自分の幼少時代を回想する
『理想の子育てとはどんなだろうか。』
幼少期を幸せな家庭で過ごしている場合は自らの経験を。そうではなかった場合は、反面教師として理想を思い描いているのではないか。
そう思うと自分の家庭はどうだったかを振り返ることが価値があるのではと思い、今日はそのことを回想してみることにした。
記憶があるのは小学校くらいから
自分には幼少期の記憶がほとんどない。
なぜかはわからない。
その辺はあほなのかもしれない。いまでもよく昔のことを忘れてしまう。
写真で見たことに関しては‘これは自分だ’と思うことがあるけど、実際に体験しているのかどうかははっきりしていない。
断片的にでも思い出せるのは小学校低学年の教室くらいから。
黒板に右と左が書いてあって一生懸命それを見て覚えていたなーと。友だちの顔や声、行事でなにをしたとか、そのころ流行っていたものなどはなんとなくしか残っていない。
先生の顔は思い出せる。お世話になった小学校の先生。みんな優しい人だった。今の自分のことを伝える機会があればビックリすることだろう。友だちとケンカは沢山していたから怒られることも多かったな。
ケガも良くしていた。脚の骨折もしたし、やけどしたり膝をえぐるほどの転び方をして血だらけで帰ったりと男の子そのものだった。
家族のことを思い出す
ーかといって、幸せではなかったわけではない。
こどものころの写真を見ると笑顔ばかり。誕生日の写真、運動会の写真、家族旅行の写真など素敵なものばかり。スキーやキャンプに行ったことは自分でもよく覚えている。
ー自分には姉兄がいる。
一番上には厳しくもいろいろなことを教え育ててくれた姉。次に歳も近く、一緒に遊んで楽しませてくれた兄。厳しさと楽しさをちょうど良い具合に姉兄に与えられていたのだと思う。
ー母はすごい人だった。
父の仕事が忙しかったので、姉兄以外には家の中ではほとんど母しかいなかった気がする。朝は早くからご飯を作り、家事をこなし、フルタイムで働いていた。疲れなんて見せていない。小学校の教師だった。
ーいつも心配させていた気がする。
ケガのこともそうだけど、友だちのこと、部活のことでは心が沈んだこともあった。高校では陸上に打ち込むコトに応援してもらったけど、勉強はほどほどしていなかったので、浪人することになってしまった。予備校にも行かず、それでもあまり勉強をしろと強く言われた覚えはない。
ーそれが教育方針?
結果的には無事に医学部に合格し、こうしてこどもを持つ親のために股関節パトロールをしたり、新しいステージのためにnoteを書いたりする様になっている。これが1つの理想の形なのかもしれない。自分の目指すべき子育ては、暖かい人に囲まれて、自立した人を目指すということ。
お母さん、あらためてありがとう。
昔のことを思い出して心が温かくなった。
さぁ、家族の思い出をたくさん残せる場を作ろう。
*母はまだ元気(65歳)です。
中川将吾
小児整形外科専門ドクター
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