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「システムの声」に耳をすませ、「望ましい未来」へ向かうためにどのように舵を切ろう?

深い対話を何度も経験してきた先生と、未経験の先生

進化し続ける京都市立葵小学校で恒例となった今年度の教員研修。

公立小学校の改革において、宿命ともいえるのが毎年先生方の異動があること。教員同士のリアルで深い対話で関係性の質が上がり、葵小からの転出希望を出す先生がほぼいないという時期もあったが、ずっとそういうわけにはいかず。

中心となって牽引してきたコアチームの先生方が異動、新しい先生方が多く赴任されてきて、前からいらっしゃった先生が「まるで別な学校」と口にするほど、組織が入れ替わった今年度。

深い対話を何度も体験し、子どもたちへの対話の授業の実践を重ねてきた先生方と、対話未経験の先生方。ここにギャップが生じるのは自然なこと。

でも対話リテラシーが異なる先生方へ、同じ内容の研修を行っても全く機能しない。一方に合わせると、もう一方の学びが満たされない。

個々の理解度に応じた学びを選ぶ

うーん、どうしたものか。悩みに悩んだ結果、出した結論。

先生方へ「一律一斉の教育に限界がきている」と話し、チャレンジを促している以上、私自身が個々の理解度に応じた学びへのチャレンジを体現しなければ!ということで、今回は2つのコースを設定し、学びを深めたい方を選択し、意図的に学びに向かってもらうことに。

1つは、「自分も相手も対等に尊重する対話の理解を深める」対話マスタリーへの道コース。
もう1つは、「システム思考の観点から自己との対話、組織における対話を探究するコース。

対話をして深いところへダイブしていく

葵小の今年度のテーマは「システム思考」
子どもたちにシステム思考を教えるために、まずは先生が「これは使える!」という腹落ち体験が必要。

まずは全体で深いところへダイブしていく対話を体験してもらいながら、同時にメタで全体を俯瞰し、今システムに何が起きているのかに気づいていく(アウェアネス)を起こし、最終的に全体で各々の学びを統合し、明日からの未来を創る一歩となっていくように。そんな願いを込めて。

対話を通して「学校の組織の「システム」からどんな声が聴こえてくるか?先生方にとって「望ましい未来」へと向かうために、どのように舵を切っていくか?」という問いへの解を共創造していく。

対話の先に現れる嘆きは、システムの声

まずは、全ての起点となる「自己との対話」。転任2年目のすらっと背の高い先生が「椅子のサイズが小さくて窮屈だけどがまんしている」ことを話してくださった。

入り口は「椅子のサイズ」というトピックだったが、そこから内省によって現れてきたことは、これまで教師として働きながら、悩み、葛藤し、一時は苦しさのあまり数年間休職して、ようやく現場に復帰してきたが、まだもやもやとしているという嘆き。

そして長年、自分の心の拠り所でありながら、いつの間にか呪縛となっていた「教師は税金で働いているのだから誠実であるべき」という前提。この前提を手放し、これからの未来において満たしていきたい願いへと自ら選択し、最初とは別人のように晴れやかでパワフルなエネルギーが現れてきた。

ここにある呪縛や痛みは、先生個人の声ではない。システムの声である。できごとの現れ方は多様でも、根っこにある学校教育システム、そこにロックされている「教師とはこうであるべき」「学校とはこうであるべき」という意識・無意識の前提が引き起こしている声である。

「あるのに、ないこととしていること」に気づく

そしてここからコースごとに分かれ、「システム思考」チームは葵小に起きているパターン、それを引き起こしている構造、そして、自分たちが持っている「前提」を紐解いていく。

長年、深い対話を体験してきた先生方の探究力がすさまじい。あっという間に、葵小という組織に今何が起きているのかを、主観を入れたり誰か個人を責めることなく、しっかりと構造を見つめていく。
いやー、すごい。

個人や組織において「(意識・無意識的に)あるのにないこととしていること」に気づいていくセルフアウェアネスとシステムアウェアネスの力の高さは、これまでどれだけ自分や他者と真摯に向き合い、本質的な対話をしてきたかの証。あらためて、葵小の先生方の次元の高さに胸が熱くなる。

知らないうちにできていた「組織の前提」。
このまま進んでいくと、私たちは望んでいない未来へと進んでいってしまう。無自覚のうちに。

葵小として向かっていきたい「望ましい未来」。
そこへ向かっていくために、どんな前提に書き換えたらよいか?
前提が変わると、そこから生まれる構造やパターンが変化してくるというシステムを逆に活かしていく。

そこへ向かっていく大きな「マインドシフト」を起こすには、次元を超えた視座の転換が必要。今の葵小に「あるのにないこととしている」最も核となっていることを、場に現していく。

それは、揺るがない信念を持って、愛とパワーで学校改革をリードし続けてきた校長先生に対する、不満。

実はこれも、校長という個人への不満ではない。葵小が成長し進化したからこそ生じてきたギャップによる嘆きというシステムの声。誰か特定の個人が問題なわけではない、ということを何度も場に浸透させていく。

果敢に挑戦し続ける校長先生の覚悟

とはいえ、リーダーにとって、自己の内側にあることをメンバーの前で開示することがいかに恐ろしいことか。でも、この対話と改革を圧倒的な熱量で推し進めてきた市村校長は、いっさい怯むことなくみんなの前に出てくださった。

新しく赴任し、対話を推進する葵小の流れに乗り遅れていると感じている若手の先生と、校長先生がまっすぐに対峙し、お互いの内側にある本物さから対話をしていく。

校長から最後に出てきた真実の声は「焦り」。残り3年となった教員生活において、ずっと描き続けてきた「望ましい未来」を実現できるのか。焦り、そしてその奥にある願いが、まっすぐと場に染み渡っていった。

公立学校の構造上、新しい改革や取り組みを進めても、年毎に必ず人が入れ替わることでまたふりだしに戻される感覚となり、改革を諦めてしまう管理職も多い。

そんな中、何が起きても全てを丸ごと受けとめ、山あり谷ありしながらも、心折れることなく果敢に挑戦し続ける校長先生の覚悟が、この「対話する学校」をつくりあげたのだということをあらためて実感した場。

一人ひとりが「変化の源」

葵小から他校へ異動された先生方が、赴任先で「変化の源」となって対話を広げているのもまた希望そのもの。

進化のプロセスは、光だけではない。光が強くなればなるほど、影も生まれてくる。闇や痛み自体が悪いわけではない。闇や痛みに蓋をして「ないこと」にしないこと。闇や痛みの声に耳を傾け、「ある」こととして含ませていくこと。

光と闇、清濁合わせのみ、システムから生じた痛みや願いをわかちあうことで「望ましい未来」に向けたシステムへと刷新していく。

未来への希望を体現するべく、挑戦し続ける葵小。私も全身全霊で伴走し続けます。

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