「#3 〜福岡県出身の亡き祖父たちが生きた戦時中から戦後の時代を軍歴を通して辿る旅を経て、本当の絆を取り戻した私の家族の記録〜」を読んで


お祖父様は終戦間際の昭和20年に満州から転用され第16方面軍に編入。
本土決戦準備のため福岡にやってくることになりました。 

第五十七師団(奥)の編成と配置場所(「戦史叢書「本土決戦準備〈2〉ー九州の防衛ー」より)

 臨時召集ニヨリ歩兵第132連隊ニ召集
満州奥第7232部隊ニ入隊
第一機関銃中隊ニ編入

少し補足をしますと
文中にもありますが奥は第五十七師団の通称号(隠語)になります。そこの歩兵第百三十二連隊(連隊長小林大佐)なので香椎付近の配置されているようです。

歩兵第百三十二連隊の任務は、「多々羅村及び大隈拠点を占領し敵を水際に補足撃滅す止も得ざるも同地を保持し後続兵団の進出並びに展開を援護する。」(「北部九州の軍事遺跡と戦争資料」花田勝広編著P370より)とあります。

第一機関銃中隊はおそらく第一大隊の隷下であろうと思いますが残念ながら第一大隊の担当地域は詳しくはわかりませんでした。
下の地図は多々羅村及び大隈の位置です。

多々羅村(現福岡市東区)
大隈(現糟屋郡粕屋町)

この作戦は、決号作戦(いわゆる本土決戦)の決六号作戦(九州での作戦)になります。

実際に米軍は、昭和20年10月27日以降に南九州(志布志湾等)から上陸する作戦(オリンピック作戦)を計画します。
(九十九里浜から関東を強襲する作戦は昭和21年を想定していた。(コロネット作戦))

福岡での作戦準備は、米軍が福間海岸(現福津市で私の住まいがある。)から上陸する場合に備えての準備です。

この地域は第十六方面軍の第五十六軍の管轄ですが第五十七師団は第十六軍の直轄部隊であり方面軍としては重要と考えての配置だったのだと思います。

福岡に来るときがあればこのへんでお祖父ちゃんが陣地を掘るなどの準備をしていたんだと感じてもらえるといいですね!!

書き込みはまだ続くみたいです!!


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