砂の城 と、サルマンさんの教え
この映画を観てて思い出した、私の最年長の友達、サルマンさん。
3年前、私は『ワーキングホリデービザ』という、なんとも毎日が
休暇気分になるような楽しい名前のビザでドイツに1年滞在した。
(実際は超ハードワークちょっとホリデーなビザだったけど、それはまた)
ドイツ語が当時全く分からなかった私は、市のコミュニティセンターに通い、名詞に性別があり、動詞や形容詞が変化する未知のドイツ語を学ぶことにした。
最初はスペルの読み方も知らなかったから、もちろん初級クラス。
そこにサルマンさんは居た。
少し日焼けした、疲れたような褐色を帯びた肌、で、くりくり白髪パーマ。
時折小刻みに揺れ、眼鏡を傾け、手をゆらゆら揺らし、ゆっくり話す彼は、2人のローマ教皇の、アンソニーホプキンス、日焼けして尊さを失ったver.のようだった。
出身は、リビア。
聞いたことあるような、ないような。
リビアはアフリカにあり、エジプトの隣だと聞いた私は、『難民で、こっちに奥さんと逃げて来た、おじいちゃん。』という彼の物語を作りあげ、同情のようなフィルターで彼を見たのを覚えている。
(なんて無知で愚かなフィルター)
勿論行ったこともない、何語が公用語なのかも知らない、首都の名前も国旗も歴史も知らない国、リビア。
何万人規模の人生が詰まっている一国を、名前となんとなくの場所を聞いただけで、私の心は、何十回といろんな映画でみた、砂漠を思い出した。
無機質な白っぽい建物の通りの街。
砂がついた車の群れ、たくさんの人。クラクション。
中東、アフリカ版太秦映画村。
そして、村に戦争が起きてしまった。奥さんと逃げ、ドイツへたどり着くサルマンさん。
今まで見てきた映画のイメージから、彼のストーリーが一瞬で出来た。
それは(彼から聞いた訳でもないのに)お涙頂戴のノンフィクションだった。
実際のところ、彼はアメリカの大学を出て私よりもはるかに素晴らしく高学歴だったし、英語は完璧だったし、実際、彼のビザが何かは知らなかったしもちろん聞かなった。
彼のビザは、私の楽しい名前の「ワーキングホリデービザ」に似た、楽しい名称ものだったのかもしれないし、本当に難民の方だったのかもしれない。
彼は笑顔が素敵だった。優しかった。
結局、彼はあまりドイツ語が上達しなかった&高齢なのもあって、進級せずに新たに近所の学校に転校することとなった(隣の市から電車でわざわざ来ていた)
最終日に「君なら大丈夫だよ、やれるよ、僕は年寄りだから難しかった。」と自分よりも40歳以上も若い、私を含むクラスメイトたち1人1人に、何だか優しい言い訳にも似たような優しい励ましを送る彼は、なんだか尊かった。
話を映画に戻す。
この映画は、ヒーローの戦争映画ではなかった。
実際の退屈な毎日が続くだけの、哀しみを帯びた、終わりなき戦争映画だった。
日常生活に簡単にヒーローは生まれないのと同じで、毎日戦地でヒーローは誕生しないのだ。
逆にそれがリアルだった。
そして、リアルな世界は、映画よりも退屈だ。
忘れちゃいけない。映画はリアルではない。
映画を観て、映画だけの世界に埋もれるな、それだけを知識とするな。たった2時間で単純なイメージを持つな。
自分の目で実際に見たことや聞いたこと、調べたことが重要だ。
この映画に、「色んな映画を観るだけで、何でも知った気になるな」と、言われている気がして、私は最後まで目を離せなかった。
ある日、アフリカ系果物屋で買ったらしい、アフリカのフルーツをサルマンさんからもらった。
なんか甘酸っぱくて美味しかったことは、れっきとしたリアルで、私の中の、唯一本当のリビアだ。
それは、サルマンさんの私への教えだったのかもしれない。
初級ドイツ語クラスから見える窓。
2017.12.18