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15年間の副業と学びの変遷③民泊運営編

こんにちは。たなゆうです。

この度独立をするので、その前提となっている今までの副業経験について自己紹介も兼ねて書いております。

はじめに

自己紹介になればと軽い気持ちで書き始めたものの、要素が多く現段階で全5本の長編になってしまうと見込まれます。私事にお時間を頂き恐縮なのですが、こちらは3本目なので、まず過去2記事をお読みいただけますと幸いです。

『あとで読む』という方のためにざっくり言うと、

①2005年~2010年、住宅の営業の経験から『もっと人の望みを引き出し、最適な選択をサポートしたい』と考え『心』を学ぶ→プロとして独立も考えたが、もっと『実社会』を学ぶ必要を感じ、本業に注力。
②2013年~結婚を機に不動産のプロ夫婦として友人にホームカウンセリングを実施。深いニーズと家を結びつける事に価値を感じた。『本当の望み』に気づき、『最適な選択』をするサポートがやっぱり好き。でも少人数にしか提供できず、もっと多くの人に役立つ方法を模索。

という感じで、今回はその続きです。

2015年のステータス

本業:商品企画・ブランディング→1人目育休中
副業:民泊運営

2015年に娘が誕生し、約1年間の育児休暇を頂きました。本当にありがたい制度です。感謝しかありません。

主に首都圏のマンションに関する仕事に携わっていた私にとっては『不動産=家、住む場所』だった訳ですが、この育休期間中に実践した民泊の運営は新たな視点をもたらしてくれました。

幅だし=不動産の新たな視点を獲得

時はこの1年前、2014年に遡ります。

不動産好き夫婦である私達の趣味は『不動産に関するイベントやセミナーに参加する』事だったのですが、その中で夫が一人の女性に出会い、家に連れてきました。

世界を股にかけて不動産事業を営む女性、エミさんです。

中国出身/14歳で来日/中国、香港、イギリス、シンガポール、マレーシアを拠点に世界を飛び回りながらいくつもの事業を展開/年下/自由人

幅広く世界を見ている彼女の話は面白く、私たちの視野も広げてくれました。まだ子供を産む前で、フットワークが軽かった私たちは、エミさんと共にシンガポールやマレーシアの不動産を視察する旅もしました。

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現在ベルギーに住むエミさんとは、今も家族のようにお付き合いをしています。

『エアビー』との出会い

2015年に出産後、家にいる時間が増えたので、エミさんには帰国時の仕事場として我が家を使ってもらっていました。

初めての育児でも孤独にならず、世界の情勢やビジネスに関する情報をアップデートできる。私にとっては最高の環境で、毎日楽しかったです。

そんな彼女が『エアビーやろうよ』と言い出しました。

今でこそ、『エアビー』といえばAirbnbだという事を多くの方が知っていますが、当時はまだそこまでメジャーではなかった頃。私も民泊の予約サイトだとは知っていましたが、『エアビーアンドビー』と読むのか、『エアービーエヌビー』なのかという、どうでもいい質問をするくらいの知識でした。

民泊新法ができる前なのでルールも整っておらず、保守的な日本人にとってはあまり良い印象ではなかった当時の民泊でしたが世界では当たり前に広がっているとの事。

『そうなんだー、とはいえ日本ではいろんなルールが整っていないから結構難しいよね~。』なんて言っていたその1週間後、彼女が早速物件を見つけて『ここでやるよ~』と決めてきました。すごい行動力です。

当時生後3か月の娘を連れながら、家具やインテリア、備品などをそろえ、サイトの登録、集客、日本にいないエミさんに代わりチェックイン対応やゲストのフォロー、清掃など、一通りの作業を担う事となりました。

あらゆる国から来る人がどう過ごすかを想像しながら、物件の使用価値を上げる『体験』をプロデュースする。喜んでもらえそうなアイデアを色々と試し、フィードバックをもらえた時はすごく嬉しい。

2018年6月に民泊新法が制定されてからは企業も事業として多く参入し始め、勤める会社でも民泊に取り組む事になった時、その数年前に実践していた経験は大きなアドバンテージになりました。

『不動産』を通した体験と交流の価値

当時の私は、『家=暮らす』という感覚しかなかったのですが、『外国の家で過ごす体験を楽しむ人たち』に沢山出会うことで、視野が大きく広がりました。

スマートロックなども無い時代ですから、チェックイン対応などもアナログで行います。赤ちゃんをつれたカタコト英語の女性(私)が対応するという導入部分も喜んでもらえた要素のひとつで、仲良くなったゲストがうちに遊びに来てくれたりもしました。

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↑まだ小さかった娘を抱いているのがエミさん。

不動産は『モノ』だけど、コンテンツによって『体験』や『交流』などの現象を発生させることができること。

その体験や交流が『喜び』『幸せ』『感動』などの目に見えない大きな価値を生み出すことに繋がり、その価値は間違いなく世界共通であることを目の当たりにしました。

個人がそれぞれの人生を送るための『家』も素晴らしいけれど、『目に見えない大きな価値』を生み出すために『不動産を使う』というのもまた、素晴らしい事なんだという気づきをくれたのが民泊運営でした。

この場所は、私の仕事復帰と時を同じくして終了したのですが、私の不動産キャリアにおいて忘れられない経験となりました。

一刻も早く、世界中の人たちと笑顔で出会える日が戻って来ますように。

『不動産の可能性に気づいた副業』で得たもの

グローバルとは縁遠い環境で生きてきた私が経験した、民泊運営を経て持った想いは以下の通りです。

①今まで『家を買う(借りる)人』の事を想い『家』を企画してきたが、『使う人』を想う新たな視点を獲得
②私にとっての『不動産』の意味が、『家』から『あらゆる喜びを生み出す場』に広がった
③かつて、旅という場面での過ごし方はホテル一択だった中『過ごし方の選択』ができる事で、ホストもゲストも幸福度が上がっている
④人に喜んでもらえることは私のしあわせに直結すると実感
⑤これからも人の幸せにつながることをやっていきたい

その後はあらゆる喜びを生み出す『場』としての不動産に興味を持ち、素敵な企画や活用の方法を見つけては学びに行くことで、場を作り上げる素敵な人たちとの繋がりも広がりました。

実現には至っていないのですが、『こんな場を作りたい』と温めている企画もあるので、時期が来るまでストックしています。

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オリンピックが東京で行われる事になってから、訪日外国人も右肩上がりに増え、これから面白くなる!と心から感じ、希望に満ちた中で過ごした1年間の育児休暇。子育ても恐らく大変だったと思うのですが記憶にはなく、本当に楽しかったです。

まさか、この5年後に『世界どころか身近な人との交流までも制限される』という事態がやってくるなんて、微塵も想像していなかった。

本当に、微塵も。

このタイミングに独立するのはある意味勇気がいる事なのかも知れませんが、5年前の光のような時間は私の大きな財産であり、覚悟の源泉のひとつにもなっています。

次回予告

ここまで何となく『不動産の人』のようなストーリーをお届けしましたが私の多動はそこに留まらず、更にピボットします。

次回は、はたから見たら『??』となる結婚相談所を運営していた話について書きたいと思います。私としては同軸です。

ここにも『これからやりたい事』に繋がる要素が含まれており、どうしても外せないので4本目もどうかお付き合い頂けますと幸いです。

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