分かり合えないからこそ
星野源の「ばらばら」という歌が好きだ。
世界はひとつじゃない
ああそのまま ばらばらのまま
世界はひとつになれない
そのままどこかへいこう
この歌詞を読むたびに、人と人とは分かり合えないんだな、と思う。
そして分かり合えなくていいんだ、と思う。
僕は亡くなった祖母が、夫を(つまり僕の祖父を)難病で亡くし、そのあとどんな気持ちで、ひとりで父を育てたか分からない。
父親をはやく亡くした父が、どんな思いで他の家族を眺めていたかもわからないし、祖父が亡くなった年齢を自分が越えたときどんな気持ちだったのかもわからない。
あれだけ身近にいたのに。
分かり合えるという前提だと、なんで一番身近な人の気持ちさえわからないんだろうと苦しくなる。
ということは自分の気持ちも、そんな身近な人にさえわかってもらえないんだと気づいてさみしくなる。
でもほんとは分かり合えなくていいんだ、とわかって(思って、ではなく!)からは、そんな苦しさもさみしさもだいぶ薄れた気がする。
たとえ分かり合えなくても、一緒にご飯をつくり、食卓を囲み、同じご飯を食べる。
分かり合えなくても、話し、笑い、怒り、仲直りをしてまた笑う。
分かり合えなくても、いや、分かり合えないからこそ、一緒にいて、一緒に何かをすることが尊いんだと思う。
そして分かり合えないまま、最後を迎える時、また最後を見送る時に「あなたとは分かり合えなくてとても楽しかった」と思えたらそれはとても幸せなことなんじゃないか。