんな都会に憧れを持つのはえいと思う。けんど余りにも今を、地元の高知を大事にしてないことが、残念やなぁと思っちゅう。……まぁ一回、離れてみんと、良さが分からんこともあるやろうけど」
    弘花は後から見える、豆山の横顔に孤独を感じた。その左頬には大きなホクロが二つあった。
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「先生ってそのホクロ取らないんですか?」
    弘花なりに話題を変えてみた。
「はあ?なんでや。俺のチャームポイントやろ。豆山が豆みたいなホクロ二つあるってな、ははははっ」
「は、ははっ、そうですね」
    オーソドックスな愛想笑いをしたーーーー

    私の家族は母と私だけ。父と離婚し、東京から母の田舎の高知に帰ってきた。それから母は変わってしまった。よく私と渋谷や原宿で買い物をしたり、季節ごとのイベントを率先して楽しんでいた。そう思っていたのに本当は、子供の私に悟られまいと、無理に明るい母親を演じていただけだったと、今になって思う。
    母が二十七の時に私が産まれた。"授かり婚"。いや、"できちゃったから仕方ない婚"がネーミングとしては正しい。父は当時まだ、二十歳の学生だった。
    出戻り女は酔っ払っては、父への憎悪を吐きまくっていた。「四年に一度浮気するがは、ワールドカップに合わせちゅーがかー!」度々これを言う。東京じゃお酒なんてほとんど飲まなかったのに。
「高知の女は元来、酒好きやき。アンタもそうなるちや」母の決めゼリフだ。
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    酔っ払って機嫌いいのは最初だけで、後はただただ男への悪態ばかり。私は、"こんな女にはなりたくない"と常に思っていたーーーー

    学校から車で四十分。電車より断然早く家に着いた。
    そこは簡素な集合住宅。外ではしゃぐ子供達の声と、ボールの弾む音が建物に反響して、豆山は母に聞き直す。
「あーごめんなさいね。うるさい所で。日が暮れるまではいつもこうながです。で、なんですぅ?」
    母、理恵子も何を聞き返してきたのか尋ねる。
「あ、そのお母さんは、弘花さんの将来をどうお考えなのかと…」
   (へ~先生って、敬語だと標準語なんだ)弘花は新鮮だった。
「あーそれなら本人に任せちょります。好きなように生きたらえいがですけど、男に依存するのだけはやめちょきと。しっかり地に足つけた人になってくれれば…ってまあ、そう思いますき」
   (はじめて聞いたし…ダメ母のくせに、それなりに色々考えてたんだ)
    理恵子の隣で弘花はそう感じた。
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「そうでしたか。あの、お母さん。弘花さんにスポーツをさせても、問題ないでしょうか?」
「ええ、まあ本人がえいがやったら」
「いやいや待ってよ!スポーツなんてしないし!」
「まあ聞け佐竹。お前が球技嫌いは知っちゅーき。じゃあ陸上ならどうやろ?俺一応、陸上部の顧問やき。高校、大学と走高跳びの選手だったから、それなら詳しく指導できるしさ。どうかな?」
    後半標準語になっていた豆山にニヤケた弘花。
「なにがぁ可笑しいん?」
「いや、なんでもないです。考えときます」
「ほお~、そうか」
   (一応は考えてはくれるのか。よっし!)豆山はテーブルの下で小さくガッツポーズしたーーーー


「マメニ先生見た!1メートル66だよ!」
「おー!佐竹スゴイやん!」
「きゃはは!これで先生飛び越えれちゃうね」
「ははっ。だな!人生でそんなシチュエーションないと思うけんどな」
    弘花が二年生になる春休み。部活の休みを返上して、豆山は走高跳びの指導していた。
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    野球部のシャトルランを眺めながら、二人は木陰のベンチで休む。汗を拭う弘花は、先程の達成感に笑顔が緩まらない。その様子を見て豆山も嬉しく思い、満面の笑みで言った。
「ほんまありがとう佐竹。こんなに楽しんでくれて」
「こちらこそだよマメニ先生。無理にでも誘ってくれてなかったら、ずっと腐ってたよ私」
「そうや、夏の競技会、佐竹出てみるかぁ?」
「え、うん。でも…緊張するだろうし、それに…」
「それに?」
    弘花が何を話したがっているのか気付いた豆山。
「うん…私、中学までバスケしてたの、先生知ってるよね?」
「ああ、上手かったんやろ?ケガしたがかぁ?」
    豆山はそうじゃないことは知っていてた。以前、家庭訪問の前に、弘花が在籍していた中学のバスケ部顧問に会っていたからだ。
「ケガじゃなくて……先生、"アイソレーション"って分かる?」
「んー、アイスの種類かなんかかぁ?」
    また知らないふりをしてみた。
「きゃはは、違う違う。バスケの戦術だよ」
「へー、どんながぁ?」
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    弘花が東京から高知に引っ越して来たのが、中学二年の九月。理恵子の実家は山合の小さな町。そこには理恵子の両親も健在だったが、都会暮らしからいきなりド田舎で暮らすことに、弘花は抵抗していた。それと、バスケが盛んな中学に合わせたところ、理恵子の実家からは遠く離れてしまった。
    弘花は中学入学時点で165センチあった。一年でレギュラー。部員達からも慕われていた。この実績を生かして、高知でもベスト16に入る中学を選んだ。
    しかしそれは数年前の話で、今では部員数はたったの七名。内、幽霊部員が四名。バスケ未経験の年配の顧問がいるだけの有り様。万年一回戦負けの弱小校に成り下がっていたーーーー

「それでも最初から燃えてたんだよ私。漫画みたいじゃん。私が全国までチームを強くするって」

    漫画の主人公のようにチームを盛り上げ、幽霊部員も部活に戻るよう熱く説得出来た。ミニバス経験者もいて、そこそこ試合が出来るベースにはなっていた。
    入部から半年が過ぎた頃、高知でベスト4の強豪と練習試合を組むことができた。しかしーーーーその試合の終盤、"事件"が起きた。
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    相手校の体育館は春休みだが超満員。県選抜二名の選手を目当てに、他校からも大勢詰め掛けていた。
    それと弘花の存在も噂になっていた。
「東京から来た168センチのオールラウンダー」と。
    本来ならそんなプレッシャーなど喜んで立ち向かえていたが、この試合の数日前からチーム内の雰囲気は良くなかった。原因は弘花にあったーーーー

「なんで皆、佐竹さんのパス貰わんがで?」
    第4クォーター直前のベンチで、温厚な顧問が疑問を投げ掛ける。皆、下を向き黙っている中、結月が発言した。
「田辺先生。アイソレーションって戦術ですよ。分かりますかぁ?絶対的エースの弘花に、みんな託してるんですよぉ。なあ、みんなもそうやろ?」
    皆、うつ向いたまま返事をした。
「んー、そうながかぁ?佐竹さん」
「…はい。私、やります」
    こう言わざるを得ない状況にしたのは、弘花の落ち度であり、結月が仕組んだことだ。
    幽霊部員だったキャプテンの結月を、ミニバス経験者というだけで戻してしまった。最初から、弘花の押し付けがましい熱さが気に入らなかった。
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    自分より十センチも背が高く、技術もあって陽気な都会育ちの弘花の、何もかもが結月を卑屈にさせていた。そして、決め手となることが起きた。
    今まで結月は見て見ぬふりをしていた、男子バスケ部エースの門倉貴之と弘花の関係を。別クラスの二人が度々、昼休みや放課後に楽しく話しているのを見かけていた。結月は貴之のことが好きだった。
    試合の一週間前。偶然二人が話している場面に遭遇。弘花が貴之に試合を見に来てほしい。その後に話したいことがあると。
    その瞬間、結月の中にある淀んでいた、どす黒い感情が溢れたーーーー

「そうかぁ、辛かったなぁ佐竹。女の嫉妬って怖いんやな…」
「"出る杭は打たれる"ってやつ?私、昔から調子乗りだから、ハハッ。気付いたら大変なことになってた…でね、アイソレーションの語源調べたんだ、なんとなく。"孤立"とかさ"切り離す"とかだって。ハハッ、"まさに"私じゃん!って…」
「…まぁ俺もちや。歴史オタクで周りから孤立し…」
「パパー!」
    校舎側から走ってきた少女。豆山に抱きついた。
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「どうしたがぁ凛。学校まで来てぇ。ママはぁ?」
    娘の凛が「あっちー」と指差した体育館の方から、手を振り歩いてくる女性が見えた。

「はじめまして。二郎の妻、阿久津鞠子です」
    豆山より三歳年上の鞠子は、清楚な白のワンピースに、シックな日傘をさした貴婦人という印象。
「え?マメニ先生って、ふ、夫婦別姓なの?」
「ほんまなんも聞いちょらんなぁ佐竹は~。俺は阿久津家の婿養子やき。学校じゃ旧姓の豆山にしてんの」
「パパは豆が二つのマメニ先生やきねぇ!えいっ」
    凛は豆山の膝の上に乗り、左頬のホクロをパクりと咥えハムハムした。
「こらこら凛~!人前でそんなことするなちや~」
「だってパパのコレ好きやもん!」
「きゃははー、私もパックンしちゃおっかな~」
「ささ、佐竹はダメに決まってるだろ!」
    焦る豆山は標準語になり、それで弘花もまた笑った。凛もしつこくハムハムした。
    その三人の無邪気で和やかな様子を、じっと眺めている鞠子は、薄い笑みを浮かべていたーーーーーー

    第二話終

https://note.com/famous_bear996/n/n1fdd8f1aa44e










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