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アートを捉える。
アート鑑賞の仕方は、日常的にすごく役に立つと思っている。
アート思考なんていうタイトルの本が書店にも多く並べられ、もちろん私も数冊読んでみた。
私のフィルターを通して言葉にすることは、すでに私の血肉になったものとして書いていきたい。
アートは自由だと捉える人が多いと思うけどここに反論はない。だけど、少なくとも何もないところからパッと現れて完成されるものではない。
その瞬間はパッと現れたように見えても、その文脈でもがき苦しんでいる。積み重ねている。作品はその具体に過ぎない。
ある意味アートは過去の否定ではないかとも思う。
今までの価値観だったり、概念みたいなものが壊されたりズラされることで、新しい価値が生まれる。
ここでは、鑑賞者を意識したビジネス要素を含んではいるけれど、いくら個人の楽しみとは言ったところで、何らかの形で自分の中から外に飛び出させた有機的な作品は、他人の目に晒される可能性があるので、過去の否定はやはりアート全般に言えることだと思う。
そして、作品に対して鑑賞者は自由であるが故に苦しむ。
なぜなら、アートには答えがないから。
この絵は何の絵だろう。
ライオンの絵だ。
正解です。
これではただの答え合わせであって、アート鑑賞の本旨ではないように感じる。
間違いではないけれど、自分はどう感じるのか、どこに惹かれるのか、どうして価値が高いのか、作品に対しての自分なりの答えを持つこと。それは正解でも間違いでもない。モヤモヤが晴れるわけではない。だから苦しい。
だけど、正解のない作品とやり取りをすることは、自分を捉えると同時に、ただ正解を受け取るだけの受動的な一方通行の思考回路が、多面的に物事を理解する能動的な回路に変化する。これは上位互換だと思う。
今まで正解とされてきた形式的な流れに乗っかるのに違和感を覚える。この違和感はすごく重要で、なぜなら世の中はうまく正解を出せなくなっている。
やってみないと分からないことが当たり前で変化に応じた柔軟な対応が求められる。
アート鑑賞は、そんな混沌とする世の中で自分なりの答えを出すスキルを獲得する一つの方法だと思っている。
簡単に答えを出せたり、正解にたどり着けたことは長い目で見ると記憶に残りづらいと感じる。それよりもがき苦しみ、色濃く残る足跡の方が自分を表し、少しだけ自分より少しだけ前方を照らしてくれる。
今日もいい1日です。