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アイソレーション(第七話)

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「豆山さん、私を指名してくださったのは、どなたかのご紹介でしょうか?」
    高校生の凛に対しても丁寧な敬語を使うアコ。
「いえ。ホームページの写真を観て、この素敵なお姉さんにカットしてもらいたいな~って。直感です」
    弘花との想定問答どおりの凛。
「ありがとうございます。その直感にお応え出来るよう、がんばりますね」
「よろしくお願いします、アコさん」
    その様子を鏡越しで見届けるモトキ。(うん。いい出だしだ凛ちゃん)

    喫茶店で待機する弘花。
   (凛ちゃんなら大丈夫。大丈夫、大丈夫…)
    落ち着かない弘花の鼻先をメンソールの香りが掠めた。カウンターで客が当たり前に吹かしていた。カウンターの中の店主のおばあさんに伺う。
「あの、ここってタバコいいんですか?」
「いいよ。電子タバコならね」
    バックからプルームテックを出したが、肝心の煙草がなかった。
「あの、コレの煙草って売ってます?」
「ん~?その種類はないね。アイコスだけだよ」
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    仕方なく財布だけ持って喫茶店を出た弘花は、コンビニから出て来るモトキに先に気がついた。
   こうしてばったり昼間に会うのは、何故か抱き合っている時よりも恥ずかしかった。そんな素振りを見せないように、
「あ、こんにちわモトキさん。お昼ですか?」
「あ、ヒロカちゃん。うん、これからね」
    モトキは気恥ずかしそうに手で、シーフードヌードルとレジ横の唐揚げの紙袋を持っていた。弘花は勝手に、モトキは愛妻弁当を毎日食べているのだと思っていたので、あまりにも貧相なメニューには触れず、
「あ、モトキさん凛ちゃんどうですか?上手くやれてますか?」
「あの子はスゴいよ。アコがもうフランクな会話して、引き出されてるって感じ」
「そうなんですよ凛ちゃんて。年上転がすの上手いんです。良かった。これで何か分かれば…」
「弘花ちゃん、ちょっとそこいい?」

    モトキと弘花は灰皿の所に移動した。本体は喫茶店に置いてきたので、モトキが紙煙草を勧めてくれた。タールのキツさにクラっとした。弘花は昨夜のキスの味を思い出したーーーー
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    ーーーー立て続けに二回まぐわった後、モトキはまったりソファーで煙草を吸っていた。ベッドから見えたモトキの丸まった背中。長年、美容師をしてきた影響でそうなったのかと思った。
「モトキさん、一本いいです?」
    弘花はモトキに寄り添い、煙をゆっくり吐いた。
「大丈夫ですか?疲れましたよね…年末仕事忙しいのに、こうやって時間作ってくれて、ありがとう」
「うん…ヒロカちゃんは大丈夫?ちょっと強引だったよね俺」
    二週間前の初めてモトキと抱き合った時は、接客の延長のように丁寧で癒された。確かに今夜は、モトキの性の掃き溜めにされているような、荒っぽさは否めなかった。
「元基さん何かあった?話きかせてよ」
    弘花ははじめてそんな聞き方を自然にしていた。
「え?」
    モトキは驚いていた。一回り以上年の離れた若い弘花が、そう尋ねた事に。まさか急に心情を吐露できる場面が、自分に来るなどとは。
「うん。ありがとう弘花ちゃん。また今度ね」
    そう言って、ヤニで汚れた口内を洗い流すかのように、モトキは舌を絡ませてきたーーーー
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「昨日はありがとう、弘花ちゃん。俺のわがままで」
「いえ…あんな強引な一面もあるんだって、最初は驚いたけど、なんか、色々と抱えてるんだなって、元基さんを少し覗けた気がして、嬉しかった」
    モトキは空を眺めた。分厚い雲が流れている。水色に澄んだ世界が拡がる。
「俺って、クズだからさ…」
    そう言ったモトキの横顔が、弘花には泣いているように見えた。(うん。"励まし"だ)
「そりゃそうですよ。不倫してるし。言ってみれば二重生活でしょ。気が休まらないよね。私なら無理。精神崩壊するし…ははっ、ちょっと前までしてたな」
「ははっ、俺が自分で撒いた種なのに自爆しそうだよ、馬鹿だな…」
「バカですよね、お互い」
    弘花は微笑んだ。
    モトキも少し笑い、煙草を吸い終えたが、
「弘花ちゃん、もう一本だけいい?」
    そう言ってモトキは会話を続けたーーーー

    喫茶店に戻り、ミルクティーを頼んだ。電子タバコはもうよかった。さっきの"付き合いタバコ"二本と、モトキの話で脳圧が高くなっていた。
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    堰を切ったように話していたモトキ。時系列がタイムトラベラーのように、過去から現在、過去、過去、未来、現在と跳びまくっていた。
    小学生が母親に、今日一日の出来事をもの凄い熱量で話しているようで可笑しかった。
「はいどうぞ、ミルクティーね。あったのかい?ぷろーむぱっく?」
「はい。ありがとうございます」(ふふふっ、ウケる)
    少し熱めのミルクティーで体が温まる。モトキの話を自分なりに要約してみた。
    モトキは昔から優しい男を演じて、そつなく生きてきた。女にモテたいという理由で、田舎の静岡から東京の美容専門学校に進んだ。
    美容師になり、客と関係を持つことがステイタスになっていた。
    その内の一人が今の奥さんで、現在十二歳と九歳の息子がいる。来年三月には女の子が誕生する。
   (自分の歴史を語りたかった?要は女好き?)
   そう思っていたが、モトキが去り際に、
「ごめんね弘花ちゃん。俺、なに話してんだろ、オッサンのくせにベラベラと…なんか中学の時の親友と話してるみたいな感覚になって、つい……ま、ソイツとは、三十年も疎遠なんだけどね…」
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    多分その親友と何かあって、モトキの人生は大きく変わったのだろうと想像したーーーー

    コンビニから美容室に戻ったモトキ。 (お、凛ちゃん恋愛トークしてる。さぁ~どう繋げる?)
「そうなんですね。アコさんにぴったりな彼氏さんですね。ステキ~」
    凛にねだられ仕方なく、スマホの待ち受けの彼氏を見せたアコ。本当は見せたい気持ちしかなった。
    アコは弘花と同じくらい背が高く、金髪でサイドを刈り上げた、ワイルドな姉御肌の印象を凛は持っていた。待ち受けの彼氏はアコより頭一つ身長があり、銀髪で、鎖骨の下にタトゥーが覗く。その画像のアコは彼氏に肩を組まれ、とても乙女な表情になっていた。
「ありがと。凛ちゃんはどう?彼氏いるでしょ~めちゃくちゃカワイイし」
「いやいやいないですよ~わたしなんて~。あっ!でも最近一目惚れした人がいて…こっそり写真撮っちゃったんです。アコさん見ます?」
   (上手い!)
    モトキは受付で作業しているふりをして、聞き耳を立てていた。
「どこで撮ったの?駅?かな」
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「はい、駅のホームで。もうビビビってきちゃてつい。どうです?よ~く見てくださいよ~」
    ハサミを止め、凛のスマホを手に取ったアコ。
   (くぅ~上手い!後はアコが担当した相手かどうか)
「……」
「どうですアコさん?傷みたいなのあるけど、そこもまたカッコよくないですか~」(どう?知らない人?)
「ん~どっかで見たような~知ってるような~…」
「どうしたアコ?手が止まってるぞ~」
    モトキが凛のフォローに入った。
「あ、モトキさん。いや、この男性知ってます?アタシどっかで会ったはずなんですけど…」
「あ~あれだよあれ。俺とサヤカがハロウィン飾りを買いに行って居なかった日。お客さんでしょ。あの日アコから聞いたよ」
    (アコどうだ!俺の渾身の演技は!思い出せ~!)
「…んー」
   (やっぱりアコさんが担当した人じゃ…ない?)
「…あっ!思い出した。アタシが担当したかも!」
    鏡越しに凛とモトキは顔を合わせ、コクリと頷いた。そして凛の本題はここから。
(ふぅー、なんとか持ち込めた)
    より気合いの入った演技を魅せるーーーー
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    買ってきた煙草を本体に差し込む。こうやって店内で吸えるのは珍しい。この喫茶店は弘花が生まれるずっと前からあるのだろう。レトロな作りに歴史を感じる。煙を吐きながら見渡した。
    カウンター五席。弘花が座る二人掛けテーブルが二席。奥には四人掛けが二席あった。そこの壁に、縦横一メートルの大きな絵が飾られている。一人の若い女性が斜に構えて座っている油絵。弘花が凛とここに入って来た時すぐ目に入った。奥の壁に佇むその絵が、戸惑いの表情に感じていた。それよりサイズが半分の絵が、店の入り口から奥まで四枚飾られているのを、今になって気づいた弘花。それを眺めていると、
「おねーちゃん、その絵、全部私なんだよ」
    店主のおばあさんが話しかけてきた。
「えっ?!そうなんですか?!あの大きい絵も?」
    当然のリアクションだった。絵の女性は若くて洗礼された姿。目の前にはしわくちゃで、笑った口元には歯が足りていなかった。(三本くらいしかない…)

「アコさんこの人の名前は!?住んでるのはこの辺かな?!」
    馬鹿なフリをして凛は聞いてみた。ヤマダタカシ。住所は未記入。他を引き出すきっかけに過ぎない。
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「調べたら分かるかもだけど、個人情報だからね~教えたりはちょっと…」
「そうですよね…わたしがもしストーカーだったりしたら、マズイですもんね…」
    落ち込んでいる雰囲気を声に込めた凛。
「ごめんね、凛ちゃん」と言い、前髪を切りはじめたアコは、涙目になっていた凛に気づいた。
(ヤ、ヤバい!なんなのこのカワイさ!)ハートを鷲掴みにされた。
「あ~、思い出した、かも。この辺りの住まいではなかったよ、うん」
「え。ホントですか?」
「確か、お住まいコチラですか?って聞いたら、"いえ、ちがいますぅ"って、どちらなんですか?って聞いたら、"地方ですぅ"って。言いたくない感じ?」
「そうですか…他には、ないですかアコさん…」
    凛は潤んだ瞳でアコを見つめ、アコは"この子の為なら!"と、必死に記憶の中を探したーーーー

    弘花は席を立ち改めて、入り口から一枚一枚絵を見ることにした。笑顔の女性が出迎える、素敵な一枚目だった。奥に行くに連れどんどん店主は若返り、最終的に一番大きな絵に繋がる配置になっていた。
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「亭主が油絵が趣味でね。一番奥が十八の頃の私」
「へぇ~大人っぽいですよね」
    弘花には自分と同世代くらいの女性に見えていた。
   (このおばあさんの年代は、時代的に大変だったんだろうな…)
「その入り口のやつ、五年前の光枝さんなんだぜ」
    カウンター席の客が弘花に言った。店主の光枝より大分若そうな男性。
「へぇ~そうなんですね……え?え?え?」
    弘花は光枝とその絵を三回見比べてしまった。
「辰っちゃんヤメテよ!そのくだり!誰でも戸惑うから~」
「はははっ、ごめんごめん、みっちゃん」
「このおじさんね、いやお姉さんからしたらおじいさんか。中学一年からの付き合いでね、かれこれ五十年の腐れ縁なのよ」
「ははっ、仲良しでいいですね……ん?」
    弘花は席に戻り、煙草のスイッチを押した。煙を燻らせながら、引っ掛かった数字を整理する。
   (あの入り口の絵が光枝さんの五年前?こんなに変わる?…で、あの男性とは中一からで、プラス五十で…六十三歳の二人…いやいや、たっちゃんは年相応だけど…光枝さんは…)
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「ねえお姉さん。今こう思ってるでしょ。"このばあさん六十代には見えない。老けすぎだろ"って」
「あ、いやその。苦労されたのかなって…」
    当たり障りない言葉しか出なかったーーーー

「凛ちゃん、なんの参考にもならないと思うけど…」
「ホントなんでもいいんで。彼を知りたいんです!」
「うん。その男の人をさ、店の前で見送りした時…」
    アコは、というかどの美容師でもそうだろう。せっかく丁寧にカット、スタイリングした矢先に帽子を被られるショックは。そのヤマダタカシは、会計の時点でニット帽を目蓋の上まで被り、丁度鳴っていた携帯に出ながら退店した。
「多分、地方のイントネーションってのは分かってたんだけど、その電話相手に、ゴメン、ゴメンって何度も謝ってたな」
「内容覚えてます?思い出してアコさん」
    追い込みをかける凛。
「ん~とね確か、"オレはゴメンやき、それは脳が悪い?"って言って、"明日帰るき、雫さんがゴメン来てよ"って…意味分かんないよね凛ちゃん」
    期待に応えられず、ドライヤーで毛をはらった。
「……わかります」
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「え?!」凛の呟きにドライヤーを止めたアコ。
「わたし、分かります!ありがとうアコさん!」
    アコは、凛の今日一番の笑顔に鼻血が出そうな感覚になったーーーー

「それでね、"十年毎に光枝さんの絵を描くよ"って言ってくれてた亭主も、五年前に他界してね。見てのとおり私は一気に老け込んで、大病もして。でも立ち直って生きてる。なんだろね、人生って…」
    弘花は光枝の話から、久しぶりに小田彩斗(さいと)のことを思い出した。一つ年下の元彼氏で、弘花を描いてくれた事があったーーーーその時、凛が勢いよく扉を開け、想い出が途切れた。ドアベルが商店街のくじ引きで一等を当てたように、高らかに鳴り響いた。
「はぁはぁ、帰りましょう弘花さん!」



    年が明けた、一月五日。

    二人は高知空港にいたーーーーーー

    第七話終

https://note.com/famous_bear996/n/nfab92d6be14b




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