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それでもあなたは...
先生と呼ばれる職業は沢山あるが、共通して言えるのは、人の為にそして人の模範となり身を呈してでも教え子を守り、導くといった、崇高なる職業といえる。
ただ、残念ながらその信頼を悪用した不祥事は後が絶たないからか、常に疑いの目を向けられる職業の代名詞にさえなっていると感じる。
例えば、2018年8月に千葉県で小学校教諭が起こしたわいせつ事件を記憶されている方は多いだろう。この事件は保護者や児童は無論、現職の教諭や学校関係者にも驚きだけでなく怒りと失望-全ての信頼を失墜させたのは過言では無いだろう。
この事件、報道当初は、学校名や被疑者の名前まで報道され、被害児童やその家族の二次被害も散見されたようだが、その後、報道は遅まきながらも学校名は勿論、被疑者・被告人の匿名対応するなど、その後の報道のあり方が一気に改善される転換期だったとも言える。
起きるべくして起きた
このような背景だからなのか、それにも拘わらずといえるのか、起きるべくして起きたのか、児童に対して担任による、わいせつ事案は更に起こり続けている。 それも、信用を完全に失った学校長や教育委員会などには全く相談などせず、警察に駆け込むケースがだ。
これを推奨する意図なのか、今年6月には、教育委員会通報義務について法令化されたため、従来からの学校や教育委員会での解決はまず、不可能となったと推察される。
その様な状況だから、児童の保護者であっても感覚的には、最近は少ないのではと感じられる方が大多数だろう。また、報道されたとしても、幸いにも、ほぼ全ての事案は被害者に配慮して秘匿する自主規制がされている。
加えて、被疑者や被告人の氏名も明らかにできないので、マスメディアは報道するうま味がないから、報道しないのかも知れない。
更に警察・検察・裁判所においても秘匿事件として扱うことで、法廷では被害者はもとより、被害者参加制度による保護者、検察側証人などは遮蔽処置され、更に被告人の氏名も秘匿されるので(なぜか被告人は遮蔽処置は無い!?)、前述の様な被害者だけでなく、被告人への2次被害は耳にすることが無い。 しかし、その反面、事件当事者や関係者以外の目が届き難くなった事が深刻な弊害を新たに生み出している事に気づくのは、その事件関係者の立場になってからかも知れない。
児童が楽しそうに母親に告げた身に覚えの無い話で、突然、犯罪者。
それでもあなたは先生になりますか?
司法面接とは
最近はドメスティック・バイオレンスーDVに関する報道で耳にした事があるかもしれないが、日本で司法面接が利用されだしたのは、ここ数年である。
米国では1980代まで、児童などの記憶の特殊性に周りの大人達は翻弄され、米の保育園であったマクマーティン・プリスクールを舞台にして、360人以上の子供が虐待されたとされたが、物的証拠は何一つ発見されなかったという冤罪事件が起こった。
"マクマーティン保育園裁判(マクマーティンほいくえんさいばん、The McMartin Preschool Trial)、通称マクマーティン事件(McMartin case)は、アメリカ合衆国における子供の性的虐待裁判である。6年間続いた刑事裁判により、証拠は存在しないことが明らかになり、全ての容疑について1990年に無罪となった。アメリカ史上最も長く、最も高価(約1500万ドル)な刑事裁判であった。 " (出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
先日NHK BSで放映されたこの事件についての番組を見たが、「この事件以降、うかつに子供にハグすることもできなくなった」という住民の言葉が印象に残った。
遅ればせながら日本でも、DV(Domestic Violence)や教員の強制わいせつ事件とされた田代事件などの冤罪被害を受け、平成27年10月には厚生労働省などが検察、警察、児相の3者で連携して児童を聴取するよう通知を出した以降、わいせつ事案だけでなく、親による虐待など、被害者児童や女性などの弱者の2次被害を防ぎ、児童らの記憶汚染を防ぎつつ、事案の情報を児童らの記憶から得て的確な捜査を行う事により客感的かつ合理的な裏打の有無を明らかにする事で、同時に事件発覚後の早い段階から冤罪をも防ぐ事が期待された。
魔法の鏡?
日本での司法面接の第一人者である立命館大学 総合心理学部 仲 真紀子教授の刑事法検討会での発言
”まず一つは,司法面接は魔法の鏡のようなものではなくて,ある時点で子供がこういう手続に入ってきた,その段階で,その時点でできるだけ正確な方法で子供が言ったことを聴取しておきましょうということなのです。ですので,子供が言ったことが正確だとか,正しいということではなく,飽くまでも,この子供に自発的に話してもらったことを基に,外部の情報によって,それが補助されるのか,されないのかということを判断していくということになります。
ですので,そういう手続だというふうに考えていただけるといいかなというふうに思います。 あと,こうやって司法面接のような形で録音・録画するということになると,おのずと事前の初期・初動調査であるとか,家の中での聞き取りが問題になってくるわけです。裁判では,被告人側の弁護人から言えば,事前にどういうやり取りがあったのかというのは反対尋問で確認されるべき重要な事柄であるし,また捜査機関などにとってはできるだけ事前の汚染がないように図っていくということになるのかなというふうに思います。
ですので,子供が言ったことが全て正しいとか,そういうことでは全くないのです。” ( 出典:性犯罪に関する刑事法検討会 (第2回)28-29頁)
また、先行して取り組んで来た欧米では、証拠能力を持たせかつ冤罪を防ぐ為に合理的な条件を課した上で法廷での証拠能力を認めている。
o アメリカ:"2004年、クロフォード対ワシントン判決(Crawford v.
Washington, 541 U.S. 36 (2004))によって、伝聞法則の新基準が確立
された。同判決では、法廷外での証人の供述は、証言不能で
かつ被告人に対する反対尋問権が保障されていなければ、修正6条の
対質権条項1の侵害となる。" (Page 5:併記された英文の部分は割愛)
o ドイツ: " 被疑者に弁護人がおり、弁護人に捜査証拠が開示されるよう
法改正をし、反対尋問権が行使されるということを前提に、裁判官が
裁判所において証拠として保全する" (Page 17)
(出典:アメリカ(オレゴン州)における医療型司法面接 弁護士 飛 田 桂 )
日本での司法面接が上記を踏まえた上で運用されていれば、弱い立場である被害児童などの2次被害だけでなく冤罪を防ぐためにも、それこそ魔法の鏡の如く、今までの諸問題の解決を期待できた。しかし、実際の事案に適用されているとか、ましてや、それが正しく運用されているかについては、先の理由からか、その実態が全く報道がされていないため、現在は裁判所に出向いて実際に公判を傍聴する以外で知り得る方法は皆無であろう。 その様な状況で、背筋が凍る様なわいせつ事件から半年も経たずに同様な事件が、また発生した。 その事案に司法面接が実際に使用された千葉地裁の公判を第一回から傍聴する機会があったので、その検証を試みる。
傍聴した公判での要点
o 司法面接前に、発端となった母親からLine経由で被害内容を拡散
母親の聞き取り、学校の聞き取り、スクールカウンセラー、
調書での聞き取りなどの各児童毎に最低4回は行われたいた
o 証人尋問の直前(一週間前?)に児童に避けるべき証人テストを実施
弁護人は万が一証人テストをおこなう場合の条件としてビデオ撮影に
よる記録を書面にて要請。受領しながらも、検察はそれを黙殺
o 検察官から先生に触られたことがありますかなど、事件の核心部分に
ついての質問に対してはっきりと「ない」と答え、更に「先生とは音楽室には
(みんなと)行った」と答えていた。 検察官はひどく動揺していた。
o担当検察官の尋問要請を却下と共に担当検察官の不自然な人事異動
被害者への検察と弁護人による別室からの音声による(態度・表情 などの
映像は傍聴人には非公開)尋問では、「ない」、「わからない」、
「忘れた」ばかりで、さらに回答できた内容も被害の 回数・時期と
内容が変遷していた
o 司法面接は検察により実施され、DVDに記録された映像・音声は全て
裁判傍聴者には非公開だったため、司法面接自体が正しく行われて
いたかは傍聴では考察不能
o 被害者側からの証言を裏打ちするような、物証や目撃者証人は全く無し
o 被害のエピソードは実際に被告人の証言にもあった。但し実際の
犯行として倉庫に連れ込んだ件は給食・授業・授業の合間の
休み時間の日中かつ他の児童や生徒や保護者がいる時間帯に女性の
学年主任・保健の先生の対応してもらったとの被告人証言と食い
違っている
o 検察の起訴内容では被告が常時施錠されている倉庫の鍵を私物化し
ていたにも拘わらず、児童が 倉庫内の様子を知っている事が犯行が
の 裏付けだったが、被告及び教頭の施錠の確認方法と学年主任
の証言によりこの前提を否定
o A,Bは事件の日時はおろか、時期も漠然としてはっきりしない。
o 1/25以降、担任は自宅で療養・待機をしているが、Cはそれ以降に
また犯行があったと話をしている。
o 起訴内容の裏付けは倉庫に児童が寝転がれる隙間があることのみ
鍵を担任が私物化していた根拠や鍵や倉庫における児童達の指紋、
DNA、微物に関する証拠が提示されていない。
o 多くの児童や先生の目がある中で、児童をつれて倉庫の出入りを
した際の目撃証言がまったく無い。
o 担任が下半身を脱がし、1年生の児童本人が上半身を脱ぐのと
また全て着る時間を加味していないのか犯行時間は(裁判官の感覚では)
短時間だった
o 冬の倉庫の床に寝転んでも(冷たさなどの感触等) 何も覚えていない
o 倉庫は赴任したときから、施錠されておらず、学年主任も含め他の
先生方が使用していたため、あえて施錠をしていなかった
o 男子児童2人が倉庫をあけて遊んでいた事があったため、移動式の
ハンガーを前において、児童には入らないように指導した
理由より結論を先に述べてしまうが、担任への反対尋問に不審な点は覚えなかったが、被害者側の内容は、これで良く起訴したというのが本音である、今回、司法面接自体は現代のIT技術を用いれば、画像や音声の特定化を避ける加工処理や或いは文字おこしをしたテロップの表示などによる公開手段があるにも拘わらず、傍聴席に対しては完全非公開だった故に、残念ながら、この事件の面接方法の検証及び考察は不可能だ。
だがそれ以前の問題として、その司法面接の前後や裏打ちの欠落により全く無い結果を見れば、被告人側の反対尋問や捜査による裏打ちもない司法面接だけなので証拠価値はゼロと判断するべきだ。
理由は下記の通りである。
1. 児童の記憶に関する特殊性
1) 体験していないことでも、質問を繰り返したり、誘導することにより
偽りの記憶が簡単に形成することができる。
2) 偽りの記憶が一端つくられてしまうと、それは実体験した真の記憶
との識別は不可能である。 そのため、これだけで証言の信憑性が
高いとの判断は不適切。 最悪、偽りの記憶が永遠に残ってしまう。
児童の記憶に関する特殊性から、記憶の汚染を防ぐことが必須で
あり、また、専門の訓練を受けた人間以外は絶対に児童に聞いては
いけない。 特に両親や近親者・心の病の軽減をするスクールカウン
セラー
2. 真実を告げる魔法の鏡ではない
現実的には偽りの記憶の混入を防ぐ為に、母親も聞かず、その後、 被疑者と同様な留置などの隔離は不可能であり、被害者保護の趣旨からは本末転倒でる。
それならば、証拠価値を認めるための司法面接でも被告側の反対尋問は必須でなければならず、従前の被害者証言となんら変わらないこととなる。
だから、科学的な証拠等の採取と鑑定ができ、更に児童・教師からの目撃者証言が十分に得られるこの様な事案ならば、特に司法面接の内容それだけで魔法の鏡が写した真実(証拠能力あり)として見なしてはならず、あくまでも、その内容は捜査を行う為のヒントに止め、実際の捜査などによる裏付けと併せて事実である証拠として見ない限り無意味かつ恣意の有無に拘わらず、司法面接が逆に冤罪を産む温床になってしまうのは想像に難くないのだ。
この事案の場合では、食い違い部分に関する学校関係者の証言や保健室の記録、倉庫の鍵がどこにあったのか、鍵の指紋やDNA、などの物証等もまったく提示されないのは検察の恣意的な意図を感じた。
ブルータス お前もか
検察・警察の勉強不足を装った、恣意的な運用を許すほど、裁判所が愚かではないはずと信じたかったが、この裏打ちの無い司法面接内容を事実認定したのだ、まさに「裁判長、おまえもか」である。
判決理由として ”被告人の証言は基本的に信用できるAないしCの供述と矛盾している。それらを否定する被告人の供述は何らの裏付けもなく、基本的に信用することができるA、B及びCの供述の信用性を否定するような証拠価値を認めることはできない。このことは、被告人の本件小学校での勤務態度が良く、生徒への丁寧な指導などで教頭先生が高く評価 していたことなどを考慮しても、影響を受けない。” (早口だったので、言い回しが微妙に違う可能性あり)
被害者側の裏打ちも皆無の点には全く触れず、被告人の証言自体は検察の反対尋問や裁判長の最終尋問でも信憑性を疑うべき点は全くないが、被告人の証言には何ら裏付けがないから、証拠としての価値は認められないと言う説明なのだ。
そもそも、裏付けは警察・検察の捜査でしかできず、証拠隠滅を盾に実質、拘束している被告人を有罪にするための捜査しかしていない事を知る法廷が、被告人の証言の裏打ちは求めるのは、法に対する愚かな挑戦で、法の番人が自らやってはいけない誤りだ。
いずれにしても、被害者側の司法面接内容や証言にも目撃者などの裏打ちが出来た状況にも拘わらず、それらは皆無なのだが、その状態について明らかにされていない不自然な点には全くふれていない。
被告側の証拠
前述の様に日本の法制度では被告側が自らの証言の裏打ちを得るのは、ほぼ不可能であるが、被告側は当初、警察が収集したものの、隠されていた山の様な捜査の成果から被害者の下着(レギンス)のDNAのPCR検査により科捜研が鑑定結果を作成した際の生データがあるだろうと推測して検察に要請していた。被告側での生データの鑑定は、科捜研のDNA鑑定を指導したこの分野では著名な教授が行い、更に証人として出廷した。
被告人のDNAは検出されなかった。
但し、多くの方がTVドラマなどで誤解しているかもしれないので、付け加えると、被告人のDNAが検出されていないだけでは無かったと言う証拠にはならない。
法での考え方は人が触ったからと言って必ずつくわけではないので、付いていないだけでは、触っていないとの証明とはならないからだ。だが、逆にこの考えでは、DNAが付いているからといってそれが被告人が本当に事案において直に触ったのか、ねつ造等の有無の検証が必要になるはずだがそれはそれらしい。
そして、証言には続きがあったのだ。
被害者本人とその両親、及び第三者のDNAが検出された。
足利事件と同様に第三者のDNAが検出されている事が重要だったのだ。だが、検察は洗濯機で既に洗ってしまった風に受け取れるような意見だけで、この第三者についての捜査の有無や結果などには全く触れず「触ったらDNAが必ず検出がされるか」と言う質問だけを生データしか鑑定していない証人に質問した。結果、判決では「洗う前の洗濯機に入っていたから」と経験則でもなく科学的にも証明されていない持論で、合理的には理解できない独自の見解を述べるなど不自然すぎだ。
低学年の担任の経験がある先生や常に児童に接する職業の方は、被害者と称する児童に実際には何が起きていたか、ぴーんと来るのではないだろうか。そう、採取方法やその状態がわからないDNAデータだけの分析による鑑定ではなぜ付かないか説明ができないのと同様にその年齢までは解らないのだから...
いずれにせよ、地裁の判決は、どちらも嘘では無い様なので基本的に信用できる被害者の証言(裏打ちも、反対尋問もされず、記憶汚染された可能性を全く否定できない代物)を優先して、執行猶予なし、3年6ヶ月の実刑判決が下された。 即ち、犯罪者だ。
お母さん、お父さんは子どもに一生残る心の傷をつけるのですか?
それでもあなたは先生になりますか?
それとも...子どもや先生の為に声をあげてもらえませんか?
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