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日本の家族の歴史とトレンドーー【連載第2回】結婚相手の選択は、地縁、職縁から、自己責任へ

家族社会学の観点から日本の「結婚」「家族」の過去、現在を切り取る連載。今回は、社会状況の変化にともなう、結婚相手の選び方の変遷をたどってみましょう。


慶応義塾大学 文学部 准教授 阪井 裕一郎

1981年、愛知県生まれ。慶應義塾大学文学部准教授。博士(社会学)。福岡県立大学人間社会学部専任講師、大妻女子大学人間関係学部准教授を経て、2024年4月より現職。著書に『結婚の社会学』(ちくま新書)、『仲人の近代 見合い結婚の歴史社会学』(青弓社)、『事実婚と夫婦別姓の社会学』(白澤社)などがある。

■恋愛結婚は野蛮?

 現代では当たり前の恋愛結婚(自由結婚)は、かつては蔑みの対象であり、「畜生婚」「野合」と呼ばれていたことをご存じでしょうか。

 近代化以前の江戸時代には、恋愛結婚は下層社会の人たちだけがする動物のような行為と見なされ、仲人を介した見合い結婚こそが正統な結婚とされていました。

 といっても当時、見合い結婚は、人口の5%にすぎなかった武士階級の風習。全体の9割以上を占める庶民の結婚は、武士層とは大きく異なっていました。

 明治時代以前の村落社会では、多くの人が一生を通じて地理的に移動することがほとんどなかったため、同じ村落内で結婚相手を見つけることが一般的でした。つまり地縁による結婚です。ですから見合いをしたり仲人を立てたりする必要はなかったのです。

 実際どのようにして結婚相手を決めていたかというと、広く行われていたのは、「よばい(夜這い)」の慣行です。

 民俗学者の瀬川清子は、「昔の婚姻を真に支配したものは、若者仲間であった」と述べています。村落共同体の規制が強かった時代には、「若者仲間」と呼ばれる同輩年齢集団の年輩者から助言や手ほどきを受けながら、結婚相手を見つけ出していました。

 「よばい」とは、夜に男が女の住居へと通い性的関係をもつことです。諸説ありますが、「よばう(呼ぶ)」が変化して定着した言葉だとも言われています。この慣行は現代では犯罪以外の何物でもないのですが、長きにわたって配偶者選択の最も標準的な方法でした。

 男性から女性にアプローチをかけるのがスタンダードですが、もちろん女性には拒否権もあり、拒否された男性がすごすご引き下がるという場面もたびたびあったようです。

■「よばい」禁止令に戸惑う若者たち

 明治時代になると、武士的な儒教道徳の浸透とともに、交通や産業の発達にともなう遠方婚姻の拡大によって、地域に根差した「若者仲間」の権威は急速に崩れていきました。それぞれの家の価値を示す「家格」が人々にとっての重要な関心事となり、おのずと結婚の自由が制限されていくことになります。

 新しく導入された「文明」の規準によって、それまでの慣習であった「よばい」は、一転して「野蛮」なものとして排除の対象とみなされていきました。文明と野蛮の境界線は、さように相対的なものです。新しい文明の定義が入ってきたことによって、それまで当たり前だったものに「野蛮」というラベルが貼られ、排除されていったのです。

 「よばい」が唯一の結婚相手選びの方法だった村落の若者たちは、政府によって「よばい」が禁止されると「どうやって結婚相手を見つければいいのか」と嘆いたといいます。若者たちが集まる場所だった若者宿、娘宿や、その日は羽目を外しても良しとされていた盆踊りなども排除の対象になりました。

■庶民の結婚式にも仲人が登場

 民俗学者の柳田国男は、1930年代に書いた著書の中で「まずいちばんに人が気づかずにいるのは仲人という者の新たに現れてきたことである」と言っています。日本は昔から仲人を立てた見合い結婚が一般的だったかというとそうではなく、そういった結婚をしていたのは主に全人口の5%程度の武家階級の人たちだけでした。

 しかし明治期以降は、武家の慣習や道徳こそが「正しい伝統」なのだということになり、世間に広く普及していきます。その結果、仲人結婚が新たに結婚の標準形式になったと柳田は指摘しました。

 仲人を介した結婚こそが「正しい結婚」なのだという社会規範は、江戸中期より庶民層の一部で広まりつつありましたが、全国的に広まるのは明治に入ってからのことでした。

 武家社会で確立した仲人結婚が、近代化を推し進める明治政府において広く浸透していったのです。この現象は、「創られた伝統」と呼ぶことができます。

■「伝統」は創られる

 「創られた伝統」(the invention of tradition)という言葉は、社会科学の領域ではよく使われます。もともとは歴史学者のE・ホブズボウムとT・レンジャーが、その編著書『創られた伝統』(1983年)で示した概念です。

 「伝統」とは決して不変ではなく、近代化のプロセスのなかでその目的に応じて都合よく「再発明」されてきました。われわれが古くから存在していると思っている「伝統」の多くは、実は近代以降に「発明」されたものです。「伝統」は現代の目的のために、捏造されたり、一部だけ切り取られて誇張されたりするのです。

 神社で挙げる神前結婚式も同様です。日本に古くからある慣習のように思われがちですが、もともとの日本の結婚式は村落共同体が執り行うもので、神に誓うという性質のものではありませんでした。明治時代の文明開化の中でキリスト教式の結婚式が紹介され、それを日本風にアレンジしたのが神前結婚式です。

 夫婦同姓も「創られた伝統」のひとつといえます。明治民法をつくる過程で、西洋から受けた影響と家制度とが結び付くことによって、このようなかたちになったと考えられます。西洋化、欧化政策と、武士の文化こそ「正しい伝統」なのだというある意味での国粋主義が奇妙にハイブリッドに融合して、日本の近代の家族制度、結婚制度ができ上がったのです。

■地縁から職縁へ。企業戦士と専業主婦の性別役割分担

 高度経済成長期には、産業構造の変化を背景に、農村から都市への大規模な人口移動が起こりました。1950年には第一次産業の従業者割合がおよそ5割でしたが、1970年には2割を下回ります。20年の間に産業構造が大きく変化し、これにともなって結婚のあり方も大きく変化していきます。

 男性の多くが「企業戦士」として働き、妻が家庭を守るという、性別役割分業型の家族が広く普及していきました。「夫はサラリーマン、妻は専業主婦、子どもは2人」という近代家族が、日本の標準家族モデルとして定着し、社会福祉や社会保障システムの基本単位とされていきます。

 終身雇用や年功序列といった日本型経営が確立。企業をひとつの拡張家族のようにとらえる「経営家族主義」が評価を得ていました。

 1950年代後半には、多くの企業で女性の結婚退職制や若年定年制が普及していきました。女性労働者は結婚を機に退職しなければならないという、現代では信じられないような契約体系です。男性 55 歳に対し女性30歳という性別で異なる定年制が就業規則に盛り込まれていた企業も多くありました。

 企業は従業員家族の生活保障まで手厚く担う制度を確立し、家族連れの社員旅行や運動会などのレクリエーションも盛んに。従業員と企業との結びつきは密になり、従業員は企業への依存度を高めていきました。

 この時期に、結婚のトレンドは見合い結婚から恋愛結婚へと変遷していきます。恋愛結婚の中身も年を追って変化していきます。1970年代になると、結婚相手との出会いのきっかけは「職場や仕事で」がトップに躍り出ます。明らかに地縁から職縁への移行が見られ、企業集団がマッチメーカーとして大きく機能するようになるのです。職縁結婚はその後しばらくの間、3組に1組という割合を維持することになりました。

図表1 結婚年次別、夫妻の出会いのきっかけの構成比
(第8回~第12回出生動向基本調査における「初婚どうしの夫婦について」)

出典:阪井裕一郎『結婚の社会学』82頁(ちくま新書。2024年)

■自由と引き換えに、結婚の選択は「自己責任」に

 1970年代に台頭した職縁結婚というシステムは、90年代初めのバブル崩壊のあとから十分に機能しなくなります。

 女性の就業年数が長くなり、男女ともに非正規雇用の割合が増加。経済構造の変化にともない、終身雇用や年功序列賃金、従業員家族の生活を企業が保障する福祉システムといった、いわゆる日本的経営の柱が大きく揺らぎ、多くの人々がコミュニティから切り離され、帰属先を失っています。これが結婚行動に変化をもたらしたのです。

 リクルート社が実施した『ゼクシィ結婚トレンド調査2005』によると、1994年から2004年までの10年間で、首都圏において結婚式に仲人を立てた人の割合は、63.0%から1.0%へと急減しています。

図表2 結婚式に仲人を立てた人の割合(首都圏)

出典:リクルート社『ゼクシィ結婚トレンド調査2005』より作成

 1960年代にはもう恋愛結婚が見合い結婚を上回っていたのですから、もちろんここでいう仲人は、ほとんどが結婚式にだけやって来る形式的仲人、頼まれ仲人です。ただその仲人は、結婚する当人たちの帰属集団の証人といいますか、後ろ盾の象徴のような存在だったことは間違いないでしょう。それがこの10年に激減したということは、この間に日本型経営が崩れ、日本経済が停滞していった結果、個人が帰属先を失っていったこと、職縁による結婚が減ったことの証左といえます(詳しくは拙著『仲人の近代 見合い結婚の歴史社会学』<青弓社>を参照)。

 もちろん、個人が共同体の束縛から解放され自由になったことには肯定すべき側面も多くあります。「まだ結婚しないのか」「相手を紹介してやろうか」というのは今ではハラスメントに該当します。しかし自由と引き換えに、つながりの形成における自己責任や自助努力の側面が大きく増大したことも事実です。誰かが結婚の面倒をみてくれるわけではない。自分自身で相手を見つけ、交渉しなければならない時代になったということです。

■個人が解放された社会で進む新たな分断

 ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックは、個人が解放された現代社会における人々の分断を「サーファー」と「漂流者」にたとえて説明しています。

 経済力やコミュニケーション能力などさまざまな資源に恵まれた「サーファー」は、不確実な状況や急激な社会変化にも、臨機応変に軌道修正を行いながら、上手に対応していくことができます。一方、資源の乏しい漂流者は、いたずらに波に流され、次第に孤立していきます。自助努力が必須である現代においては、自ら能動的につながりを形成していく「サーファー」と、受動的であるがゆえに孤立へと追いやられる「漂流者」との分断が生じるというのです。昨今は「漂流者」がますます増えているようにも見受けられます。

 歴史をたどってみると、結婚が人々の帰属集団の変化とリンクして変遷してきたことがわかります。現代に生きる私たちには、自己責任において、自分らしい結婚のかたちを選び取ることが求められているのです。

(【第3回】マッチングアプリの功績と罠 に続く)

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