死刑囚表現展2024に行ってきた
死刑囚表現展2024へ行ってきました。
自身がこれから描こうとしている原作も、死刑囚になる人間の半生だからというのもあり。
ものすごく魂を感じる作品たちでした。
特に私の心に残ったのは、風間博子死刑囚、井上孝紘死刑囚の緻密な描画力。それから、何力死刑囚、山田浩二死刑囚のこの世界に対する訴え、植松聖死刑囚の社会では常識とされているが本人の中で全く違う価値観を持っていることの表現、です。
死刑囚の方々は、行き着く先が大抵、悟りの境地です。
社会に出れば、常に金という存在が付きまとい、それを手にしているかいないかで生きるか死ぬか決まります。
この資本主義国家では金を持つことが幸せという価値観すらあります。
独房の中は自由がありませんが、ある意味、金という概念から解脱した世界線です。
この世界線では優劣、格差などは存在せず、あるのは自分とそれ以外という二つの存在だけです。
絵に多いと感じるのは世界平和、聖母マリア、仏、神、そして性。
性は命を創る営み、つまり生命を意味します。
命についてずっと独房の中で考えていらっしゃるのだと思います。
私自身も、小さい頃から親や大人や他人を憎んで生きてきました。その矛先が自分に向かっただけのことで、他人に向かっていたらきっと死刑囚の側にいたでしょう。
それだけの違いです。
つまり私も彼らも大して変わりません。
秋葉原通り魔事件の加藤智大死刑囚の生い立ちなど聞いていると、本当に似たような境遇にあったので、責めるに責めきれない自分がいます。弟さんと同じく、私は自分を傷つける方に刃を向けただけです。
山田浩二死刑囚だけは違いましたね、全部自分を描いてました。まだ心は俗世の中にいるのかもしれません。
長い時間独房にいる方はやはり、達観してました。
戦争に触れる死刑囚の方もいますね。
世界は戦争で大量に人をころしているのに、死刑を待つ自分たちはなんなのだろう、戦争を起こすのはいいのか?という気持ちもやや感じます。
この表現展の活動内容は、死刑撤廃を望む支援者さんたちによる、死刑囚たちも一人の命ある人間ですよというメッセージでした。
死刑になるほどの罪と裁かれるほどなのですから、もちろん複数人の殺人であり、その動機が極めて自分勝手であると言うことなのだと思います。
でも、個人的にこの人は冤罪ではないかと思う死刑囚もいます。
ただ、カンパであったり署名というところまで簡単に答えを出すことはまだできませんでした。
被害者やその家族の恐怖も痛みも分かるからです。
この思いを持ち帰り、改めて、原作者様のメッセージにこっそり作画担当の私のメッセージも乗せて、善悪も白黒も偏りのない中和された平和の波動も乗せて届けたいなと思いました。
来年くらいでしょうか、死刑囚になる人間の半生を描く漫画を出版社より連載する予定でいます。
(詳細はまだ書けません)
原作者様はどちらかというと正義の側の意志がお強いです。
私はグレーなんですよね(笑)
私は社会の枠組みに収まることを迎合した人間。
誰かの歯車になり従うことを受け入れた人間です。
PSYCHO-PASSで槙島聖護が言った「犯罪とは何を持って犯罪と言うのか」という台詞がここで刺さりますね。
自分の意思で選び実行することを理念にしたシリアルキラーでしたよね。
そう、どこかで選択したこの道なのです。
彼らも同じ。それが社会で言う悪の道であった。
どちらにも転べた私だからこそ、どうも性善説を信じてしまうのです(笑)。