お金は伝家の宝刀
武士は刀を抜かない。
実際に刀を抜き、それを振りかざすことで直接相手に恐怖を与えることができるが、あえてそれをせず腰に携えた状態で相手に抜いた姿を想像させる方が効果がある場合がある。
さらに、携えている方は「抜こうと思えば抜ける。」これは伝家の宝刀であり、最終手段だと思えば、軽々しく抜くよりも、それを後ろ盾に別の仕掛けを試みることができる。
私はこの最終手段がある。という感覚がすごく大事だなと思っていて、それがお金だなと感じたのでここに残したい。
お金を欲しいと考える人は多いと思う。と言うかほとんどだと思う。私も例外ではない。
しかし、じゃあどれだけ欲しいの?と聞かれれば、あまり明確に答えられる人が多いとは思わない。
お金自体には価値はない。しかし世界中がお金の価値を認め、それを使って欲しいものと交換できる仕組みを共通の認識としているから成立している。
お金は交換するための手段であって目的ではない。
でも、何か欲しいもののためにそれを蓄えておく必要があるし、生きていくために必要だから多くの人が漠然とお金が欲しいと思っている。
それには私もある程度賛成で、一定程度のまとまったお金、巷では生活防衛資金などとも言ったりする。
もし明日突然仕事がなくなったとしても3か月から半年ぐらいは生活できる金額を目安に貯蓄をするなどと書かれている本も読んだことがある。
実際を考えて現実的だと思っているけれど、大切なのはこれによる心の持ちようだと考えている。これが武士の刀である。
何か欲しいものがあったり、旅行に行きたい、浪費的なお金の使い方をしそうになった時でも、買おうと思えばいつでも買える。けれども私は買わないと言う選択をする。と言う体験が自分を高めてくれると思っている。
これが最初からお金がない、絶対買えないとなれば選択権は自分には無く、ストレスにしかならない。
どちらも結論は買わないし、お金は使わないんだけれど、買えないのと買えるけれど買わないのには、自分で操作できる感覚とできない感覚に違いがあり、雲泥の差だと思っている。
できるけれどあえてそれを選ばないという感覚を持てること。
ここでの我慢は、お金がな無くて自分の影響力が及ぶ範囲ではないという絶望感ではなく、自分には価値を感じなかったから、あえて選択をしなかったという結果であり記憶となる。
人生の満足度がずいぶん違ってくる。
私にとってお金は伝家の宝刀、抜かない刀として少し持っておきたいモノである。
今日もいい1日です。