芸術と潜在意識 5:スタンダール症候群とは?②
*この連載は、2017年~2018年にかけて ウェブスペース En-Sophに掲載された「芸術とスタンダール症候群」を改題、転載したものです。
連載【芸術とスタンダール症候群】とは?
筆者が【幸福否定の研究】を続ける上で問題意識として浮上してきた、「芸術の本質とは何か?」という問いを探る試み。『スタンダール症候群』を芸術鑑賞時の幸福否定の反応として扱い、龍安寺の石庭をサンプルとして扱う。
連載の流れは以下のようになる。
1. 現状の成果…龍安寺の石庭の配置を解く
2. スタンダール症候群の説明
3. スタンダール症候群が出る作品
4. スタンダール症候群が出やすい条件
5. 芸術の本質とは何か?
はじめに:人物と用語について
* 今回、言説を参照する人物 *
小坂英世:精神科医。精神分裂病患者の症状発症の直前の出来事の記憶が消えている事、それを思い出させると症状が軽減・消失することを発見。小坂療法の創始者。
笠原敏雄:小坂療法から出発し、ストレス・トラウマではなく患者本人の許容範囲以上の幸福が心因性症状の原因になっているという、幸福否定理論を提唱。”感情の演技”という方法で、患者を幸福への抵抗に直面させ乗り越えさせる、独自の心理療法を開発。また、日本を代表する超心理学者でもある。
グラツィエラ・マゲリーニ:イタリアの精神科医。フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ病院に運びこまれる外国人観光客の症状を記録し、スタンダール症候群と名付ける。
* 用語説明 *
反応:抵抗に直面した時に出現する一過性の症状。例えば勉強しようとすると眠くなる、頭痛がする、など。
抵抗:幸福否定理論で使う"抵抗"は通常の嫌な事に対する"抵抗"ではなく、許容範囲を超える幸福に対する抵抗という意味で使われている。
スタンダール症候群:イタリアのフィレンツェで、観光客が起こす発作的な心因性症状。芸術作品鑑賞中や歴史的な建築物などで起こす事が多い。フランスの小説家、スタンダールが同様の症状を発症したことからスタンダール症候群と名付けられる。
前回までの流れ---芸術とは何か?
第1回、第2回は竜安寺の石庭の分析、第3回では、数の機能的な側面の分析をしました。そして前回は、それらの研究に至るまでの経緯として、筆者自身が治療家としての仕事をするうえで、心理療法家の笠原敏雄先生が開発した『幸福否定理論』に基づく心理療法を行っていた事、『スタンダール症候群』という芸術作品を鑑賞している際に出る症状があり、『幸福否定』の〈反応〉だと考えていること、そこから「芸術とは何か?」という問いが浮かんできたことなどを書きました。
今回は、『スタンダール症候群』を含む芸術鑑賞時の〈反応〉が、通常の〈反応〉とは異質な現象であるということを、治療の具体例などを紹介しながら書きたいと思います。
※ 人物などの固有名、〈反応〉をはじめ、前提を共有しなければ分かりづらい単語などは上掲の『はじめに』の説明を参照してください。
〈生活圏〉と〈芸術圏〉
まず、「芸術圏の反応と、芸術作品そのもので出る反応の違い」について説明します。
前回の内容と重複しますが、笠原先生は、人間の生き方を中原中也の言葉を使い、〈生活圏〉と〈芸術圏〉とに区別しています。
私が心理療法を行う時にも、患者さんの症状の原因が〈生活圏〉の問題と〈芸術圏〉の問題とのどちらにあるのか、常に念頭に置いて原因を探っていきます。
〈生活圏〉の問題は、文字通り、生存、生活をしていくための活動です。いわば人間の動物的な側面で、大昔なら動物と同じように獲物を取ってくるということなのでしょうが、現在では広く経済活動全般がそれにあたります。その他、家族に関しても、子孫を残すという意味で子供を育てる、社会において他人と競争に勝つ、名声を得るために努力する、なども〈生活圏〉の問題になります。
また、酒やタバコなど嗜好品の摂取のしすぎなどで起きる健康面の問題、整理や片付け、金銭管理など、日々を滞りなく生活していくための自己管理の問題も同じく〈生活圏〉の問題になります。
対して、〈芸術圏〉の問題とは、大きく、〈生きがい、やりがい〉にかかわります。
笠原先生は、著書で以下のように書いています。
「人間の場合には、一部のスポーツ選手や修行者のように、自らの能力や人格を高めようとして、自分を意識的に窮地に追い込んだり、苦行をしたりする人が、少数ながら存在します。この点こそ、直立二足歩行や言葉の自発的使用と並んで、動物と人間を異質なものにしている、きわめて大きな特性だと思います。」(引用:笠原敏雄『本心と抵抗』p4,2010)
実際に自分の周囲を見渡しても、修業的な生き方をする人もいますし、経済的な収入よりも、やりがいを重視する生き方をする人の割合は増えているように思います。
まず、働く動機に関してですが、裕福になって贅沢をしたいという価値観が少数派になってきており、贅沢よりも、自分の能力が発揮できる仕事がしたい、また、趣味や生きがいなどを深める自分の時間が欲しい、という人が増えている傾向があると思います。
プロスポーツの世界をみると、一流選手などが力が衰え、一線を退いたあとも限界まで現役を続ける例が増えました。〈生きがい〉や「自分に挑戦する」という意味では年齢は関係ありません。選手側のそのような価値観の変化に伴ってか、「高齢になっても情熱を失わない」ということも重要視されるようになりました。サッカーの三浦和良選手、還暦近くになっても甲子園球児クラスの球を投げる元野球選手の村田兆治さん、最近では元将棋棋士の加藤一二三さんなどが人気を博しています。
ひと昔前であれば、収入や社会的地位の側面のみの視点で、周囲から「みっともない。落ちぶれた」と言われることもあったかもしれませんが、〈生きがい〉や〈やりがい〉を優先するという価値観が受け入れられた現在では、そのような批判は少数派で、むしろ好意的に見られているようです。
世間のこのような流れを反映するように、心理療法でも、「自分のやりたいことは何か?」という問題と、「自由時間がうまく使えない。娯楽に逃げてしまう」という問題を取り扱う事が多くなりました。
芸術圏の反応と、芸術作品の鑑賞時に出る反応の違い
心理療法の中では、感情の演技という方法で、患者さんの幸福に対する抵抗を調べます。
例を挙げて説明します。「今の上司になってから仕事がうまくいかない」という〈生活圏〉の問題を訴える患者さんがいたら、
・上司に評価されてうれしい
・上司とうまく付き合えてうれしい
という実感をつくってもらい、比較します。
「上司に評価されてうれしい」で、幸福否定の反応があれば、出世に対する抵抗、「上司とうまく付き合えてうれしい」で反応があれば、人間関係に対する抵抗、と判断し、さらにその先の心理療法を続けます。
「趣味の空手も続けたいが、子供との時間も過ごしたい」などの、生きがいに関する問題を取り扱うケースでは、
・自由時間に空手をやりたい
・自由時間に子供との時間を過ごしたい
という実感をつくってもらい、幸福に対する抵抗を探ります。この場合、「空手をやりたい」で反応が強くても、家庭を壊すまでやるわけにもいかないので、どの程度の頻度で続けたいかを更に探る事になります。
以上が簡単な〈生活圏〉と〈芸術圏〉の問題の違いになりますが、基本的には強弱の差はあれど、〈反応〉の質は変わりません。
心理療法を本格的にはじめてから、現在まで8年が経ちます。患者さんは〈生活圏〉の問題、---簡単に言うと家庭や仕事、人間関係が原因での心因性症状が出なくなると ---が解消すると、今度は自分のやりたいこと、〈生きがい=芸術圏〉に関心を持つようになってきます。その中で、何人かが今まで特に興味がなかった芸術に関心を持ちはじめ、さらに自主的に美術館などにも行く例が増えてきました。
そうした患者さんたちと接するうち、芸術作品鑑賞時の〈反応〉が他の〈反応〉とは異質だという事がわかってきたのです。
芸術作品の鑑賞時の反応は通常の反応とは違う(中級者クラスの反応の説明)
笠原先生は、〈生活圏〉、〈芸術圏〉の区別とは別に、〈初級者クラスの反応〉、〈中級者クラスの反応〉という強さによる区別もしています。
…うれしさの否定に関係しない、心因性症状のもうひとつの原因は、数はさらに少ないが、通常の説明が困難なものである。国内であれ国外であれ、初めて行った場所で強い反応ないし症状を出したり、初めて対面する人物と会った瞬間に同様の反応や症状を出したりするという現象がその一例である。この場合、その後も同じ状況になると同様の反応や症状を出すことが多い。
初めての場所で反応を出現させたとしても、「旅行してうれしい」という気持ちの否定が、あるいは誰かと一緒であれば、「その人と一緒に旅行してうれしい」という気持ちの否定が原因となっている可能性があろうし、初対面の人物と出会った瞬間の反応にしても、その人物が何らかの点で旧知の誰かに似ていたりすれば、そのことが原因となっている可能性もあろうが、そういう条件が考えられないにもかかわらず、反応や症状を出現させることが時としてある。このような場合の反応や症状には、強力な眠気やあくびの頻発、動けなくなってしまうほどの強い脱力感などが多い。前節まで説明してきた方法を初級者クラスと呼ぶとすれば、こうした現象を扱う方法は中級者クラスということになろう。
これと関連して、いわば反応の応用編ともいうべき方法がある。何であれ反応が出るものを、反応を使って探し出し、反応を目印に感情の演技や関連付けを行なわせるという方法である。反応を中心にしたやり方なので、初級者クラスの場合よりも当然のことながら反応や抵抗は強く、一瞬のうちに眠ってしまうとか、強い脱力感や激痛を発生させるとか、意識を失いかけるといった現象すら起こることがある。もちろん、単なる反応にすぎないので、激痛などが起こっても、感情の演技を終えれば、通常の場合、それはたちどころに消失する。(引用:心の研究室「幸福否定という考えかたに基づく心理療法の基本概念---初級者クラスと中級者クラス」)
このような、通常の説明ができない出来事に関する原因を探る時に、中級者クラスと分類される非常に強い反応が出ることがあり、超心理学(注1)の分野に関することが多いようです。
芸術作品の鑑賞時に出る反応も同様に非常に強く、中級者クラスに分類されています。
* 中級者クラスの反応の特徴 *
では、ここで、初級者クラスの反応と中級者クラスの反応の違いを簡単に書いてみたいと思いますが、その前に用語で意味が混乱しないよう、〈症状〉と〈反応〉の違いを簡単におさらいしておきたいと思います。
※ 尚、この連載のタイトルにもなっているスタンダール症候群の症状の解釈については、名付け親のマゲニーニ医師と笠原先生の幸福否定理論を比較検討した結果、私は笠原先生の言う中級者クラスの反応と考えているので、その前提で話を進めますが、マゲニーニ医師の統計の取り方や解釈に興味がある方は先にエントリ末尾の補遺を読んで頂ければと思います。
反応:(幸福に対する)抵抗に直面した時に出る心身の一過性の変化。
例→旅行先に到着した途端に熱が出て、旅行先から一歩外へ出た途端に熱が下がった
心因性の幸福否定の症状:幸福を否定するためにつくりあげる症状。症状出現の直前の記憶が消える。
例→旅行に行く前の晩から熱が出て行けなかった。毎回、旅行から帰ってくると熱を出す、など。
次に、現時点でわかっている初級者クラスの反応と、芸術作品の鑑賞時の反応を含む、中級者クラスの反応の違いを挙げて、順に見ていきたいと思います。
まず、初級者クラスと中級者クラスの違いを挙げてみたいと思います。
・症状が非常に強い事がある。
・初級者クラスと違い、対象から離れても反応が続いてしまう事がある。
・初級者クラスに比べ、反応の記憶の消え方に差がある。
最初に、1.についてですが、マゲニーニ医師が著書で挙げていたスタンダール症候群の例においても、パニック発作や不安発作、疎外感や家に帰りたいという衝動などの強い症状が挙げられています。
また、心理療法においても、中級者クラスの反応では、数日間寝込んで、仕事に行けなくなってしまう例もあるようです。(注2)
これは推測になりますが、マゲニーニ氏の著書で扱っている例は旅行者に限られるので、どうしても旅行を中断する症状が多くなってしまうのでは?と考えています。本人がやろうとしていることの邪魔をするのが〈幸福否定〉ですから、家の中で芸術作品の鑑賞をしようとすると、眠り込んでしまったり、身体を動かせないほどの強いだるさに襲われたり、という状態になります。この場合、常に意識をはっきりさせないことが目的になると思いますが、どういうものであれ場合によっては、生活自体に支障をきたすような強い症状が出てしまいます。
もちろん、芸術作品鑑賞に関する反応でも、出てすぐに見る事をやめてしまえば作品の本質に迫る事はないので、軽い症状で抑えることができます。
私が心理療法中に患者さんに芸術作品の写真を見せる際には、時間を2分に区切り、日常生活に支障をきたす反応が出ないように配慮しています。以前、私自身が実験的に抵抗が強い芸術作品を意識的に集中して見た際、半日以上眠り込んでしまった事がありました。目を覚ました後も、非常に強いだるさを感じ、身体を動かすのがやっとだった事を覚えています。
集中して作品を観ていた時間はせいぜい10分前後だと思いますが、それでもポイントを外さなければ、かなりの強い反応が出てしまいます。
次に、2、3についてですが、初級者クラスの反応では、例えば数学の授業中に眠りこんでしまった場合には、数学の授業が終わった途端に反応は出なくなるので、眠気はすぐになくなることになります。それに比べ、芸術作品鑑賞に関する反応では、作品から離れても反応が続いてしまう事があります。
症状には、眩暈、頭痛、だるさなど様々な症状ものがありますが、数時間から数日続く事があります。また、初級者クラスの反応では、出来事の記憶が完全に消えてしまう例は少ないように思います。(注3)
例えば、本を読んでいて眠り込んでしまったときに、
・本を読んでいた事自体を忘れる
・何の本を読んでいたかを忘れる
という例は多くはありません。
個人差があるので、上記のようなケースもなくはないですが、多くは「読んでいた本のどの部分で眠りこんだかを忘れる」という程度の消え方が多いようです。
対して芸術作品鑑賞時の反応では、「どの作品を観ている時に症状が出たのか?」思い出せないことがよくあります。また、美術館を含め、その場所に行ったこと自体を思い出せない場合もあるようです。(注4)
また逆に、かなりの部分をはっきり記憶している例もあり、現状では、どのような場合に大幅に記憶が消えてしまい、どのような場合に記憶が残りやすいのかは解明できていません。
マゲニーニ医師の著書の例においても、フィレンツェの有名な建築から出て症状を訴えた患者の例が載っていますが、建築物の中に居たときの記憶が消えている可能性もあります。通常、病院では、こと細かに症状が出た瞬間の事を聞くよりも、まず症状を抑えること(安静にさせる、投薬する、など)を優先するはずなので、どの時点で症状が出たのかを探るのが難しいのではないかと思います。
以上のように芸術作品の鑑賞時に出る反応を含む中級者クラスの反応は、初級者クラスの反応と違いがあるのですが、「どこがどのように違うのか?」は、探るのが難しい事もあり、明確にはわかっていません。中級者クラスの反応については、原因を絞り込むのが非常に難しいからです。
私自身も、当初は「患者さんに使う前に自分で試してみよう」と、自身がクライアントになって心理療法を試みましたが、芸術の本質を探る中級者クラスに入ってからは、反応の原因を特定するのに非常に苦労しています。
次回は、そんな手探り状態ではありますが、自分なりに芸術作品鑑賞時における反応を探った結果と、芸術の本質について、現在の青写真程度の簡単な推論を書いてみたいと思います。
補遺---マゲリー二医師の著書
今回の連載は、前回から間が空いてしまいましたが、その間に、マゲニーニ医師の著書『I've Fallen in Love with a StatueーBeyond the Stendahal Syndrome』 / Graziella Magherini(Nicomp Laboratorio Editoriale, 2007)を読み直し、必要な個所をもう一度まとめる作業を行っていました。
以下、長くなりすぎないように必要な個所を簡単に要約し、紹介しておきたいと思います。
(第一章、注1、p185〜p192 筆者要約)
* 調査対象 *
1977年7月から1986年12月までフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ病院に入院してきた観光客106人と、1987年に市内を訪れた一般観光客全人数から採取された293名のサンプルが調査対象。(筆者注:入院しなかった患者は統計に入っていないようです)
* 結果 *
入院患者のうち3分の2(N統計母集団=70)は思考障害、4分の1(N=31)が感情障害の症状があり、5人に体性不安が見られた。半数以上(56%、N=50)の患者が、精神科を訪れた経験があり、感情障害(47%, N=16)より思考障害(62%、N=34)を有する者の割合が高かった。
思考障害:幻覚、疎外感、非現実感など
感情障害:抑うつ、不安、全能感、幸福感、高揚感など
体性不安:パニック発作、胸痛、心拍亢進など
既婚者、独身という点で患者と通常の観光客の間で差があった。特に26歳〜40歳の女性患者の中で、差が顕著であり、18名中1名のみが結婚していた。(6%、N=18)男性患者は、23人中7人が既婚者であった。(30%、N=88)対して、一般観光客は、男性41% N=21、女性46% N=29)
観光客の3分の1(29%,N=86)がイタリア人であったが、患者にイタリア人はいなかった。
その他に、患者における大学卒業者の割合が低い(9%、観光客37%)、管理職割合が少ないなどのデータが載っています。
大きく言えることは、もともと幻覚を含む精神疾患を経験したことがある患者が、病院に運び込まれる事が多いという事です。マゲリーニ医師の著書でも、症例に偏りが出ていることは書かれています。ただ、かりに頭痛や眩暈であれば、患者は精神科には来ないはずです。病院にすら行かないかもしれません。精神科のマゲリーニ医師のもとに、精神症状の患者が集まるという偏りは仕方ない事でしょう。
マゲリーニ医師は、イタリア人、アメリカ人、日本人の患者がいない、もしくは少ないこと、またヨーロッパからの観光客の患者が多いことから、フィレンツェの文化に触れる事によって、フロイト心理学を基盤にした〈自我〉が危機に陥りスタンダール症候群の症状が出る、としています。
イタリア人は自国なので症状が出ず、日本人やアメリカ人も文化圏が違うからスタンダール症候群にはなりにくいということですが、実際に私の身内(日本人)にも大学で美術を学び、イタリアを旅行したにも関わらず、フィレンツェの記憶がほとんどない、という者がいます。かろうじてダビデ像とサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂思い出せるだけで、ウィッツィ美術館が思い出せないという、信じられない症状ですが、なかなかこのような症状は表に出てきません。
マゲリーニ医師は、著書を読む限りフロイトの影響を強く受けた研究者だという事がわかりますが、イタリア人はフィレンツェに旅行に行ってもカルチャーショックを受けない、という前提にも疑問が残ります。フィレンツェが発展した15〜16世紀においては、ヴェネチア、ローマ、シチリアとは別の国であるにもかかわらず、現在の国境のもとでのイタリア人のみ、文化的な衝撃は受けないというのは無理があるような気がします。
むしろ歴史に全く興味がないイタリア人のほうが、歴史好きな他のヨーロッパの観光客よりも、フィレンツェの文化に開眼した時の衝撃は大きいのではないでしょうか?
イタリア人の患者がサンタ・マリア・ノヴェッラ病院に来ないというのは不思議なことですが、私が行っている心理療法では、日本人が日本の芸術作品を観て症状を出すことはよくあることなので、その病院に行かない、何か他の理由があるのでないかと推測しています。
上記のように、スタンダール症候群の症例を集め、命名したマゲリーニ医師と、芸術作品観賞時に起きる幸福否定の反応だとする立場とでは、解釈に違いがあります。
* マゲリーニ医師のスタンダール症候群の解釈 *
症状‥‥思考障害、感情障害、パニック発作などの体性不安
症状の原因……芸術都市、フィレンツェという状況が自我を危機に陥れる。
* 幸福否定理論からみたスタンダール症候群の解釈 *
症状……様々な症状が出る。だるさ、頭痛、眩暈、アレルギー反応、記憶が消える、その他、マゲリーニ医師の挙げている症状も含む。
症状の原因……スタンダールが経験したものは、芸術作品の鑑賞に関する幸福否定の反応。
解釈や定義に違いが生じるのは、スタンダール症候群そのものが、世界各国で豊富な報告があるわけではなく、今までに知られていなかった症状がある、という観察事実を発表している段階なので仕方のないことかもしれません。
最も重要なことは、マゲリーニ医師が集めた症例に、「芸術作品の鑑賞中にそれが起きた例が多くあること」であり、似て非なる症例が含まれること、解釈に違いがあることは二の次になります。(注5)
また、スタンダール自身は芸術作品の鑑賞で症状を出していること、マゲリーニ医師の症例も恐らく作品鑑賞が原因となっているものが多数あると推測できることから、スタンダール症候群という症状名を無視することなく検討したいと思います。
註釈一覧
注1:〈超心理学〉とは、未だに物理的には説明がつかない、心と物、あるいは心同士の相互作用を科学的な方法で探究する研究分野です。代表的研究対象には、ESPとPK、そしてサバイバルがあります。
ESPとは、他人の考えがわかるテレパシー、トランプの絵柄が裏からわかる透視、未来の出来事が前もってわかる予知など、外界の情報を通常の感覚器官を超えて人間が知覚したと見られる現象です。
PKとは、サイコロをふって念じた目を出すとか、手を触れずに物体を移動・変形させるとか、思い浮かべた絵を写真に念写するとかの、通常の運動器官を超えて人間が外界に働きかけたと見られる現象です。
サバイバルとは、生まれ変わりとか、幽霊屋敷などの、通俗的には死んだ人格が霊魂として作用したと見られる現象です。(引用:日本超心理学会ウェブサイトー超心理学とはーより)
初対面や初めて行った場所で激しい抵抗を起こすという例は、何か特別な縁がある、または前世でその場所に関係があった、などの科学的証明ができない可能性を持ち出すしかありません。
例えば、初対面の人と出会った時に、強い反応が出た場合、後日、心理療法で
・Aさんと初めて会った時の強い反応と、縁が関係している
・縁は関係ない
など症状の原因を探ろうとしても、初級者クラスと違い、反応が一定しなかったり、クライアントの体調が悪くなり中止せざるをえない状況になってしまいます。結局、症状の原因はわからないまま終わってしまうことが多いですが、強い抵抗にあたり抵抗を弱めるという意味で、治療的には使えるという事になります。
尚、心の研究室では中級者クラスの反応は、十分な材料が揃っていないという事で明確な定義づけをしていないようです。
注2:私のところに来る心理療法の患者さんについては、中級者クラスの内容の〈感情の演技〉をやることはありません。あくまで日常の事を扱い、その中で芸術作品鑑賞時に出た反応として、中級者クラスの反応があるという事になります。
どの作品で反応が出たかを探るために、患者さんに作品の写真を見てもらう事もありますが、時間を1〜2分にし、強い症状が出ないよう配慮しています。
心の研究室では、非常に抵抗が強く日常生活に支障をきたす恐れがある、という事を事前に患者さんに伝え、それでも関心があるという患者さんのみ、極少数ですが中級者クラスの心理療法を行っているようです。
注3:症状の場合には、初級者クラスでも高校生までの記憶がない。結婚してから自宅での事をほとんど思い出せない、など大幅に記憶が消えているケースがあります。
注4:笠原先生に聞いた例を一つ挙げると、東大寺の大仏や大仏殿の記憶が消えている人が多いようです。本当かと思い、私も東大寺に行ったことがある周囲の人に聞いてみましたが、特に大仏殿の記憶が消えている人が多いように思います。世界最大の木造建築物なので、簡単に忘れる建築物ではありません。
対して、奈良公園や大仏殿の柱に穴が開いていて、人が通っていたなどはよく覚えているようです。
注5:マゲリーニ医師は、著書においてフロイトのアクロポリス(古代ギリシアのポリスのシンボルとなった小高い丘)での経験(『Open letter to Romain Rolland, 1936』)を取り上げています。
その場所で、フロイトは非現実感、疎外感を感じたこと、また自身が幸福を否定している事を記述しています。幸福否定の例だと思いますが、フロイトは過去に感じた疎外感が表出していると解釈し、フロイト理論が基盤になっているマゲリーニ医師も同様に考えているようです。
幸福を否定している、という事には気がついているものの、そこに着目していないことは残念なことです
参考文献
Graziella Magherini『I've Fallen in Love with a StatueーBeyond the Stendahal Syndrome』(Nicomp Laboratorio Editoriale, 2007)
«Mi sono innamorato di una statua». Oltre la sindrome di Stendhal-«I've fallen in love with a statue». Beyond the Stendhal syndrome
岡田温司『フロイトのイタリア―旅・芸術・精神分析 』(平凡社、2008)
(文:渡辺 俊介 編集、校正/東間 嶺@Hainu_Vele)