幸福否定の研究-20 【幸福否定の治療-4(笠原氏の心理療法を追試)】

*この記事は、2012年~2013年にかけて、ウェブスペース En-Sophに掲載された連載の転載です。

【幸福否定の研究とは?】
勉強するために机に向かおうとすると、掃除などの他の事をしたくなったり、娯楽に耽りたくなる。自分の進歩に関係する事は、実行することが難しく、“時間潰し”は何時間でも苦もなくできてしまう。自らを“幸福にしよう”、"進歩、成長させよう”と思う反面、“幸福”や“進歩”から遠ざける行動をとってしまう、人間の心のしくみに関する研究。心理療法家、超心理学者の笠原敏雄が提唱している。

前回は、「好転の否定」という重要な問題について考察しましたが、今回は心理療法を進めていく上で観察される「無意識の現象」というものについて解説します。(注1)大きなポイントとしては、以下の二点が存在します。順にみていきましょう。

1.治療者の理解が深まってくると、直前の出来事を探っても症状が消えにくくなる。
2.治療者が「抵抗」に直面しているかどうかが、治療効果に関係してくる。

①治療者の理解が深まってくると、直前の出来事を探っても症状が消えにくくなる。

普通に考えれば、治療者が心理療法をはじめたばかりの頃より、経験を積んだ時期の方がより上手く症状を軽減、消失させられるはずです。しかし、現実は違います。「症状が発症した直前の、記憶が消えている出来事を探す」という同じ方法を使っているにも関わらず、治療者の熟練によって、数年前はきれいに消失していた症状が消えにくくなってしまうのです。

この場合、以下の二点のような問題が考えられます。

ア 患者側の不明瞭化(注2)の問題
イ 治療者側の進歩の問題

アの、「患者側の不明瞭化」の問題は、心理療法が進むにつれて本質的な部分、抵抗が強い部分の治療になっていくので、理論としては理解できます。

イの現象は、表面的に行っている治療は変わらないのに、「治療者の理解が進むにつれて効果が変わってくる」ということです。この点に関しては、治療者、患者とも、無意識で相手のレベルを的確に把握している、という前提がないと成り立ちません。この部分は科学的な証明がとても難しいので、「小坂医師、笠原氏、私と同じような現象が起こった」という「経験」として書きたいと思います。

小坂医師は、「症状を患者本人の責任」とみなすようになってから、症状が簡単に消えなくなりました。笠原氏は、「幸福否定」という考えかたに辿り着いてから、同じように症状が消え辛くなったそうです。

そして私自身の話ですが、昨年の1月から、「直前の出来事を探って症状を軽減させる」ことが少し難しくなりました。(私の)どの部分の理解の深まりが関係しているのかはもう少し様子をみないとわからないのですが、いずれにせよ、病気に対する理解や人間理解が深まるにつれて、症状を軽減・消失させるのが難しくなってくる、という事態に直面しています。

この現象に対して笠原氏は、心理療法初期の頃に症状が簡単に消えるのは、追及を避けるために自ら退避させた、という主旨の説を唱えています。

症状を自分から退避させた、とする解釈が成立する根拠はふたつある。ひとつは、分裂病以外の心因性疾患の場合、私の心理療法の進化に伴って同じように心理的原因が意識に昇っても、症状が消失する比率および度合いが、ともに段階的に低くなってきたことである。

小坂療法の場合と同じく、私の心理療法の初期にも、自らが進んで"告白"することで治療を進め、症状をあっさり消し去った事例が存在したことを考えると、その意味がよくわかるであろう。

幸福否定という考え方になってからは、そこで症状を消しただけではごまかしきれず、"侵攻”が食い止められないことがわかったため、その陣地を死守する覚悟を決めた、という事なのではなかろうか。ここでは、無意識的な駆け引きが行われていることが、はっきりと見て取れる。

この推定が正しければ、症状出現の仕組みを治療者が知らないほうが、また、少々的はずれの治療を受けた時のほうが、(症状を消す準備が整っている場合に限るが)患者としては症状を消しやすいことになる。そして、その種の"好転"のほうが、患者と家族も素直に喜びやすく、好転の否定もほとんど起こらずにすむのである。(『幸福否定の構造』 p241)

上記のような展開になってしまうと、小坂医師の方法論を発展させた笠原氏の心理療法そのものが行き詰るのではないのか?という危惧が出てきますが、結果は異なったものでした。

初期には、症状が消失すると、患者は心理療法をそれ以上続けることを拒絶する傾向がきわめて強かった。その結果、ほとんどの患者の場合、心理療法は短期間で終わってしまっていたのである。ところが、私の心理療法が進化するに従って、意識では不満を表明しながらも、自発的に心理療法を継続する患者が増え、現在では、(渡辺注:1995年時)十年を超える患者が数名いる。(第4章 註18)"

心理的原因がさらに明確になった段階では、患者がほとんどいなくなってしまうことを懸念していたが、実際には逆で、抵抗が強くなった反面、私の心理療法を継続する患者はかえって増加している。

つまり、ほとんどの患者は私の心理療法の基本概念に対して意識では理解が浅いのみならず、私に対して正面から疑問や批判を向けることも少なくないし、症状や状態の好転を私の心理療法と結び付けるのを極度に嫌う反面、行動的には私の心理療法に対する執着が強くなってきたのである。
(『隠された心の力』 p227 第4章 註19)

つまり、目先の症状が消えるか消えないかを重視する患者が減り、劇的な変化が起こらずとも、本質的な改善を求める患者が増えるため、心理療法自体が成り立っているということです。

患者の行動だけ観察すると、単に症状を軽減する事よりも、「多少症状が続こうとも人格的な成長を望む割合が増えてくる」というはっきりとした傾向がみてとれるのですが、患者自身が症状の軽減より人格の成長を目指しているという自覚はなく、あくまでも会話は症状の軽減が中心になります。

そうした矛盾は、患者側の無意識が、治療者の理解度や治療姿勢を把握しているのではないか?とも思わされます。

②治療者が抵抗に直面しているかどうかが、治療効果に関係してくる。

私自身、2006年1月から8年弱にわたって継続して「感情の演技」を行っています。当然ですが「好転の否定」があり、それぞれ期間は違いますが、短くて数日から一週間、長いと一ヶ月、二ヶ月近く体調がすぐれない時があります。

主に、「なんとなくだるい」「日中の眠気が強い」などの症状が出るのですが、ここでも対比が起こり、仕事に入ると気が逸れるので症状はなくなり、空き時間や休日に症状が集中します。

私が強い抵抗に直面して、「好転の否定」の症状が出ている時には、心理療法を受けている患者さんの「好転の否定」も強くなる傾向があります。

もちろん、好転も大きいということなので、その後、一時期できなくなっていた自宅での感情の演技ができるようになったり、心理療法により積極的になったりと、良い意味での変化があるのですが、それまで順調に進んでいた患者が離れていく例もあります。

この点についても、「治療者の無意識の変化を患者が把握している」という推測はできるのですが、科学的証明ができることではないので、このような現象が起こる、という記述のみで留めておきたいと思います。

今後、笠原氏の症状の考察を踏まえて、「症状とは何か?」という根本的なことを私なりに考えてみたいと思っているのですが、まずその補完的なトピックとして、次回は「無意識の認識能力」という観点から分子生物学での研究を簡単に紹介したいと思います。

注1:「無意識」という言葉の細かい定義はそれぞれ違ってきますが、おおよそ心のなかの「意識でない領域」という意味で使われます。そうすると、「意識」の定義が必要になってきますが、私個人の見解では、「考えていること」「感じていること」「記憶していること」などが意識の要素という事になります。

注2:不明瞭化について

心理療法を行うにあたって、反応を指標にして原因を探るさい、感情の演技を対比させて行い、反応の強いほうを追いかけていくという手法を用います。

・症状と人格面の進歩が関係している
・症状と能力面の進歩が関係している

というように、初期の段階では、反応の差が正確に出ることが多いのですが、ある程度抵抗の強い部分を探りだすと、(本人の意識も含めて)、無意識にだまされるような形で、反応が逆に出たり、やるたびに違った結果が出るようになります。あるいは、発症の直前の出来事を探っていると、90分間の心理療法の終盤に"そういえば、その前の日から症状がありました”など、はじめからやり直さなければならないような状況になってしまう事もあります。

文:ファミリー矯正院 心理療法室/ 渡辺 俊介


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