「ギターと孤独と蒼い惑星」と「春擬き」
まえがき
アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」第5話を視聴し、挿入歌「ギターと孤独と蒼い惑星」(以下「蒼い惑星」)のシーンで感動しました(見出し画像は公式サイト様より引用させていただきました。)。感動中に、「やはり俺の青春ラブコメは間違っている。」2期OP主題歌「春擬き」の歌詞との相似形が視えたので言語化しました。
両アニメともモラトリアムにおける孤独を掬った作品で、アニメ化を彩る両楽曲は孤独を丁寧に追いかけた曲だと思います。「春擬き」を好きな人は、「ぼっち・ざ・ろっく!」の視聴者の中にも多いんじゃないでしょうか。両楽曲を並べて視えたものを書いていきます。
一方を持ち上げて片方を乏しめる意図はないのですが、不愉快に感じられたら申し訳ありません。また、筆者は「ぼっち・ざ・ろっく!」「やはり俺の青春ラブコメは間違っている。」ともに原作未読のアニメ勢です。解釈が原作に沿えていない箇所が見受けられると思いますので、先にお詫び申し上げます。
テーマを特定した行儀の悪い読み取り方ですが、ここでは「蒼い惑星」=後藤ひとり・「春擬き」=比企谷八幡の心象を表していると解釈します。
校舎外で夕立に遭う後藤ひとりと、教室で試験を受ける比企谷八幡
舞台を特定していきます。
歌いだしから、「蒼い惑星」は傘も差さずに外で夕立に晒されています。一方で「春擬き」は教室内で答案用紙を埋めています。
天気すら読めず不意打ちな雨を浴びる「蒼い惑星」と、時刻通り進む試験で淀みなく答案用紙を埋めていく「春擬き」の姿を思い浮かべてください。
移ろう季節の変わり目(夏~秋・冬~春)
季節感を推測します。
夕立は梅雨明けから秋雨が始まる間に降る雨で、晩夏を表す雨です。”春と秋どこいっちゃったんだよ”のフレーズと”夕立”から、曇天の夏空の下に「蒼い惑星」は居るんだと思います。
続いて「春擬き」です。春という季語がありますが「擬き=似て非なるもの」を意味するので春を控えた晩冬、よくて立春の季節に「春擬き」は居そうです。「蒼い惑星」は夏から秋、「春擬き」は冬から春にかけて、季節の変わり目の中にどちらもいます。”春と秋 どこいっちゃったんだよ”・”ひらりひら からまわる”から、過ぎる季節に追いつけていけません。
何を着れば正しいかわからない季節迷子の「蒼い惑星」と、己の回答の正しさに自信がもてない「春擬き」を、移ろう季節とともに思い浮かべてください。
ノイズに埋もれる後藤ひとりと、クリアな視界の比企谷八幡
ここから内外に視野が分かれます。
「蒼い惑星」は呼吸、めまい等、体調不良へ視点が移ります。めまいを螺旋で表し、渦巻くように意識が自己に向いていきます。息苦しい重力にに身体は覆われていき、挙句に”わたしはどこにいる”と遭難します。
対して「春擬き」の視界は曇りません。未来の形が理想から歪んでいく様を直視しています。僅かな亀裂も見逃さず、未来から目を離していません。
めまいで視界が渦巻く「蒼い惑星」と、確かな視力を持つ「春擬き」の両視点を対比してください。
”世界の音”が聴こえない後藤ひとりと、”ぬるま湯が冷める音”が聴こえた比企谷八幡
サビ前で「音」の感覚差が表れます。
「蒼い惑星」は孤立していて、ひとりの”息の音”しかせず誰もいません。”変だね”と疑いつつ、”世界の音”を必死に聴こうとしています。信じているのに音がしないもどかしさ、繰り返す”こんなに”で焦りが伝わってきます。
対して「春擬き」は音が聴こえています。”ぬるま湯がすっと冷めていく音”、言わば「蒼い惑星」でいう”世界の音”が聴こえました。教室の硬直感から抜け出して、ここから「春擬き」は伸びやかに道を進んでゆきます。
「音」をきっかけに、世界の明暗が分かれました。
孤独と飢餓に苛まされる後藤ひとりと、レプリカに見切りをつける比企谷八幡
サビで、孤立無援の「蒼い惑星」は”足りない”・”誰にも気づかれない”と悲鳴をあげます。”世界の音がしない”中、”殴り書きみたいな音”を叫ぶ姿は救難信号のようです。
対して「春擬き」は手元にある正しさに”レプリカ”と見切りをつけ、本物を探しに”そこ”を目指します。三行半を突き付ける「春擬き」サビは、全能感とともに先の成功を予感させます。
「ぶちまけちゃおうか星に」と叩きつける後藤ひとりと、「良く出来たフェアリーテイルみたい。」とつぶやく比企谷八幡
「蒼い惑星」は登場人物が二人と居ないので”「ありのまま」なんて誰に”歌うのかわかりません。結局、”世界の音”も聴こえませんでした。”馬鹿な私は歌うだけ”、と何もわからなかった等身大の自己を歌います。ダメ押しに”ぶちまけちゃおうか 星に”と叫びます。夕立の空を突き抜けて星に向けて叫ぶ歌は、咆哮です。
ここで”星に”を持ってきたことで、空が曇天から宇宙に広がっています。空に奥行きが表れたことで、「蒼い惑星」の孤独が強調されました。地球どころか酸素の無い宇宙ですら”世界の音”はしなくて、どこまでもいっても”世界の音”はしないんだと孤独を思い知らされる最後でした。
対して「春擬き」は”「でもそれは 良く出来たフェアリーテイルみたい。」”と総括する余裕があります。セリフをつぶやく締め方には、くつろぐ様な居心地の良さを感じます。
あとがき
星・惑星等、息ができない宇宙空間へ孤独が激突していく「蒼い惑星」と、これはレプリカだ、良く出来たおとぎ話のようだと視野を広げていく「春擬き」を並べてみました。
「春擬き」は視聴者の孤独を慰安する優しさを持っています。「蒼い惑星」からは虚無な世界に生まれてしまった、否が応でも孤独なんだと叫ぶSOSを感じました。どちらもモラトリアムの孤独を歌った素敵な曲です。
「蒼い惑星」を聴いて改めてタイトルを見たとき、「ギター」「孤独」「蒼い惑星」で連想しました。3つのキーワードが並んだとき、背景に地球がある宇宙空間にぽつんと「ギター」が漂う絵が浮かび、「ギター」を「孤独」で形容することで宇宙空間が黒い額縁に収められ、世界がブラックホールに飲み込まれるような孤独を想像しました。
「ギターと孤独」に「蒼い惑星」を繋げたことで、青くさい孤独に宇宙の虚無感が添えられていて好きです。
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