魔人ブウは孫悟空の「シャドー」である
前回、物語論の「シャドー」という概念を書きました。
(実写版『アラジン』のジャファーはアラジンの「シャドー」だという話)
「シャドー」とは何かと言うと、
「主人公に対して、『負の自己実現』をしたキャラクター」
のことです。
『スター・ウォーズ』の主人公である
ルーク・スカイウォーカーに対して、
同じジェダイの騎士でありながら暗黒面に落ちた
ダース・ベイダーがイメージとしては
分かりやすいでしょうか。
そして、これは「シャドー」として解釈できる、
と思うキャラクターは世の中にいっぱいあって。
指摘している人は割と少ないと思うのですが、
漫画『ドラゴンボール』の魔人ブウも、
悟空の「シャドー」だと僕は思います。
そもそも、漫画や映画の敵が
「シャドー」であることは多く
『ドラゴンボール』でも
ベジータは「悟空と同じサイヤ人だが悪」
セルは「悟空と同じ細胞を持つ悪」という形で、
種族や遺伝子が同じだが悪である、
という「シャドー」でした。
その一方で、初期の魔人ブウは
少し別な視点から悟空の「シャドー」になっていると感じます。
これはどういうことかというと、
「無邪気で純粋だが、恐ろしい程のパワーを秘めている」
という、メタ的にみた共通点です。
特に、少年の頃の悟空が
「無邪気で純粋、恐ろしい程のパワーを秘めている【善】」
であるならば、
初期の魔人ブウは
「無邪気で純粋、恐ろしい程のパワーを秘めている【悪】」
なんです。
魔人ブウは、ミスターサタンとの会話
(「なぜ人を殺すのか」というサタンからの問い)に
「(生みの親である)バビディがそう言ってたから」
と答えますが、
このやりとりは、少年悟空がブルマに言っていた
「(育ての親である)じっちゃんがそう言ってたから」
という言葉を彷彿とさせます。
つまり
「圧倒的なパワーは持っているが、
非常に素直、悪くいえば世間知らずな存在」
それが善の方向に進んだものが悟空、
悪に進んだものが魔人ブウ、と言えるのではないでしょうか。
さらにもう一点。これは解釈ですが、
「魔人ブウの形態変化は、悟空の成長と似ているのではないか」
と、僕は思います。
悟空は、先程のような無邪気な少年時代の後、
様々な敵と戦うことで、パワーや技を身に着け、
同時に(多少)知恵もつき、大人になっていきます。
一方、魔人ブウも無邪気な魔人ブウから
悪の魔人ブウに変身し(なお、そのきっかけは悟空がスーパーサイヤ人になったのと同じ「怒り」です)その後、
他のキャラクターを吸収し
パワーや技、知恵も身につけていきます。
しかし、最後はそれらを捨て、
生まれたままの「純粋の魔人ブウ」となり、
悟空との最終決戦を迎えます。
悟空もこれに呼応するように、
最終決戦ではベジットではなく孫悟空として、
宇宙の命運がかかった戦いの割りには
純粋に魔人ブウとの闘いを楽しんでいきます。
つまり、主人公も敵キャラも同じような成長をするが、
最後には純粋な動機に戻っていくわけです。
魔人ブウは、原作の漫画では最後の敵であり、
魔人ブウ編は、『ドラゴンボール』の総決算だとも言えます。
だからこそ、敵である魔人ブウは、
その成長の仕方も含めて主人公である
孫悟空の「シャドー」なのではないか、と思いますし
もっといえば作者は『ドラゴンボール』を
難しく、カッコいい、真面目な世界ではなく
もう一度、無邪気で明るい世界にして
終わらせたかったのではないかな、と僕は思います。
参考図書:大塚英志「キャラクターメーカー」星海社新書