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餃子と闇の中国語

饺子は水餃子

中国語で、
餃子は”饺子”と言うことは知っていたけれども、
それを指すのが、"水餃子"だと最近知った私。
中国語学習の初期に覚えた単語ですが、
餃子=焼き餃子のイメージが強く、それは、日本でのことであり、中国では水餃子が主流だと改めて知った、今回の学び。

テキストの訳には、
”田中さんは餃子を食べるのが好きです。”
と載っていて水餃子は出てきていなかった気がしています。(多分…。)
現在、発音矯正で使っているテキストの訳に”水餃子”と出てきて、も、もしかして・・。水餃子・・。と新たな真実に衝撃を受けたのでした。
異文化と言葉のつながりの面白さを改めて感じていた今日この頃、気になるタイトルの書籍を発見いたしました。

闇の中国語入門をタイトルから想像すると…。

闇の中国語入門(楊 駿驍著)を、タイトルと帯のイラストから想像すると、
混沌とした中国人の心と社会の闇が書いてあり、読み終わった後、暗くて重い感情を抱くのではないかと、読み始める前にはそう思っていました。


どこか、ほっとする話。

中国人の心については、〇〇な家族社会、社会情勢なので、この言葉の意味は、特にこのように用いられますというように、例文を交えつつ、状況が思い浮かぶ文章で構成されている本作。
この本を読み進めていく中で、沸き上がった感情は、どこかほっとするというものです。

多分、見えていなかった中国人の生活や、環境を垣間見ることで言語を通しての中国人像がより明確になったからだと既読後は思っていました。

相手のもつ背景を理解した上での言葉選びこそが、異文化交流には欠かせないものだとは分かっているようで、分かっていなかったことを改めて感じることができました。

また、日中で微妙に違うにニュアンスの単語を学ぶ時の学習方法を一つ習得出来た気がしています。

闇があるから、対話が生まれる。

7月13日に、作家の吉井忍さんとの対談
「闇の中国語」夜話に参加してきました。

その中で、一番印象に残っているのは、「闇があるから対話が生まれる」というお話でした。
「闇」があるから、対話が生まれ、関係性を一度解体することで、新しくなるという発想はなく、ネガティブなイメージの「闇」という言葉がポジティブに感じられ、本を読んでいるなかで、どこか、ほっとしたのも「闇」こそが救いであると、そう思わされる何かを感じとっていたからだと思います。

「闇」の言葉に惑わされずに・・。

「闇」という言葉に惑わされずに、
自分自身と対話し言葉を練り上げていくことが、
他者と向き合う際に重要なポイントになってくるのではないかと気づかされた対談イベントでした。










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