醜形恐怖症の人々を救いたい。
「俺、お前みたいなブスとは付き合ってらんねーわ。」
「ブス死ね、ブスはブスなりに黙っとけよ」
「もうお前みたいなブス無理だわ、別れよ」
全て中学3年生の時お付き合いをしていた恋人からの言葉である。それまで私は自分の容姿を気にしたことはなかったし、もはや良いのでは?とさえ思っていた。
だが、大好きだった彼からのブス死ねカスの暴言シャワーを浴び続けた私は死ぬほどショックを受け、
「私ってゴミカスだし死んだ方がいいレベルのブスなんだ……」
と思うようになった。
それは高校卒業と共に診断される醜形恐怖症へと導く大きなきっかけであった。
美醜へのとらわれ
中学を卒業し、無事志望していた高校に入学できた私は、高校の先輩に一目惚れをしてしまったのだ……
ブスなのでどうにか接点を持たなければ!!!
と思った私は、先輩のいる部活のマネージャーになった。
(当時は断固否定していたが決め手は完全に先輩。時効です。)
狙い通り先輩とどんどん仲良くなる訳だが、そうすると勿論元カノという存在を知ることになる。
その元カノはバチボコに美人だったのである。
し、死にてえ〜〜〜〜!失恋じゃねーか!(号泣)
ブスな私、無事に死亡。
と言いたいところだが生命力の強いブスで有名(大嘘)。諦め切れるわけもなくどうにかしようと思いついたのが
二重にする
ということだった。
約一年間の試行錯誤の末、地力で二重になった。最高〜〜〜〜!
と思ったのも束の間。
それをきっかけに異常なほどの美醜に囚われることになった。
地獄の日々
その通り、地獄。
毎朝鏡を見ては落胆し、ド鬱な気分のまま高校に向かう。
そもそも高校に向かう電車内も地獄だ。
私のことをブスだと悪口言っているのでは?思われているのでは?
と、人と目が合うたび、話をするたび考えた。
幸い校則が無い高校だったので、自分を安心させるために必要最低限の化粧をした。
休み時間の度にトイレや更衣室で自分の容姿の確認作業をした。
雨の日は体育で汗をかいた後は地獄だ。
すぐに更衣室に向かい、ヘアアイロンで髪の毛を直す。
髪の毛の爆死は、精神の爆死でもあるのだ。
マスクをしなければ外出できない時や、友達とのご飯や遊びの予定をドタキャンする時もあった。
努力の末合格した高校も、自分の外見が理由で行くのが怖くなっていた。
私は、自分の外見を理由に、行動を制限してしまい苦しんでいたのだ。
この苦しみは大切な大切な華のJKの時代、ずっと味わっていた。
醜形恐怖症という診断
だいぶ割愛してしまったが、高校卒業と共に保健の先生の勧めもありメンタルクリニックを受診した。
そこで下されたのは、
醜形恐怖症
という病気。
今まで自分を悩ませていたものがわかりスッキリしたと同時に、
「あなたはなんとか社会的活動ができているので僕にはどうしようもないですね〜。まあなんかあったらまたきてください。」
救いを求めて行った私が馬鹿だったのかもしれないが、医者のこの言葉によってさらに傷ついた。
二度と行くか!クソ!
と思いながら、生命力の強いブスこと私、
これからは自分の力でどうにかしていこう。
と決断した。
現在の私
醜形恐怖症は、今でも続いている。
しかし現在私は、
醜形恐怖症の人々を救いたい!
という気持ちで、日々過ごしている。
どうにかしてそういう仕組みが作れないか、日々試行錯誤している。
醜形恐怖症は、とても複雑で根深い。
だからこそ、経験者でもある私が、何か同じ悩みを持っている人のためになれないかと、行動しなければならないし、行動したいと考えている。
文章が拙すぎで自分でも震えているが、これから、このことについて発信していきたい。
長くなりましたが、読んでくださってありがとうございました!!!ラブ