「スキ」の通知が届くたびに思うこと
先日、「恋人は他人だ。でもただの他人では無い」という記事を書いた。
#恋人 とつけた故か、たくさんのスキをもらった。驚いたし、素直に嬉しかった。読んでくれた方への感謝があふれてるし、勿論ほかの記事にもスキを付けてくれる方はいて、なんてありがたいことかと思った。
嬉しい気持ちが大前提で、重ねて思うことがあるので何とか言葉にしてみたい。
あたしは子供の頃から文章を書くことが好きで、作文用紙を見るといつもわくわくしていた。その延長で小学6年生の頃にはブログも始めた。
ただ高校生になってから、あたしはSNSには向いてないと思った。当時Twitterを始めて、クラスメイトのみんなをフォローした。とあるクラスメイトのつぶやきを見て、あたしは「こんなこと言う人だったの?」と引いてしまった。2年間同じクラスにいたのにこんな側面を知らなかったと思った。名前は伏せて他の友達にそれとなく相談したところ、「ネット上のつぶやきがその人の本性だよ」と言われた。あたしは、そう思えなかった。今まで接してきた彼の方を信じたいと思った。このツイートだけで彼を判断することは危ないし、そうしてしまいそうな自分が怖くなった。そしてTwitterは始めて1ヶ月ほどでアカウントを消した。それからSNSで会話する友達の輪に入っていけないこともあったけど、そんなに不自由はしていない。今はSNSのアカウントは持っているけれど誰にも教えていない。(マルチェだけ知っている。やはり特別なんだよなぁ)
noteは、文章を書く場所であり、SNSでもある。前述の記事を書いてから、毎日「スキ」の通知が届いて、本当にどきどきした。初めは増えていくスキに浮かれていたけれど、SNS自体には苦手意識を持っているため、数が予想を遥かに超えてきた時、少し動揺した。毎日「スキ」の通知メールを見て、毎日あたしの言葉が誰かのもとでふわりふわりと飛んで届いていることがなんだか不思議な感覚だった。いつの間にか、数の中に埋もれてしまう「個人」のことを考え始めていた。
きっと「スキ」を押す気持ちも、人それぞれで、また読もうかな?のハートだったり、とても共感してくれたハートだったり、深く考えてないものもあるのだと思う。数だけでは表せない善し悪しは必ずある。それでも勿論嬉しかった。どんな気持ちでスキを押してくれたのか、思いを巡らせるのも幸福な時間だった。そして同時に、この記事を書いた時の気持ちはこの瞬間のものであって、変わりゆくことが有り得ることへのプレッシャーも感じた。有名なライターさんは1000とか10000とかのスキを貰っていると思うけど、スキを承認と捉えたら、とてつもない責任感が伴う気がして、言葉を仕事にするってすごいなと思った。
人は変わりゆくということ
前述の記事では恋人のことを書いた。あの時と今では、彼との関係性自体は変わらないものの、あの時と今は同じではない。「時間」って面白い概念だとつくづく思う。
人は時に、変わることを恐れる。変わらないものを求めて、変わらぬ美しさ、変わらぬ信念を崇める。それはあたしの中にもある。
だけど、どんなにあがいたって、こうして言葉を連ねている今も、時間が経てば過去になる。
あたしは表に出る人々に対して、清廉潔白を異様に求める世論に辟易しているのだけれど、「変わる」ことを受け入れようよ、と思う。あの時はそう思ってたけど今はこうです、を理解しようよ。嘘をつき、誤魔化すことと、変化し、時に反省し、時に振り返り、変わることは別なんだよ、と思う。
だからもし、たくさんのスキをもらったあの時のあたしが変わったことに気付いたら、振り返り、考え、悩んで、あたし自身が受け入れてあげたい。もちろん、変わらないあたしでもいい。あの時も、今も、嘘や誤魔化しは無いよ。
マルチェが教えてくれた大好きな曲!
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