芸術と潜在意識 3:比率と美意識について

*この連載は、2017年~2018年にかけて、ウェブスペース En-Sophに掲載された「芸術とスタンダール症候群」を改題、転載したものです。


連載【芸術と潜在意識】とは?

筆者が【幸福否定の研究】を続ける上で問題意識として浮上してきた、「芸術の本質とは何か?」という問いを探る試み。『スタンダール症候群』を芸術鑑賞時の幸福否定の反応として扱い、龍安寺の石庭をサンプルとして扱う。

連載の流れは以下のようになる。

1.現状の成果…龍安寺の石庭の配置を解く
2.スタンダール症候群の説明
3.スタンダール症候群が出る作品
4.スタンダール症候群が出やすい条件
5.芸術の本質とは何か?


黄金比と美意識---〈数の機能〉


龍安寺石庭について、前回は実際に石庭の図を見ながら配石比率を検討し、おおよそどのような規則性が考えられるかを書きました。今回は、そこに現れていた数字の意味についてさらに考えてみたいと思います。

まず、私が出した暫定的な結論をもう一度見て下さい。


---龍安寺石庭についての検討---

1.直角三角形が基準として使われている。
2.ピタゴラスの定理より、直角三角形の斜辺を使って、√2、√3、2、π などの数が表現されている。
3.石庭の縦横の長さの基準に「底辺:高さ:斜辺が1:2:√5の直角三角形」が使われている。(『五十五の推理』より)


ご存じの方もいるかと思いますが、美術や建築の世界でよく言及される比率に、〈黄金比〉=1:1.618と言われるものがあります。もっとも完璧な比率と言われ、人の美意識に与える影響などをはじめ、さまざまな研究や実践がなされてきました。自然界にはこの黄金比が頻繁に出現します(オウムガイの殻等がよく知られる)。おそらく、特別な比率である事は間違いないのでしょう。

しかし、それが人の美意識にどう関係するかついては、未だに十分な解明されているようには思えません。

約5年程前に柳 亮『黄金分割―ピラミッドからル・コルビュジェまで』や、マリオ・リヴィオ『黄金比はすべてを美しくするか? ―最も謎めいた「比率」をめぐる数学物語』などを読みましたが、美意識についての分析に十分納得できたわけではありませんでした。特に後者のほうは美的感覚と黄金比のかかわりはそれほど強くない、という主張がなされています。

私個人も、これまで「芸術は何を表現しようとしているのか?」という疑問から比率について考えても、なかなか答えは出てきませんでした。しかし、いくつか手がかりになりそうな要素を見つけることはできました。それが、龍安寺石庭にも共通する、〈数の機能〉なのです。

そこに着目するきっかけはいくつかあって、まず、【幸福否定の研究】でも取り組んだ〈反応〉という現象を芸術鑑賞に応用し、〈反応〉が出やすいJ・S・BACHの『ART OF FUGUE』という曲集を分析したこと。

加えて、古代遺跡の勉強をした際に読んだ以下の文章が大きなヒントになりました。

Φ(ファイ)は数ではなく「機能」である。無理数を数と考えると、それがたとえ特別な類の数と見なすにしても、数の概念を無意味にしてしまう。数というからには数える用途に使えなければならない。だが定義からして無理数を使って数えることは不可能である。ひな鳥1.61…8羽、あるいは卵 3.141…個を手にしたり想像することはできない。

Φ,π、それに2、3、5の平方根さえあれば、正多面体のすべての調和的組み合わせを定義し、表現することができる。この相互作用の網や、巨大な調和の複合体こそ、私たちが「世界」として認識するものである。この場合の「世界」は物質世界で、霊的世界あるいは意識の世界のひとつの(知覚できる有形の)側面である。この調和的世界を解明する手がかりは「数」であり、数を理解するには幾何学を利用すればいい。

プラトンは幾何学を神聖と見なし、ピタゴラス学派は「すべては数である」と宣言した。

(引用:ジョン・アンソニー・ウエスト、『天空の蛇』、P101)

『天空の蛇』という本は、前二回でも一部を引用していますが、シュヴァレ・ド・リュビッチ(R. A. Schwaller de Lubicz, 1887~1961)というフランスで活動したエジプト研究家の思想を、アメリカの同じくエジプト研究家であるジョン・アンソニー・ウエスト(John Anthony West, 1932~)がまとめた本です。

シュヴァレ・ド・リュビッチはフォーヴィズムの巨匠アンリ・マティスの元で絵の勉強をしていた事もある人物で、芸術への造詣も深いのですが、生涯に成した研究は化学や物理から幾何学、東洋思想まで多岐に渡ります。彼は1937年から約20年ほどエジプトにも滞在し、測量を行いました。

主著は『The Temple of Man』(人類の神殿)という1000ページを超える大著で、1957年にフランス語で出版され、98年に英訳が出たものの、現在に至るまで邦訳はされていません。『The Temple of Man』においても、〈数の機能的な側面〉、〈象徴的な側面〉、そしてピタゴラス学派の思想が研究されているようです。

数の様々な側面---ピタゴラス学派の考え方

しかし、数が重要なのであれば、芸術よりも直接、数学の研究をすればいいという事になります。

数学においても通常の〈反応〉は出ます。数字を見ると頭が痛くなる、という人もいますし、学生時代に授業中に眠気に襲われた人も多いと思います。特に、微分積分に入ると途端に抵抗が強くなり、本腰を入れて取り組む事ができない、という経験は多くの人がしているのではないでしょうか?

しかし、数学の勉強において出る〈反応〉と、芸術作品の鑑賞時に出る〈反応〉は質が違います。ピタゴラス学派に関する本を読んでみると、数には、通常の数える、計算するという用途の他に、下のような意味をもつとされています。

1.数には機能的な側面がある
2.数には性質的な側面がある
3.数には象徴的な側面がある

1を音楽に引きつけてみると、比率が美意識に関係する、という事が明確に言えると思います。「周波数比が2:3になるドとソの関係が最も調和する」などの基本的な理論があり、それに基づいて不協和音と呼ばれる、調和しないはずの音をいかに使える音にするか?という試行錯誤が、少なくとも西洋音楽の歴史そのものでもあります。

それらはただの理論ではなく、成果として生み出された音楽があり、前衛から娯楽に至る広い領域で主要作品として鑑賞されているのです。

この2:3の比率を基盤として音階を開発したのがピタゴラス派でした。(注1)ピタゴラス本人は著書を書いていないのですが、ピタゴラス学派の考え方が残っている文献として、プラトンの『ティマイオス』が挙げられます。そこに書かれている音階の比率は、改良は加えられているものの、現在でも使われています。

2:3という比率の関係、言い換えるとド(1度)、レ(2度)、ミ(3度)、ファ(4度)、ソ(5度)で1度と5度の関係を、ソーレ、レーラ、と積み上げていくと12の音階ができるのですが、実際には少しずつズレが生じてしまいす。そのズレを解消するために、現代では〈平均律〉という12の音を平均した音階を使用していて、調整のために使う比率が√2の12乗根になります。

さて、以上のように、〈数の機能的な側面〉と音楽については明確に関係があると言えるでしょう。建築や彫刻についても、イメージや構想を形にするには物理的な制約をコントロールする必要がありますし、絵画で比率が重要な役割を果たしているのは言うまでもないことです。

『ティマイオス』においてプラトンも、ピタゴラス学派だったティマイオスとの対話から音階、それと正多面体についての文章を残しています。実質的に〈数の機能的な側面〉を扱ったといえる文章で、音階と正多面体についての考え方は現代においても十分に通用しています(Wikipediaで正多面体の解説をご覧いただければ、√2,√3,√5が機能を持っているという事が理解できるとか思います)。

2の〈性質的な側面〉は、数学の数論という分野における、数の性質を意味します。ピタゴラス学派は〈6〉という数字を、約数の和(1+2+3)と一致する完全数(注2))として、友愛を表すものだと定義しました。約数の和と一致するということが=数の性質敵側面であり、さらに、友愛とは3の〈数の象徴的な側面〉でもあるのです。

16~17世紀には、ヨハネス・ケプラーやニュートンも比率と音階についての研究をしています。ケプラーは、音階の法則を天体の位置関係にまで応用しようと目論み、結果としては失敗していますが、着想としては〈数の機能的な側面〉に注目したと言えるでしょう。そして、「宇宙の法則に沿っているから美しいと感じる」という前提があったため、美意識を宇宙の法則を解く手がかりにしたとも言える。

建築、彫刻、絵画については、今後、個別の作品に照らし合わせながら、もう少し具体的に考察できればと思います。


〈反応〉という指標---芸術に及ぼす数の影響を考える上で

歴史に名を残す科学者たちが取り組んだ比率の研究は、いずれも、似たような経過を辿っています。何か重要な部分に触れながら、しかし最終的にはどこかおかしな方向に突っ走って、行き詰ってしまう。

この原因は、〈美意識〉というものの実態がはっきりせず、研究自体が論理というよりは直観を頼りにせざるを得ない、という点にあると思います。

私自身は、〈美意識〉ではなく、〈反応〉という、より客観的な指標を使って研究を進めています。〈反応〉を指標にするやり方の弱点としては、まだ〈反応〉というものへの理解が一般的ではないため、私個人の周辺か、たまに文献で見つける例のみでデータを集めるしかない、という点です。そのため、偏りが起こりうるという前提を踏まえた上で、分析を進めていかなければなりません。

現時点では、芸術と数の相互作用において、主に機能的な側面が影響しているのではないか?という仮説を立てるとして、以下のような疑問を指摘できます。

1.芸術作品の中の数学的な要素と数学そのもの、両者にはどのような違いがあるのか?

2.本物や写真での鑑賞時には〈反応〉が出やすいが、設計図や図版などでは〈反応〉が出にくい。この違いは何か?

3.自然の造形、黄金比で例が出る巻貝や原子まで、見事に数学的なデザインをもつ存在に、芸術作品のような〈反応〉は出ない。なぜか?

4.芸術作品においても黄金比=Φに関しては、筆者も個人的にあまり反応が出ない。なぜか?また一般的にもΦに関しては反応がでないのか?


これらの疑問を少しでも解決するためには、様々な作品を鑑賞して〈反応〉の出やすいもの、それほどでもないもの、まったく出ないものなど、詳細に分類していくしかありません。

次回は、その前段階として『スタンダール症候群』そのものについて、実体験なども交えながら、私の見解を述べたいと思います。

注1:ピタゴラス本人ではない、という資料が主流のようなので、ピタゴラス派としました。音階の研究と√2などの無理数の発見はピッパソスという人物が関係している、という資料があるようです。ヒッパソスは整数比を重要視していたピタゴラス学派において、無理数の秘密を漏洩したとして追放された、または海に沈められて殺害されたなどの話があるようですが、いずれも伝承なので真偽のほどはわからないようです。

注2:
6
28
496
8128
33550336
8589869056
137438691328…

と1000桁以下で15個の完全数が確認されているようです。
参考文献
ジョン・アンソニー・ウエスト『天空の蛇―禁じられたエジプト学』、翔泳社、1997
E・マオール『ピタゴラスの定理―4000年の歴史』、岩波書店、2008
ブルーノ・チェントローネ『ピュタゴラス派―その生と哲学』、岩波書店、2000
イアンブリコス『ピュタゴラス伝』 (叢書アレクサンドリア図書館)、国文社、2000
プラトン『プラトン全集〈12〉ティマイオス・クリティアス』、岩波書店、1975

文:渡辺 俊介 編/校/構成:東間 嶺@Hainu_Vele)

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