芸術と潜在意識 6:スタンダール症候群が出る作品①
*この連載は、2017年~2018年にかけてウェブスペース En-Sophに掲載された「芸術とスタンダール症候群」を改題、転載したものです。
連載【芸術とスタンダール症候群】とは?
筆者が【幸福否定の研究】を続ける上で問題意識として浮上してきた、「芸術の本質とは何か?」という問いを探る試み。『スタンダール症候群』を芸術鑑賞時の幸福否定の反応として扱い、龍安寺の石庭をサンプルとして扱う。
連載の流れは以下のようになる。
1. 現状の成果…龍安寺の石庭の配置を解く
2. スタンダール症候群の説明
3. スタンダール症候群が出る作品
4. スタンダール症候群が出やすい条件
5. 芸術の本質とは何か?
はじめに:人物と用語について
* 今回、言説を参照する人物 *
笠原敏雄:小坂療法から出発し、ストレス・トラウマではなく患者本人の許容範囲以上の幸福が心因性症状の原因になっているという、幸福否定理論を提唱。”感情の演技”という方法で、患者を幸福への抵抗に直面させ乗り越えさせる、独自の心理療法を開発。また、日本を代表する超心理学者でもある。
グラツィエラ・マゲリーニ:イタリアの精神科医。フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ病院に運びこまれる外国人観光客の症状を記録し、スタンダール症候群と名付ける。
* 用語説明 *
反応:抵抗に直面した時に出現する一過性の症状。例えば勉強しようとすると眠くなる、頭痛がする、など。
抵抗:幸福否定理論で使う"抵抗"は通常の嫌な事に対する"抵抗"ではなく、許容範囲を超える幸福に対する抵抗という意味で使われている。
スタンダール症候群:イタリアのフィレンツェで、観光客が起こす発作的な心因性症状。芸術作品鑑賞中や歴史的な建築物などで起こす事が多い。フランスの小説家、スタンダールが同様の症状を発症したことからスタンダール症候群と名付けられる。
前回までの流れ
第1回、第2回は竜安寺の石庭の分析、第3回では、数の機能的な側面の分析をしました。そして第4回、第5回はそれらの研究に至るまでの経緯として、筆者自身が代替医療の仕事をするうえで、心理療法家の笠原敏雄先生が開発した『幸福否定理論』に基づく心理療法を行っていた事、『スタンダール症候群』という芸術作品を鑑賞している際に出る症状があり,『幸福否定』の〈反応〉だと考えていること、また、芸術作品鑑賞時に出る〈反応〉は、通常の幸福否定の〈反応〉とは異質であることを書きました。
今回からは、具体的な作品を挙げながら研究の経過を書くと同時に、 『実践編』として、作品の写真を掲載し、関心のある方には実際に体験、比較検討いただきたいと考えています。
パリ旅行から、芸術作品時の反応の研究を開始
個人的な事になりますが、2010年の年末から2011年の年始にかけて、 パリに旅行に行く事になりました。パリというと、やはり外せないのがルーブル美術館ですが、モンサンミッシェルやベルサイユ宮殿、 ノートルダム寺院など、他にも観光したいところが数多くあります。
美術館は、ルーブル美術館の他、ゴッホやセザンヌなど19世紀美術で有名なオルセー美術館、モネの作品で有名なオランジュリー美術館など有名なところから行くことにしましたが、ルーブルでの滞在時間が3時間ほどしか取れません。
そこで、効率良く見るために旅行へ行く2週間ほど前から、ルーブル美術館でどの作品を見るかを 調べ始めました。手初めに旅行のガイドブックに載っている『おススメ経路』から調べ、次に図書館でルーブル美術館関連の本を借りてきて、どのような作品があるのかを調べました。
これらの作業を開始してから、昼休みや自由時間に強いだるさが出たり、 寝てしまったりという反応が出るようになりました。患者さんが来る15分くらい前になると意識が仕事に向くので、急速に症状は回復するのですが、施術が終わり、まとまった空き時間ができるとまた反応が出てきます。
詳細は省きますが、当時は哲学や免疫関係の本も読んでおり、旅行の計画は片手間だったので、前者を読み進める事に関する抵抗ではないかと考えました。しかし、試しに哲学や免疫関係の本を読み進める事をやめてみても症状が治まりません。さらにはだるさに加えて気落ちなどの症状も出てきたので、今度は旅行することに抵抗があるのかと疑いました。
以上のようなことがあったため、準備の間は旅行先でさらに体調が悪くなることを心配していました。ですが、結果から書きますと、出発のために家を出た瞬間から症状は消失してしまいました。
旅行前の2週間の自分の生活の優先順位は、仕事、空き時間に哲学や免疫学の本を読む、各種手続きや荷造りなど 旅行の準備、最後にルーブル美術館でどの作品を見るかを決めるためにガイドブックや作品を写真で見る、 というものでした。
後からわかったことですが、前記した私の自覚とは違い、 以下のようなものが主な症状の原因だったようです。
・写真を通じて作品を鑑賞したことによる反応(スタンダール症候群と同質の反応と判断できます)
・ルーブル美術館で鑑賞する作品を選ぶ事自体に抵抗が出るようになるので、途中からは その作業自体ができなくなる(こちらの場合は、自分のやりたい事に取り組んだために起きた反応であり、スタンダール症候群ではない)
帰国してから、心の研究室での心理療法や自分自身で反応を指標に確かめてみたところ、パリ旅行前のさまざまな反応は、やはり旅行(に行くことで生じる喜び)ではなく、芸術作品への関心が原因だと明らかになりました。さらに、この時点で5年ほど心理療法を受けていた心の研究室に置いてある中国陶磁器数十点の記憶が消えている事もわかりました。
帰国後、国内の作品を検討---京都、奈良、鎌倉など
そのような経緯から、笠原先生に国内の強い反応が出る芸術作品を教えてもらい、5月に入り、心の研究室にある中国陶磁器と、奈良・京都の抵抗の強い作品を実際に鑑賞に行くことにしました。(注1)
京都では
・龍安寺の石庭
・広隆寺の弥勒菩薩半跏像
・慶派の仏師が関係している三十三間堂の仏像
奈良では
・興福寺宝物館
・興福寺北円堂の無著・世親菩薩立像
・中宮寺の弥勒菩薩半跏像
・東大寺の大仏
・東大寺大仏殿
以上が強い反応の出やすいものだということでした。
特に東大寺の大仏や大仏殿に関しては記憶が消えてしまっている人が多いようです。 また、奈良に関しては、どの場所に行ったかの記憶すら不明瞭になってしまうなど、場所として抵抗が強い(注2)ようで、作品鑑賞で出る反応との区別をつける必要があるという話も聞きました。
私自身が事前に調べた建築物や仏像でも反応が出るものは多かったのですが、笠原先生に聞いた作品以外では、特に以下、
・塑造伝日光・月光菩薩立像 (東大寺法華堂。2011年10月に東大寺ミュージアムに移設。2011年に奈良に行った時にはミュージアム完成前で見れず。)
で強い反応がありました。
この時の旅行では、京都は東寺、広隆寺、龍安寺、金閣寺、下鴨神社、三十三間堂、西本願寺を周りましたが、やはり、広隆寺の弥勒菩薩と龍安寺が反応が強く、三十三間堂の仏像でも極端に強くはないですが反応があり、東寺は、予想と違い、建築物、仏像共にあまり反応は出ませんでした。
その日の夜は大阪の鍼灸師の友人と会い、泊りで勉強会をやることになっていたので、大阪行きの電車が来るまで京都駅で時間を潰していたのですが、最後に観た西本願寺を出てから京都駅へ行くまでに足の痛みがどんどん酷くなり、京都駅では足をひきずるような痛みになってしまいました。(注3)
翌日、奈良に行き、法隆寺、薬師寺、唐招提寺、興福寺(宝物館、北円堂含む)、東大寺、春日大社に行きましたが、聞いていた通り全体的に抵抗が強く、特に東大寺で疲れが出やすかったり、簡単な道を間違えて時間を使ってしまい、十分な鑑賞ができないなどの症状がありました。
個別の作品に関していうと、私に関しては、事前の下調べでは東大寺大仏殿、興福寺の無著・世親菩薩立像でかなり強い反応がありましたが、現地では人の多さでゆっくり鑑賞できなかったこともあり、自宅での写真鑑賞以上の反応はありませんでした。同行した鍼灸師の友人は、法隆寺の金堂、五重塔でトイレに行ってしまい、興福寺の宝物館では「圧迫感がある」と簡単に見て外へ出てしまいました。
京都、奈良を訪れてから、更に「芸術作品鑑賞時に出る反応」への関心が強くなり、2週間後に心の研究室に中国陶磁器を見に行きました(この時に東京国立博物館、更に鎌倉まで足を延ばし鶴岡八幡宮にも訪れています)。
ちなみに、心の研究室には中国陶磁器以外にもセザンヌや北斎、写楽の絵画や、様々な骨董品があるのですが、 それらの記憶も全て消えていました。この事から、中国陶磁器の記憶が消えていた件については、 中国陶磁器に対する反応ではなく、「心の研究室と芸術作品」 という条件が重なる必要があることがわかりました。
さまざまな芸術での反応を検討---ロシアでの調査の機会
その後、自分自身の心理療法で、『心の研究室』と『芸術作品』という条件から更に 反応を使って絞り込んだところ、やはり「芸術作品鑑賞時の反応」の方に関心があることがわかりました。
これらの経験により、芸術作品をより幅広いジャンルで調べてみる必要性が出てきました。 芸術作品と一口に言っても、鑑賞用に作られたものから東京国立博物館で鑑賞した日本刀のような、 実際の用途が別のところにある作品まで幅広く反応が出ます。(注4)
短期間で、どこから手をつけて良いのかわからなくなる程、調べなければならない作品が増えてしまいましたが、ルーブル美術館がきっかけという事もあり、西洋美術史に出てくる画家の絵を空き時間に鑑賞することからはじめ、ジャンルにとらわれず反応が出たものを手当たり次第に調べる事にしました。
始めはインターネットや画集を使ってルネサンス初期の画家から調べ、時代を経過するにつれてセザンヌ以降の前衛的な芸術作品の反応に関心が移ってきます。
抽象的な絵画の鑑賞をはじめると、今度は彫刻、建築にも興味が出てきます。また、当初は心理療法には使えないという理由で音楽は外していたのですが、そこでも自分自身の抵抗が働いていたという事がわかり、ベートーヴェンのピアノソナタなどを中心に抵抗が強い音楽も聴くようになりました。
近代に至るまでの芸術の流れとしては、絵画も音楽も宗教が背景にあるものから始まり、その後に自己表現の時代を経て、前衛的な作品が多くなってきます。(注5)
前衛的な作品の反応を調べていたころ、ちょうど同行者が見つかり仕事も休みが取れるという事で、 同年の11月、エルミタージュ美術館をはじめ、興味深い建築物が多数あるロシアへ観光に行くことになりました。
次回は、ロシアでの芸術鑑賞、およびその後の経過について書きたいと思います。
注釈
注1:当初は3月に心の研究室を訪れる予定でしたが、震災のため予定が変更になりました。
注2:パリシンドローム、エルサレムシンドロームは症状と場所が関係していると考えられています。
注3:この反応は恐らく京都駅そのもので出ていた事が後にわかります。稿を改めて書きたいと思います。
注4:長船長光という日本刀です。
注5:美術史も単純なものではなく、いつの時代でも前衛的な作品はありますが、あくまで大まかな流れの説明をしています。
=実践編---1:写真と実物での反応の違いについて=
(ここからは実践編として、個別の作品を取り上げます)
芸術作品を観るとき、写真で強い反応が出るのであれば、本物では更に強い反応が出るのではないか?と心配になりますが、実際は目の疲れや身体の疲労感は感じたものの、ガイドブックの写真で見たい作品を探していた時ほどの反応は出ませんでした。
現地ではまず、海外旅行の緊張感があります。盗難にあわないように絶えず周囲に気を配り、同行者とはぐれないようにするなど、ただでさえ作品鑑賞に集中できない状況であるのに加え、有名作品の前は人が多いので数分しか見る事ができません。また、可能な場合は作品の写真を撮ることが多いため、集中してゆっくり見れる環境をつくるのが難しいという事があります。
モナリザ:(2011年、筆者撮影。細部は見えず、鑑賞というよりは写真撮影になってしまう。)
マゲニーニ医師はサンタ・マリア・ノヴェッラ病院に運ばれてくる日本人がいないのでスタンダール症候群の反応が出ないと考えているようですが、日本人観光客はツアーでフィレンツェを訪れ、ウフィッツィ美術館などもガイドと一緒に観光する事が多いようです。ツアーの団体で行動する場合、ガイドの説明を聞きながら少し見て次の人に場所を譲る事になるので、作品をしっかり鑑賞することができないという環境もあると思います。
その他、心情的には考えたくないのですが、「本物を目の前にしている感動」というものが、 もっとも重要な、「純粋に作品を鑑賞する」という経験の妨げになっている可能性も考えています(旅行前に、事前知識のない状態で自分の見たい作品を探すという行為のほうが、結果として無心で作品と向き合うことになり、反応が強く出たのではないか?という判断です)。
いずれにせよ、反応を探る上でのポイントとしては、実物・本物か否かという事ではなく、先入観なく集中して見れるかどうかが重要なのだと思います。
=実践編---2:芸術作品の反応を探るときの注意点=
・心理療法では2分に時間を区切り鑑賞。
・幻覚、幻聴やパニック発作がある方は、症状が出ることがあるので注意が必要。
・難しいが、先入観や心情を排して鑑賞する。
例えば、ゴッホの絵画を鑑賞するときに、ゴッホの人生を考えながら見ると、ストーリーのほうに意識が行ってしまい反応が出ないので、できるだけ絵画に集中する。
また、私個人のやり方ですが、
まず全体を見て、そのあと反応が出るポイントを探す。
というやり方をしています。 どのように鑑賞するのかわからない、という方は参考にして下さい。また、芸術作品の反応を探る際には事前知識は必要ありません。子供や障害児でも反応が出ます。
*ルーブル美術館にて*
レオナルド・ダ・ヴィンチは、不思議な事に他の画家に比べ反応が弱いという話を心の研究室で聞きました。 私自身と、患者含め数名で比較的反応が出やすかった二コラ・プッサンの絵画と比べてみてください。 反応が出やすい作品は、視線を固定しづらいという特徴があります。
ニコラ・プッサン『アルカディアの牧人たち
レオナルド・ダ・ヴィンチ『岩窟の聖母』
レオナルド・ダ・ヴィンチは、他の画家に比べて反応が出にくい(心の研究室での研究結果)。抵抗がない、もしくは強すぎて隠れてしまう(無症状)という可能性もあるが、未だに結論が出ていない。
*京都にて*
(龍安寺 石庭(2011年5月、撮影筆者)
実際に行ってみて、以下の事に気が付きました。
・多くの人が石の数を数えていて庭の鑑賞をしていない。恐らく、どこから見ても15個の石の1つが必ず隠れるという説を確認しているようです。(この説は否定されています。)
・庭の中央部分を見ている人がほとんどいない。
石庭の正面写真がほとんどない(こちらの動画で正面写真が観れます)
それらを踏まえると、筆者は龍安寺に関して、正面からの鑑賞が抵抗が強く、それを避けながら鑑賞している人が多いと考えています。
*奈良にて*
興福寺宝物館の阿修羅像(あまり反応が出ない。)
月光菩薩像(東大寺ミュージアム)比較的強い反応が出る。
東大寺大仏殿
世界最大の木造建築物。記憶から消えてしまう人が非常に多い。筆者が周囲に聞いて調べた限り、半分近くの人が記憶を消している印象がある。正面写真も、比較的反応が出やすい。
*中国陶磁器*
中国陶磁器は東京国立博物館や出光美術館の作品を鑑賞しましたが、笠原先生に教えて頂いた、中和堂中国美術館の青磁が最も反応が出やすく、図録の写真を心理療法でも写真を使用しています。
天青釉弦文長頚胆瓶
汝官窯青磁奩式三足香炉
(文: 渡辺 俊介 編/構/校:東間 嶺@Hainu_Vele)